静学出身の大島僚太や長谷川竜也など、現在のプレーヤーに継承される静学フットボールの真髄とは何か。

 

 

イメージ 1

 

■相手の意表をついたプレー

 

 勝つことを第一に考えるなら、指導者は子供にドリブルをさせるより、大きく蹴り出させた方が間違いなくセーフティだ。特にDFは大きくクリアするように指示されるケースが多いと思う。それを少年の頃から積み重ねてきたら、蹴ること、パスを出すことばかりに頼る選手になってしまう。それこそが、大人の知恵でサッカーを教えられた弊害だと俺は言いたい。

 

 カンボジア戦で、センターバックの吉田麻也(サウサンプトン)がペナルティエリアぎりぎりのところまで上がってきてミドルシュートを決めていたけど、ああいうのが相手の意表をついたプレーだ。ブラジルでは、チアゴ・シウヴァ(パリ・サンジェルマン)がよくペナルティエリア内に入り込んでシュートを決めてるけど、そういった意外性のあるプレーのできる選手が10人揃っていないと、本当にいいチーム、強いチームにはならない。そこは強調しておきたいところだ。

 

 俺は学園で中学生を教えていたし、今もバンレオール岡部で小・中学生を見ているけど、とにかく15歳までは自由奔放にさせて、頭の中の発想力を鍛えるべき。そのうえでテクニックを完璧にさせるように導かなければいけない。

 

 どんな相手と対峙してもボールコントロールが正確にできれば、スペースと時間を作れるし、アイディアも出しやすくなる。そういう発想で、自分は50年間、サッカーを教え続けてきた。

 

 

■大島僚太や長谷川竜也をプロに送り出すこと

 

 その結果として、川崎フロンターレで活躍している大島僚太、あるいは2016年に川崎入りが決まった順天堂大学の長谷川竜也みたいな小柄で華奢な選手をプロに送り出すことに成功した。

 

長谷川なんかは「体が小さい」「センが細い」と言われて、学園を卒業する時にはプロから声がかからなかったけど、徹底的に磨いたテクニックと創造性を武器に成長し、大学ではユニバーシアード代表で10番を背負うまでになった。

 

その例を見ても、小さい頃にスキルや意外性のあるプレーを叩き込むことがいかに重要か分かるだろう。

 豊かなイマジネーションを持つ選手を生み出すには、やはり指導者の関わり方が非常に大切だ。

 

その指導者の多くが、日本サッカー協会(JFA)のマニュアル通りに教えようとするからタチが悪い。JFAのマニュアルには「技術・戦術・フィジカル・メンタルをバランスよく伸ばす」や「ボールポゼッションの重要性」が書かれているのかもしれないけど、全員に同じことを教えたって意味がない。

 

「フェアプレー」にしても、確かにサッカーをするうえで大切なことだが、ワールドカップで勝とうと思うなら、したたかさや逞しさが必要。平気で相手の足を踏んだり、ユニフォームを引っ張ったりするくらいの図々しさがないと勝てない。

 

そういうことはマニュアル通りの指導からは教えられない。自由な環境の中で、子供たちが自分で考えて工夫していくことで理解するものだ。そういう部分まで大人が介入し、押し付けた結果が、日本代表の最近の戦いぶりかもしれない。指導者は改めて現実を直視する必要があるのではないか。

 

 指導者の問題点をもう1つ挙げると、情熱を持って子供たちを育てようとする指導者が少なくなったことがある。

 

 

イメージ 2

 

■心のスイッチに火をつけるためには、やっぱり情熱だ

 

 サッカー王国と言われた静岡には、藤枝東の黄金期を築いた長池実先生、清水の少年サッカーの土台を作った堀田(哲爾)さん、清水東の勝沢(要)先生、清水商業(現清水桜が丘、以下清商)の大滝(雅良)、東海大一(現東海大翔洋)の望月(保次)といったように、情熱と個性のある指導者が数多くいた。そういう指導者が切磋琢磨しあって、いい選手を育て、強いチームを作ってきた。だからこそ、静岡は日本のサッカーをリードできたんだ。

 

 だけど、最近の中高年代を見ると、自分の生活を犠牲にしてサッカーに全てを注ごうと考える人、ある意味「異端児」とも言うべき指導者は見当たらない。みんなサラリーマン的だ。

 

 それは学校の先生だけじゃなくて、Jクラブやクラブチームで教えているプロコーチもそう。闘争心や負けじ魂といった熱い気持ちのない指導者はパス・ドリブル・シュートと練習を機械的にやっているだけ。そんなスタンスでは、個性を伸ばす、ひらめきを育てるなんてレベルに達するはずがない。

 

 もっと熱くなって子供たちに向き合わないと、熱は伝わらないもんなんだ。

 エビの天ぷらだって、170~180度の油で2~3分揚げるとカラッとおいしく仕上がるけど、40~50度の油に10分入れたってグニャグニャになるだけだ。

 

 その例と同じで、指導者も170~180度の熱で向き合わないと、子供たちは燃えてこない。情熱というのは、何よりも大切な要素だと俺は強く言いたい。

 

 自分が今、教えている岡部のクラブでは、しばしば子供たちに裸足でリフティングボールを蹴らせている。足裏でボールを扱えればプレーの幅が広がるし、何と言ってもボールタッチの繊細な感覚が養われる。子供たちも目を輝かせて取り組んでいる。1時間半の全体練習が終わっても、「コーチ、もっとやりたい」と言って、帰ろうとしないくらいだ。そこまで子供には探求心や好奇心というのがあるんだから、指導者が熱意を持って向き合えば、もっと上を目指すし、貪欲に向上しようとする。

 

 心のスイッチに火をつけるためには、やっぱり情熱だ。

 俺はそのことを、口を酸っぱくして、言っておきたい。

 

井田勝通(いだ・まさみち)