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怒涛の11連勝で大逆転優勝「クリアソン新宿」の正体とは? 難敵を次々と味方につける“週刊少年ジャンプ”のような快進撃
破竹の11連勝――関東サッカーリーグ1部で見事、優勝を果たしたクリアソン新宿。彼らが掲げる理念は「スポーツを通じて、社会に感動や真の豊かさを創造しつづける存在」であること。“新宿”をホームタウンとしてから約4年、基盤を築く裏にどんなストーリーがあったのか
この夏から秋にかけて、関東サッカーリーグ1部(J1から数えてJ5に相当)ではちょっとした奇跡が起きようとしていた。
リーグ在籍2年目のクリアソン新宿が破竹の10連勝を飾り、リーグ初優勝と、JFL昇格につながる全国地域サッカーチャンピオンズリーグ出場にリーチを懸けたのだ。
クリアソン新宿には、井筒陸也(元徳島ヴォルティス)、小林祐三(元横浜F・マリノスなど)、岡本達也(元ジュビロ磐田など)、瀬川和樹(元栃木SCなど)といった元Jリーガーが所属しているが、プロ契約選手はいない。
チームは社会人選手と学生で構成され、元Jリーガーも昼間は社業に励んでいる。
さらに専用の練習場もなければ、ホームスタジアムもない。
関東リーグ1部にはほかに、都並敏史監督率いるブリオベッカ浦安、岡山一成監督率いるVONDS市原、前年王者で専用スタジアムを持つ栃木シティFCなど強豪チームが在籍し、「地獄の関東リーグ」と呼ばれるほど実力が伯仲している。
むろん、これらのチームも元Jリーガーを多数抱えている。
つまり、クリアソン新宿は戦力面や環境面で、突き抜けた存在ではないのだ。
それなのに、夏を迎えた頃に5位だったクリアソン新宿は、ここから一気にギアを上げ、劇的なゲームを積み重ねながら連勝街道を突き進んでいく。
「僕らは世界一を目指しています」
迎えた10月10日の最終戦の相手は、リーグ最下位に沈む流通経済大学FC。クリアソン新宿のホームゲームでありながら、流通経済大のグラウンドで開催されたこの試合でも、クリアソン新宿は次々とゴールを叩き込んでいった。
11連勝と大逆転優勝に近づきつつある彼らを見ていて思い出したのは、チームの代表であり、運営会社の株式会社Criacao(クリアソン)の代表でもある丸山和大の言葉だった。
「僕らは世界一を目指しています。このクラブの理念を突き詰めること自体が、サッカーで勝てる戦略につながっていると思っていて。僕らの信じていることを続けていけば、勝利に最も近づける。心からそう思っているので……」
ゴールラッシュを眺めながら、“勝てる戦略”の意味を噛み締めた。
高校時代の丸山は、今とはまるで異なる価値観を持っていた。
勝利こそすべて。サッカーがうまいやつが偉い――。
チームメイトは助け合う仲間ではなく、蹴落とすべきライバル。結果を出した者だけに発言権がある。
そんな環境のなかで、プロになることを目指してサッカーに明け暮れた。
「高校は桐蔭学園だったんですけど、プロ予備軍みたいな感じでした。サッカー部は内部進学組とサッカー推薦組、一般受験組に分かれていて。僕は受験組だったんですけど、サッカー部に入るのにまずセレクションがあって。正式に部員になるまで部室で着替えることもできなかったり。明確なヒエラルキーのある競争世界にいきなり放り込まれたんです」
周りは自己主張の強いメンバーばかり。人間関係はギスギスしたものだったが、疑問に感じることもなかった。
「強豪校ってこういうものだと思っていたし、自分もそこに染まりながら鍛えられた部分があった。サッカー、しんどいなって思う時期もありましたけど、プロになりたい一心で、歯を食いしばってサッカーをやっていましたね」
一元的だったサッカー観が変わるのは、大学時代のことだ。
高校卒業のタイミングでプロになれなかった丸山は、プロを諦めて立教大学に進学する。
サッカーを続けるかどうか、サッカーを続けるなら体育会サッカー部に入るかどうかで悩んだ丸山は、高校時代の先輩の誘いもあってサークルでサッカーを続ける道を選ぶ。
ここで新たな価値観、新たなサッカーとの向き合い方と出会う。
「最初の頃、僕は高校時代の延長で、うまいやつが偉いという感じだったので、仲間を傷つけてしまうこともあったんです。でも、周りはいいやつばかりで、尖っている自分を受け入れてくれて」
サッカーが好きだから仲間のために頑張りたい――。そんなチームメイトと触れ合うなかで、丸山にも「みんなのために自分も頑張りたい」という気持ちが芽生えていく。
決定的に価値観を変えた出来事
変わりつつある価値観が決定的になったのは、大学3年のときだった。
「僕が代表を務めたときに、サークル日本一になれたんです。サッカーがうまい選手だけではチームは成り立たなくて、そうじゃないメンバーが支えてくれたからこそ喜びが大きくなった。高校時代は試合に勝ってもベンチメンバーが喜んでなかったり、自分が出られない悔しさのほうが大きかったけど、サークルでは出ているメンバーも出ていないメンバーも役割分担があって。みんなが成長できるようなサッカーとの関わり方もあるんだな、そのほうがチームは強くなるし、みんなが幸せになるんだなって。それが原体験として自分の中にあります」
と同時に、日本サッカーが抱える課題も感じるようになった。
「高校時代の同級生で、今も一緒にやっている剣持(雅俊)は、プロになれたのに、断ったんです。高校時代は『なんで?』と思ったんですけど、大学時代にスポーツ界の抱える問題が分かってきた。高卒2、3年で結果を出せなければ契約満了になったり、長くプレーできてもセカンドキャリアの問題がありますよね。それで、スポーツ界の課題を解決できる人間になりたい、スポーツの持つ力を使って社会を豊かにしていきたいと思うようになりました」
その第一歩となったのが、大学4年だった2005年の新チーム結成である。
サークルを引退した者が集まってサッカーをする場として作られた新チームの名前は、クリアソン――。
「当時は深く考えきれてはいなかったんですが、『感動を創造する』なんて言っていて。感動と創造を表す言葉を並べて、一番響きが良かったのが、ポルトガル語で創造を意味する『Criacao』だったんです。なんて読むのか分からないってよく言われますけど(笑)、そういうところから関心を持ってもらえればいいかなと」
チームの活動が本格化するのは、大学卒業後に大手商社に就職し、関西勤務となった丸山が東京に戻ってきた2008年のことだ。
盟友である剣持もチームに加わり、2009年に東京都リーグ4部(J1から数えてJ10に相当)に参戦する。
「この頃には、『やるからには上を目指してやろう』と話していました。Jリーグを目指すぞとか、2025年までに世界一になろうとか」
2012年に東京都リーグ1部昇格を逃したことを受け、2013年4月、株式会社Criacaoを立ち上げた。
それは、クラブとしての覚悟を示すものでもあった。
このとき、丸山や剣持は改めてクラブの理念や意義について、徹底的に話し合っている。
「それまでも、他者の違いを認め、お互いをリスペクトするとか、自らの強みを組織の力に変え、仲間と支え合うとか、今のクリアソン新宿の理念の原型となる考え方はあったんですけど、このときにより深く考えたというか。なんのために起業してJリーグを目指すのか。理念や哲学をしっかり言語化して、存在意義を明確にしておきたかったんです」
新宿をホームタウンに定め、チーム名を「クリアソン」から「クリアソン新宿」に変更するのは、2017年11月のことである。
「ビジネスと両立させるなら23区はマスト」
もっとも、2013年8月にはすでに日本ブラインドサッカー協会に間借りする形で、株式会社Criacaoのオフィスを新宿区百人町に移していた。
「サッカーとビジネスを両立させるなら23区がマストでした。そのうえで、自分たちの理念と合うのはどの自治体なのか、23区の政策をチェックすると、多様な文化が混じり合う新宿区だなと。新宿にはオフィス街もあれば、繁華街や学生街もある。加えて、区民の10%強が外国籍の方なんですね。多様性を大事にするクラブの世界観や価値観に最も近いと感じました」
新宿をホームタウンに決めた丸山たちクリアソン新宿のメンバーは、スポーツ推進委員という非常勤公務員のスポーツ指導員になったり、新宿区サッカー協会と関係性を築くべく、新宿区リーグに参戦したりした。
「Jクラブから話を聞いた際、地域のサッカー協会との関係性が良くないクラブがけっこうあって、苦労したという話をたくさん聞いたものですから。僕らのように何者でもないものが、新宿というサッカー不毛の地に根付こうと思ったら、新宿の人々に認めてもらわないといけない。それにはまず新宿区サッカー協会と関係性を作らなければ話にならない。そこで新宿区の少年サッカー大会とか、いろんなところに顔を出して挨拶して回ったんですけど、最初の頃は、『ややこしいやつが来たな』という反応なんですよ(苦笑)」
だが、それも当然のリアクションだろう。なにせ当時のクリアソン新宿は東京都リーグ1部(J1から数えてJ7に相当)を戦っていたのだ。
そんなクラブの人間から「Jリーグを目指します」「スポーツで地域の人を豊かにします」と言われても、ピンと来ないのも仕方がない。
もっとも、話の分かる人間もいた。
そして幸いにも、それは新宿区サッカー協会のトップだった。
「神田隆弘会長にお会いしたら、僕らの理念にすごく共感してくださって。僕らがやっている地域活動もすごく評価してくださった。一緒に一つひとつ口説いて回るから、2、3年計画でまず1年目は汗をかけと。いろんなところで汗をかいたら、きっと周りが応援してくれるからって」
神田会長のもとで1年目に新宿区サッカー協会の常任理事を務めた丸山は2年目に常務理事、3年目からは副会長となる。
その間、クリアソン新宿は地域活動の実績を積み上げ、新宿区サッカー協会との関係性を強固なものにしていった。今では30人ほどいる常任理事はみんな、クリアソン新宿の強力な支援者になっている。
東京商工会議所の新宿支部とは、ひょんなことから繋がった。
「株式会社Criacaoの事業のひとつにブラインドサッカーによる研修プログラムがあるんですけど、それを東京商工会議所の青年部向けに実施したところ、のちの新宿支部青年部の幹事長の方が、『これ、すごく面白いね』と言ってくださって」
その人物は『カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂~♪』のCMソングで知られる文明堂東京の宮崎進司社長だった。
「宮崎さんはもともとサッカーに興味はないんです。ただ、地域のためにサッカーというスポーツを活用するという、クリアソンが目指す街づくりの筋を認めてくださって。まずは青年部の仲間50人を巻き込んで、次は区も巻き込んで、どんどんやっていこうと、いろいろな方を紹介してくださって」
こうして宮崎社長の紹介で、東京商工会議所新宿支部の会長を務める、タカノフルーツパーラーの高野吉太郎社長のもとを訪ねると……。
「高野さんも、もともとサッカーに興味のない方で(苦笑)。『サッカーで地域問題を解決すると言うけれど、新宿はサッカーがなくても困ってないんだ』と。『おっしゃる通りですよね、ただサッカーがあると、より良くなるんじゃないですか』という話をしたんですけど、そのときはけんもほろろで(笑)。でも、『また語らせてください』『また来ます』と続けているうちに、どうやらこいつらは、強いサッカーチームを作りたいという話をしているのではない。本気で街づくりの話をしているんだな、と高野さんも気づいてくださって」
新宿区サッカー協会、東京商工会議所新宿支部の理解を得た丸山とクリアソン新宿は、いよいよ吉住健一新宿区長にアプローチを開始……と輪を広げていくうちに、新宿の街は未曾有の危機に見舞われた。
新型コロナウイルスの感染拡大である。
緊急事態宣言やまん延防止等重点措置によって時短営業や酒類の提供停止を余儀なくされ、日本一と言える繁華街は大打撃を受けた。
だが、コロナ禍はクリアソン新宿にとって追い風でもあった。
みんなが明るい話題を探していた
「新宿の街が危機を迎え、何か明るい話題はないのかとなったときに、クリアソン新宿の存在をクローズアップしていただいて、みんなで盛り上げようと。商店会連合会や新宿区体育協会なども後押ししてくださった。僕らも何か力になりたいということで、飲食店向けのクラウドファンディングをしたり、中高生にオンラインの練習メニューを提供したりするうちに、サッカーってこんな使い方があるんだ、スポーツで本当に地域が元気になっていくんだという評価をいただけて」
2020年11月には、新宿区との包括連携協定が結ばれた。
この協定は、地域が抱える課題に対して、自治体と民間企業が協力して解決を目指すものだ。
サッカーで街を盛り上げ、問題解決に取り組もうとするクリアソン新宿の試みを、新宿区が歓迎しているという証だった。
もともと野球好きだった吉住新宿区長も、今ではすっかりクリアソン新宿のファンになっている。
次々と現れる難敵を味方につけていく様子は、まるで『週刊少年ジャンプ』の漫画のようなストーリーだ。
「でも、順調そうに聞こえるかもしれませんが、大変でした(笑)。ただ、たまたまなんですけど、サッカー好きじゃない人から口説くことになったのが良かったかもしれないですね。多くのクラブはサッカー好きから巻き込んでいき、最後にサッカー好きじゃない人を口説こうとするから難しい。『あなたたち、サッカー好きの集まりでしょ』となってしまう。でも僕らの場合は、『サッカー好きじゃない高野さんや宮崎さんが言うなら』となったんです(笑)」
そして、のちにクリアソン新宿の歴史を振り返ったとき、大きなターニングポイントとなる2021年シーズンを迎えることになる。
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関東1部(J5相当)のクラブが、あと5年で世界一? クリアソン新宿の“勝てる戦略”は「成功のモデルケース」になるかもしれない
関東サッカーリーグ1部(J1から数えてJ5に相当)に所属するクリアソン新宿は、新宿区をホームタウンに、将来のJリーグ入りを目指すサッカークラブである。
スポーツを通じて、社会に感動や真の豊かさを創造しつづける存在でありたい――。
こうしたクラブの理念や地域活動が、新宿区サッカー協会や東京商工会議所新宿支部、新宿区体育協会、商店会連合会に認められ、理解者を増やしてきた。
それを証明するかのように、2020年11月に新宿区との包括連携協定が結ばれた。
この協定は、地域が抱える課題に対して、自治体と民間企業が協力して解決を目指すものだ。
クリアソン新宿と運営会社である株式会社Criacao(クリアソン)の代表を兼務する丸山和大は、さらに次の一手を打った。
Jリーグ百年構想クラブへの申請である。
Jリーグ百年構想クラブとはJリーグへの入会を目指し、Jリーグから承認されたクラブのことだ。クラブ経営、地域や行政との関係性、スタジアムの有無など、評価基準は厳しく設けられており、認定されるのは簡単なことではない。
クリアソン新宿の場合、クラブ経営は○。
地域や行政との関係性は◎。
しかし、決定的に×がつく項目が、スタジアムだった。
跳ね返されてきた「スタジアム」の壁
新宿区には2019年に完成した新国立競技場があるが、関東リーグ1部のクリアソン新宿が――たとえJ3に昇格したとしても――収容人数6万8000人という国内最大級の箱をホームとして使用するのは、現実的ではない。
とはいえ、新宿区にはほかにJリーグの開催基準を満たすスタジアムはなく、スタジアム建設に適した土地があるとも思えない。
関東リーグの試合を開催するためのグラウンド確保すら難しく、駒沢オリンピック公園総合運動場(世田谷区)、多摩市立陸上競技場(多摩市)、味の素フィールド西が丘(北区)などを使用したり、対戦相手のホームグラウンドをホームとして戦っている状況なのだ。
スタジアム問題という高い壁には、これまでにいくつものクラブが阻まれてきた。
クリアソン新宿もまた、この壁に跳ね返されるかと思われた。
ところが……。
大方の予想を覆し、クリアソン新宿は2021年2月、Jリーグ百年構想クラブに認定されたのである。
果たして、丸山はどんなマジックを使ったのか。
元Jリーガーの小林祐三(左)らを起用したクリアソン新宿のビジュアル。撮影場所は新宿ゴールデン街 ©︎Criacao Shinjuku
そもそも勝算はあったのだろうか。
「世間的にはなかったんだろうと思います。ただ、僕らとしては、そこをどう切り開くかという話でした。ひとつあったとすれば、自分の中で何度も『自分たちだけのためにやっていないか』と問いかけていました。みんなが納得する形で百年構想クラブというライセンスをいただけるのか、と」
そこで丸山は、地方を中心にJリーグの15クラブほどの経営者にヒアリングをした。
スタジアムの基準を満たさなくても、23区内にJクラブが誕生する意義はありますか――。
「そうしたら、反対がひとつもなかったんです。既存のレギュレーションに則って、スタジアムの問題を解決してきたクラブが『それはおかしい』という意見だったら、風向きは厳しいだろうと。でも、『人、物、お金を巻き込むようなクラブができるのはメリットしかない』と言っていただいた。これは大義としてチャレンジすべきだなと」
Jリーグ百年構想クラブへの申請は、一般的にはJリーグ入り(つまりJ3昇格)が現実味を帯びてくるJFL昇格後にするものだ。
だが、クリアソン新宿はJFLのひとつ下のカテゴリーである関東リーグ1部の時点で申請を行った。
「自分たちの時間軸の中で、最短でいきたかったんです。JFLに昇格してから申請して、優勝しても待たされるより、優勝してすぐにJ3に挑戦できたほうが、選手にとっても、ステークホルダーの方々にとっても魅力的じゃないですか。時間をかけたからといって、スタジアムのレギュレーションが大きく変わるわけでもないですから」
Jリーグへ提示した3つの案
審査において大きくモノを言ったのが、新宿区との関係性だ。
クリアソン新宿の理念と地域活動は、自治体から高く評価されていた。
包括連携協定の締結も、Jリーグ百年構想クラブの認定に大きなプラスとなったに違いない。
「申請のあとで包括連携を結ぶと、Jリーグに入るために地域が応援していると見られてしまう可能性があった。その意味では包括連携が先で、その後に申請したことにも大きな意味があると思っています。結果として、行政の考えと自分たちのスケジュールが噛み合った感じでした。ただ、区長がリスクを冒して『スタジアムを作ります』と言わざるを得ない状況には絶対にしたくないと思っていました」
そこでクリアソン新宿はスタジアムに関して、3つの案をJリーグに提案した。
・当面は都内にあるスタジアムを活用する
・新宿区内にある新国立競技場を平日夜稼働なども踏まえて活用する
・地域の民意や建設用地などの条件が整えば、区内に新スタジアムを建設する
「最終的には、新スタジアム構想がゼロではない、ということを伝えました。クリアソン新宿というクラブが生み出す価値が地域に認められて、いずれはスタジアムを作ったほうがいいんじゃないか、新国立があるじゃないか、そんな機運が高まっていく。そういう流れが本筋だと思うんです」
その結果、クリアソン新宿はJリーグ百年構想クラブに認定されたのだった。
株式会社Criacaoの代表である丸山はクリアソン新宿の代表でもあるが、クラブチームでは代表としての権限はほとんどない。
クラブにおける重要事項の決定は、丸山、監督の成山一郎、キャプテンの井筒陸也、現場統括部門長の原田亮の4人による幹部ミーティングで行っている。
「成山はこういう選手が欲しいという要望を出す。井筒も意見するし、候補選手とコミュニケーションをとる。僕は理念や社員としてのあり方を説く。最終決定をするのは僕ですが、僕が獲りたいと思っても、成山がイエスと言わないと獲れないようになっていて、GMの権限を分散しています。意見がぶつかることもありますが、違和感のあるところに着地することはないですね。そもそも納得のいくまで話し合いますから」
2019年に徳島ヴォルティスを退団した井筒の加入を境に、元Jリーガーが続々とクリアソン新宿のユニホームをまとっている。
元横浜F・マリノスの小林祐三、元浦和レッズのGK岩舘直、元ジェフユナイテッド千葉のMF伊藤大介、元FC東京の森村昂太、元大分トリニータの黄誠秀(ファン・ソンス)、元栃木SCの瀬川和樹、元カマタマーレ讃岐の池谷友喜……。
元プロ選手の在籍が増え、Jリーグ百年構想クラブに認定されたことで、現役Jリーガーからのアプローチも増えてきた。
しかし、戦力がアップすれば誰でもいいというわけではない。選手獲得にはかなり慎重な姿勢を取っている。
あくまでも「文化や価値観に合う選手」
「クリアソンの文化や価値観と合う選手じゃないと。だから、誰からの紹介なのかは大事にしています。逆に、採用の時期にバタバタしないように、今のうちからいろんな選手と繋がっておいて、パーソナリティを理解したり、クリアソンを理解してくれているのか確認しておきたい。今日のような取材を通じて、他のクラブとは違うんだな、と感じてもらえる情報を出していきたいと思っています」
実際、井筒とは彼が大学生のときからの知り合いで、井筒の考え方や人間性を理解したうえで、丸山自ら声を掛けた。小林も旧知の仲だった。
選手の獲得方法が独特なら、選手との別れ方はもっと独特だ。
現在のクリアソン新宿にプロ契約選手はいない。井筒ら元Jリーガーは大半が株式会社Criacaoで働く社員選手だ。
ほかに、他企業で働く者もいれば、現役の大学生もいる。
しかし、Jリーグに昇格すれば、プロ契約選手を保有しなければならない。
「J3に行けば、3人以上プロ契約しなきゃいけないんですけど、プロになっても副業で働けばいいんじゃないか、ということは本気で考えていて。クリアソン新宿の選手たちは株式会社Criacaoの事業との親和性が高いですから。また、今も、Jリーグに昇格してからも、選手にクビを宣告しないと決めています。会社やクラブの理念は中長期スパンで達成するものなのに、選手とは1年契約って厳しい話じゃないですか。もちろん、スタメンの11人に入るかどうかは監督の判断だけど、スタメンに入れないからクビという考えはない。たとえケガをしていても、社員や仲間としてやってもらいたいことはたくさんありますから」
その結果、練習場である落合中央公園に100人の選手がいる、といった状態になるかもしれない。
「それも楽しんじゃいそうな気がしますけどね(笑)。引退しても本人が望むなら株式会社Criacaoの事業スタッフとして残るケースもあると思います。そもそも、そうあってほしい人間に仲間になってもらっているので。ラグビー選手と話すと、チーム愛がすごく強いんですよね。それって、この構造からきているんじゃないかなと。それをサッカーに持ち込みたいと言うと、サッカー関係者から『それは綺麗事だよ』と言われるんですけど、それならなおさら、やったほうがいいなって。そういう雇用形態にもチャレンジしたいと思っています」
クリアソン新宿は壮大な目標を掲げている。
2026年に世界一になること――。
・2021年にJFLに昇格
・2022年にJ3に昇格
・2023年にJ2に昇格
・2024年にJ1に昇格
・2025年にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得
・2026年にACLを制して、クラブW杯で優勝
「1年1年、そのカテゴリーで最上位を目指すことを僕らはやり続ける。その結果、2026年に世界一になる。関東リーグ1部で1年足踏みしたので、当初設定していた2025年から2026年に修正したんですけど、その目標は大事にしたい一丁目一番地ですね」
自分たちの取り組みの価値を広げるためには、カテゴリーを上げることで拡声器の音量を上げていく必要があるからだ。
と同時に、サッカーで勝つための戦略を、そのまま会社とクラブの理念に落とし込んでいるという自信もある。
「いろいろなクラブの方と話していると、勝ち負けやいい選手を補強してチームを強くすることを重視しすぎているんじゃないかと。勝ち負けと同じくらい大事なものがあるし、うまい選手を獲得する以外にもチームを強くする方法がある。サッカーはミスが起こりやすいスポーツなので、いろんなことに興味や関心を持てて、気づける人間のほうが状況判断に優れているんじゃないか、人を大事にできる人間のほうが窮地で力を発揮できるんじゃないかと。チーム内の信頼関係や組織の心理面の醸成も含めて、そういう戦略でいくと世界一が取れるんじゃないかと思っています」
そう語った丸山はにっこり笑って、こう続けた。
「そんなクラブが世界一になれば、地域の人たちも、ステークホルダーの方々もハッピーだし、何より自分たちもハッピーじゃないですか」
サッカー界では突飛な雇用形態も、それが最も勝てる組織のあり方だと信じているからチャレンジするのだ。
「もちろん、綺麗事を疑う瞬間もありますよ。目標が達成できないときには、もっとこういう要素が必要なんじゃないかって、常にアップデートしています。ただ、綺麗事を捨てたら、人間、なんのために生きているのか分からない。生きているからには綺麗事を目指すのは当たり前だと思うんです。自分の限られた時間を投資するなら、最も価値があり、最もいろんな人を幸せにするものに投資したい。そこがブレたら、選手も付いてきてくれないでしょう」
世界一と言うと、あまりに遠い目標でピンと来ないかもしれないが、目の前の試合に勝つ確率は決して低くない。それを次々とクリアして、近づいていくだけの話なのだ。
「どんどん成し遂げていくと、どんどん近づいていって、確率も上がっていく。僕らはそこに向けての戦略を持っているつもりだし、その戦略に乗っているので、難しいも何も、これで行くしかないんです(笑)。しかも、それなりに筋がいいと思っています」
関東リーグのレベルで何を言っているんだ、と思うかもしれない。
しかし、関東リーグより下のカテゴリーに属するチームにとって、クリアソン新宿の戦略は成功のモデルケースになっている。
なにせ昇格2年目にして「地獄」と称される激戦の関東リーグ1部を制してしまったのだから。それも怒涛の11連勝を飾って――。
「地獄」を勝ち抜いた先にある「地獄」
リーグ戦終了から約1カ月後、クリアソン新宿はネクストステージを懸けた戦いに臨む。
JFL昇格につながる全国地域サッカーチャンピオンズリーグである。
関東リーグは実力伯仲という意味で「地獄」と呼ばれるが、かつて「地決」と略されていた地域CLはスケジュールが過酷なために「地獄」と称される。
1次ラウンドは3日間で3連戦が組まれ、10日後に行われる決勝ラウンドは中1日の試合間隔で3試合を戦う。これでも以前より緩和された日程なのだ。
全国9地域を勝ち抜いてきた12チームの中でJFLに昇格できるのは、0~2チーム。地域CLで上位2チームに入っても、JFL下位との入れ替え戦に敗れれば昇格できない。
コバルトーレ女川、おこしやす京都AC、FCバレイン下関と戦うクリアソン新宿の1次ラウンドは、11月12日に岩手のいわぎんスタジアムで開幕する。

