理不尽と思えるモノに価値がある
自分を見失って、
不満を持った人間が事を為すなどあり得ない。
「自分の待遇の不幸を嘆く」行く先は運のない奈落だ。
場末のスナックで、他人の悪口を肴に酒をかっ食らう中年の背中はさびしい(笑)
自分の挑戦なのだ。自分の人生なのだ。自分が飛び込んだ道なんだ。
他人がとやかくできない固有の勝負なんだ。
言われたことが納得できない?当たり前だ。
「自分が正しくて他人の過ちを探すことに躍起になった脳味噌」には「自分の正当化」しか浮かんでくるわけがない。
「自分の勝負」が入り込む余地がなくなっているだけだ。
自分との戦いの中にいろ。
内なるものを問え。
それが、親が望む「運をつかむ人生」だ。
足りないモノは外から学べ。
苦手な挑戦や、大変な仕事や、見返りのない修行、面白みのない生活の継続から。
聞きたくない苦言から必要なヒントを貪欲に取り込め。
さらに足りない事は本を読め。がむしゃらに外から学べ。
痩身な自分にないモノを加えろ。
反発や破天荒や意気がりは未成年者の幼稚な特権だが、それは夢定めた道にはそぐわない。
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2010.11.29
素質のある選手はわりといる。
可能性のある子どもはたくさんいる。
しかし往々にして、まわりの環境により、ちょっとうまくてスピードのある大人で終わる。
しばらく前に、ある選手と話した。
指導者のある軽い理不尽が許せなくて反発してしまって中に入ってほしいという。
すでに自分自身に「折り合い」をつけており、「自分の対応『も』子どもっぽく間違っていた」というもの。
こたえた内容は以下のような事。「そりゃヤバいな」「『も』なら希望がないな」からはじまった(笑)。
救われるものが何もない、どん底にいると「感じる人間」には、どんな理不尽なアドバイスでも真剣に聞き入れるだろう。そこから抜け出すためには。
もう死んでしまうほどの飢餓と貧困の中では、表面が干からびたおにぎりでさえ、生きる宝物だろう。
今君たちは、自身の努力も含めた環境の中で、8か月の継続的戦いの中で全国に挑戦するところまで来た。
この地点で改めて考え見直すことは何だろう。
現時点の納得しがたいことを受け入れなかったものは例外なくみな落ちていく。
朝練習、自主練習、チャラい生活の拒否、夏の走り、コーチの説教、思い通りにならないサッカー。
自分の思いどおりでないこと納得しがたいことを「なるほどなあ」と正面から謙虚に受け入れて、運が開いてくる。その継続が幸運を呼んでくる。
選手権県大会優勝という山で満足してないなら、自分を見失っていないなら、受け入れて改善しなければならぬ事、継続しなければならぬ事は変わらず山ほどあるはずで、すぐにでも気付くはずだ。
肩書でなく自分に夢や目標を纏(まと)わせろ。
今いる位置など、優勝の結果と喧噪など、浮かれるほどの価値はない。
一つの運や縁が違っていたら、今までの日常で受け入れないモノがあったとしたら、君たちは、この舞台にいなかっただろう。
傲慢が知らず知らず自分を覆い尽くし、それに気づかない人間は、目標をとり違えた人間、チームは、
今はまだ底辺にいて誰も目にもとまらない挑戦者やチーム、
近くでは試合に出れていない「人知れず頑張る男」にすでに追いつかれている。
結果に持ち上げられ浮かれると、継続という宝を失う。
自分に常に理不尽な要求をしろ。
勘違いはオバケより怖い。
世のつまらない人間を見てみろ。
今日も、場末の定位置で、愚痴と妬みを栄養に、目先の小さい餌を追うのに汲汲として、
ありもしない自分を過去の肩書という大風呂敷広げて自分を盛るのに大忙しだ。
男の本懐は、「大人になっても、夢と目標持って信念を貫く素敵な人生は可能だということを証明」することだ。
今、君は、そういう大人になる準備をしているんだ。
それがプロサッカー選手であっても、会社員であっても、違う職業であってもそういう男が歴史を進め日本の危機を救う力になる。
「青春」は歳ではないと井田勝通は言う。70歳からの青春もあると。
同時に15歳の「白秋」もあるんだ。
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県予選まで4番をつけ、生まれ変わり、全国では25番で躍動した松本翼(笑)