“サッカー人として” 三浦知良

2021年10月08日(金)

無理を普通にできる人

 

 エンゼルスの大谷翔平さんは、自分の信ずるところがとにかく変わらない人なんじゃないだろうか。

 

 

 「打者に専念した方がいい」「いや投手だけで」などと意見はあっただろうし、プロで、ましてや大リーグで両方やるのは難しいというのが常識や通説だったはず。でも僕が会って話したときにもこう言っていた。

 

 

 「もともとみんな子どものころからバッターもピッチャーもやっていて。野球はそういうものでは。子どものころも、今も、これからもそうやっていきたい」。

 

 

 そこにスタンダードがあるわけで、そんな大谷さんからすると「自分としてそんな驚くことはやっていない」となる。「みなさんもできるはず」と言いそうな気もする。今季の足跡はすごい偉業なのだけれど、本人のなかでは至ってシンプルで「普通」なことというか。

 

 

 常識とされていたことがそうやって覆されていくのが楽しく、プレーに一喜一憂させてもらえる。一本のホームラン、一つの勝利に通常の倍以上の価値があるよ。見本が一つできると常識も変わっていく。倣おうとする人も出てくる。夢以上のものを与えてもらっているね。

 

 

 「無理はできる間にしかできない。できる限り無理をしながら翔平にしか描けない時代を築いていってほしい」といったエールをイチローさんが送ったという。そういえば昔、そんな話でイチローさんと意気投合したことを思い出す。無理しないと無理はできなくなる、と。

 

 

 失敗のリスクは頭に入れつつ、無理をしても壊れないものをつくれたとき、より大きな価値を生み出せたという実体験が僕にもある。すべてをセーフティーにやっているだけでは、たどり着けない景色があってね。

 

 

 盗塁もする大谷さんに「無理しなくても」と思うときもある。投手だったら力を温存する方がありがちのような。でも大谷さんのなかでは、走れるタイミングだから走るというごく自然なこと、無理でなく「普通」の境地なのだろうね。

 

 

 練習で追い込みすぎるたちの僕は「無理しないでたまには休んだら」と昔から言われてきた。そのたびに「やめたら休めるわけだから、やめるまでは休まないよ」と、今に至る。無理もいつかはできなくなるとしたら、できるうちにやっておくよ。やすきに流れかねない自分にも負けたくない。「できる限りの無理を」は、僕にとってもテーマです。