早稲田大学。

中村亮介、中谷颯辰、小山尚紀、草柳祐介、泉颯

この3年で5人目のシズガクサッカー部OB。

早稲田はア式だけじゃない。

道はいろいろ、人生ここから。がんばれ!



【#Real Voice】 
「大学でサッカーを続ける理由」 1年・泉颯

早稲田大学ア式蹴球部
2021年9月20日
こんにちは、基幹理工学部1年の泉颯といいます。私は今回初めてブログを書かせていただくので、あまり上手くは書けないと思うが、最後まで読んでいただけると幸いです。今回は、私が大学でもサッカーを続けた理由について書こうと思う。

大学が決まった時、私は大学でもサッカーを続けるのか迷っていた。高校の同期が大学進学と同時にサッカーをやめていき、私もやめようかなと思う時期もあった。その時、私がサッカーをやっている意味って何だろうと考えた。プロになりたいわけでもない。サッカー関係の仕事に就きたいわけでもない。始めた理由も誰かに憧れていたというわけでもなく、ただ友達がやっていたから始めただけ。では一体何のために大学でもサッカーを続けるのだろうか。

その答えは、高校サッカーを引退してサッカーというものが日常からなくなったときに見つかった。

高校サッカーを引退してア式蹴球部に来るまでの2ヶ月間、その期間はものすごく退屈な日々だった。大学は決まっていたので受験勉強などはしなかった。時間はたくさんあり、友達ともいろいろなところへ遊びに行ける。しかし、何か物足りない日々が続いた。そんなときふと思った。サッカーが日常からなくなると全力で楽しめない、自分からサッカーがなくなると退屈な日々が訪れると。そのとき、私は自分がサッカーをやる理由、大学でも続ける理由が分かった気がした。

その理由とは、私はサッカーが好きだということ。そして、サッカーは私が夢中になれるただ1つのものということだ。

今考えると、幼い時に水泳やピアノなどいろいろな習い事をやってきたが、ほとんどは1年もたたないうちに飽きてしまい、やめてしまった。その中でも11年間うまくいかない時や辛い時もあったが、飽きてやめたいと思わなかったのはサッカーだけだった。そう思うと、私はただ気づいていなかっただけで、幼い時からサッカーに夢中だったのかもしれない。

今、ア式蹴球部でサッカーをしていてとても楽しい。先輩方は優しいし、周りの人はみんなうまい。うまくいかないことや思い通りにならないことはたくさんあるが、大学でもサッカーを続ける選択は正解だったと思う。

サッカーをやっている時だけは、大学の課題やめんどくさいこと、嫌なことを忘れて気持ち良くいられる。ここまで夢中になれるものはこの先もうないと思う。こんなに夢中になれるものを若いうちに見つけられてよかった。大学を卒業してもサッカーを続けるかはわからないが、先のことは気にせず、目の前のことに全力で取り組んでいきたい。

◇泉颯(いずみはやと)◇
学年:1年
学部:基幹理工学部
前所属チーム:静岡学園高校

https://note.com/wasedasoccer/n/n97db834c6e36

 

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「中途半端なプライドは何の役にも立たない」 1年・中村亮介

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早稲田大学ア式蹴球部

2019年9月22日 19:05

 

 

 

平素よりお世話になっております。

本日のア式日記を担当させていた人間科学部1年の中村亮介です。

 

 

 

こんなはずじゃなかった。

高校3年間を終えた感想はこれだった。

 

一貫校出身ということもあり、高1の時からBチームに入れてもらい、トップチームに絡む機会もあった。

 

来年には試合に出れる。そう思っていた。でも、そんな甘い世界じゃなかった。

 

2年になっても、3年になっても試合に出ることはできなかった。

 

理由は明確だった。自分は高校に入ってからサッカーから、挑戦することから逃げていた。

 

特に1年の時は周りからどう思われているか、ミスしたらどうしよう。毎日そんなことを考えて練習していた。

 

どんどんプレーが消極的になっていく。ミスしないように、怒られないように先輩の顔色を伺いながらサッカーをしていた。

 

公式戦に出られても、ボールをもらったら、すぐパスコースを探してそこに出す。それでホッとしていた。

 

当然大好きなサッカーが楽しくなかったし、毎日消極的なプレーばかりしていて成長できるはずがない。

 

自分でも分かっていた。このままじゃダメだ。変わらなきゃ。毎日サッカーノートにそんなことを書いていた気がする。

 

でも、グラウンドに行くといつもの弱い自分がいる。変われなかったというより変わらなかったんだと思う。その方が楽だから。

 

挑戦しなければ下手くそな自分を見なくていいから。やればできるって心のどこかで思って安心できるから。

 

「お前のその中途半端なプライドはクソほど役に立たない」って高2の時、興龍先生に言われた。ぐさっと来た。

 

その日の練習中、興龍先生に熱く語りかけられて、大号泣しながら練習していたことは一生忘れないと思う。

 

周りの選手が成長して試合に出ている中、どんどん取り残されていった。焦りからか怪我が増えていった。

 

気づいたら3年間試合に出ずに終わっていた。自分が情けなかった。

 

このままサッカーやめたら後悔すると思った。この3年間何も残せてない。これまで支えてくれた人を裏切ることになる。

 

大学の4年間が自分にサッカーと本気で向き合えるラストチャンス。毎日全力でやる。

悔いのないように。

 

拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

中村 亮介(なかむら りょうすけ)

学年:1年

学部:人間科学部

経歴:静岡学園中学校→静岡学園高校

 

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「感じる」 1年・中谷颯辰

 

2020/10/14

 

こんにちは。今回部員ブログを担当させていただく、基幹理⼯学部1年の中⾕颯⾠です。

 

⾃分でも何を書いているかよくわかりませんが、最後まで読んでいただけると幸いです。

 

私はよく「何も考えてないだろ!」と冗談半分で⾔われる。そう⾔われた時はいつも「いや、しっかり考えてますよ」と、とりあえず答える。実際のところ考えていないわけではないが、それよりも感覚的なところを優先してしまう。論理的にああだこうだ説明されてもそれが正しいかどうかもわからないし、⾔葉で説明するのと実⾏するのは全くの別物だから、最終的には『こんな感じだろう』という感覚で物事を捉えてしまう。

 

 

⼩さい頃からそうだった。幼稚園の先⽣や親の話のポイントを感覚的に理解する能⼒が⾼かった。だから、話を聞けば難しいことでも意外と簡単に実⾏することができた。逆に⾔えば、説明されたことを感覚的に理解することで応⽤⼒が広がる。それだけでなく、いろいろな⾓度から物事を⾒ることができるようになった。

 

この今まで⽣きてきた中で培ってきた感覚が⾃分と近い⼈とは話が合うし、すぐ仲良くなれる。逆に、感覚が⾃分と遠い⼈とは少し喋っただけでも違和感を感じる。だけれども、その感覚が普通だとか、異常だとか判断するのは難しい。実体験で⾔うと、私が⾼校2年時に理系に進んだときの話だ。理系が得意な⼈は⽇常会話の中でも論理的に話すことが多い。それを、私は側から⾒て感覚的に異常だと感じた。しかし、理系クラスの中ではそれが正常な感覚であって、逆に私が異常なのだ。このように感覚の正常・異常は環境によって異なるからである。

 

感覚はその⼈が暮らしてきた環境によって作り出される物事を判断する探知機のようなものだと思う。特に、⼩さい頃の環境や経験が感覚に⼤きく影響すると私は考える。⽣まれた頃は全てが⽩紙の状態なので、ほんの⼩さな出来事でいろいろな感覚を覚えるからだ。⼀卵性双⽣児が遺伝⼦的に同じで、ほとんど同じ時間を過ごしているにも関わらず、成⻑する過程で少しずつ違う経験をすることによって、好きな⾊、好きな⾷べ物、やりたいこと、将来の夢がそれぞれ異なるように。

 

だが、このような感覚の違いがあるからこそ、私たちの⽣活は楽しくなる。感覚の違いによって、話題が⽣まれ、そこから他との感覚の共有・理解が始まり、その⼈に魅⼒を感じたり、またはその反対だったり。

 

これはサッカーにおいても同じことだと思う。チームによって掲げている⽬標やスタイル、戦術は様々である。もちろん、チームの中でも「今のはこうだろ」とか「もっとこうしてほしい」とか個⼈個⼈思うことはある。そのために練習があると私は思っている。今まで異なる環境で異なる経験をしてきたメンバー各々が持つ感覚を、練習というものを通してすり合わせていく。そして、各々が持つ数多くの感覚の中に共通の感覚が増えていく。それがチームの⼒に⽐例する。

 

最後に、夢の話で終わろうと思う。

 

私の夢はプロになること。⼩学校の頃は何も考えずにサッカーを楽しんでいた。中学校になり、プロを意識するようになり、プロに⾏けると⾔う感覚があった。そして、⾼校は静岡学園に進学。もちろんプロを⽬指していた。でも、普通に主⼒でやれてはいたものの、プロになれるという感覚は弱くなっていた。しかし、⾼校サッカー最後の2ヶ⽉は怒涛だった。全国⾼校サッカー選⼿権である。今まであれほど⾃分が感覚を研ぎ澄ましたことはなかった。すべて分かる、感じる。視界に⾒えていないものが⾒える感覚、この次に何が起こるのかわかる感覚が確かにそこにはあった。そして、決勝戦。いつも⾃分は試合前に冗談で「今⽇俺、〜点とってくるわ」とチームメイトに⾔う。もちろん、決勝戦の前にも⾔った。だが、それは冗談ではなかった。結果的に⾃分は決勝点を含む2ゴールをあげ、チームは全国優勝を果たした。決勝ゴールについて記者の⽅やテレビ関係者の⽅々によく聞かれる。「あの形は練習していたんですか?」「どうしてあんなにフリーだったんですか?」と。特に練習はしていないし、何でフリーだったかもわからない。ただあの時勝⼿に体が動いただけだ。だから私は「感覚です」と答える。あの声援が⽌まないスタジアムの中では、戦術の変更はもちろん、選⼿は3メートル間でも声は届かない。その中でチームのメンバーの中で共有されていた様々な感覚が結びついた故の3ゴール、勝利だった。

 

あの1試合が終わった時、まだやれる、プロになれるという感覚がまた強く蘇ってきた。感覚は最終的に確信になる。⾃分のプロになれるという感覚が⼀歩確信に近づいた。

 

そして、現在ア式蹴球部に所属している。ここには私と違う感覚を持った⼈がたくさんいる。ワクワクする。⾃分の中にまた新しい感覚が⽣まれる。他の⼈に⾃分の感覚を共有することもできる。私はこの環境で、より優れた感覚を培う。サッカー、⼈間的な部分ともに。

 

感覚が確信に変わるまで。

 

◇中谷颯辰(なかたにそうしん)◇

 

学年:1年

 

学部:基幹理⼯学部

 

前所属チーム:静岡学園高校