歴史の堆積が壁を破る道になる

 

“サッカー人として” 三浦知良

 五輪が延期されてからの1年間、アスリートの皆さんの心には大きな穴が開いていたことと思う。目標が遠ざかったショック。開催されるのか、そこまで気力が持つのかという不安。尋常でない努力と練習のいくらかがメダルという形で報われたとしたら、ありったけの敬意を表したい。

 

 

 卓球や野球の選手がメダルまであと一歩に迫ったときの、全身からにじみ出る緊張感。見る側にまでのしかかるプレッシャー。日本代表として戦うことの重みを、改めて学ばされる思いです。

 

 

 メダルの数だけ敗者もいる。誰かが金メダルで喜べば、同じ数だけ悲しいストーリーも紡がれている。そんなドラマにも考えさせられた。4位だったサッカー男子の日本は確実に進歩・進化している。だけど「壁」はなかなか破れない。

 

 

 どこかマラソンレースと似ている。6位入賞した大迫傑選手には、2位集団の背中がみえていて、映像だと追いつけそうに思える。でも差はなかなか縮まらない。2位集団もメダルめがけて速度を上げるからだ。僕らもメキシコやスペインをとらえられそうでも、彼らは彼らで世界上位を維持すべく、足を止めてくれない。

 

 

 毎度のことでブラジルは今大会でも勝負にこだわっていた。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)時代、某ブラジル選手は経歴欄の獲得タイトルとして「川崎カップ」と誇らしげに書き込んでいた。同じ市のチーム同士による小さな大会であっても、立派な「優勝」。このブラジル的な執着心は見習いたいね。

 

 

 比べると僕らはまだ甘いのだろうか。3位決定戦後に吉田麻也選手からメッセージをもらった。「W杯でも五輪でも日本は肝心なところで勝てない。真剣に考えるべきときにきている」。

 

 

 ある評論家は「健闘した、で満足するな。それでいいのはアマチュアだ」と語る。「感動をありがとう」の決まり文句で負けた大会が締めくくられることは、ブラジルだとないだろう。負けた者を責めず、手を差し伸べる。日本の美学だと思う。

 

 

 ただし、それがだめで厳しければ強い、という説も安直に過ぎる。選手に突き刺さる悔しさならば痛いほど分かるし、敗者がすべて否定されるのも、おかしい。

 

 

 この夏の悔しさを次の選手、世代へ注入していく。忘れぬよう積み上げる。その歴史の堆積が、壁を破る道になるんじゃないかな。