この試合どっちが勝つ?
やってみなけりゃ、わかるはずがない。
どんな試合でもだ。
わかるのは、八百長試合の元締めくらいだ。
勘違い野郎は試合前いつもこういう
「油断しないで行こう」
まさに油断していますという告白だ(笑)。
そして、当然な結果が出てこういう。
「ツキがなかった。審判にやられた。芝も、体調も、天気も、戦術もみんな悪かった」
自分たちに足りなかったことを、終わっても認めない。
いや、認めないどころか気付かない。
自分以外、大切にできない、想像出来ないからそうなのだ。
一方で勝利した相手は、勝ってさらに自分の弱さを探り、相手から学ぼうとするのだ。
それを聞いても勘違い野郎は、「憎しみ」しか浮かばない。
勘違い野郎の不幸は、
勝利の神が、
時々勘違いチームを勝たしてしまういたずらだ。
自分はスゴイと舞い上がって、木に登ってしまうのだ。
一瞬の勝利が永遠の現実とすり替わってしまうのだ。
勘違い野郎の敗北は立ち上がる力とはならない。
勝利のみが幸せなのだ。
敗北はクソなのだから。
快楽が是であり、
苦労は非なのだから。
勘違いの敗北は地獄の奈落の入口。
賢者の敗北は飛躍のスイッチ。
どうやら重要なのは目の前の結果ではない。
結果を受け止めるところにある。