日本(人)であることの誇り

例えば感謝は英語で「Thank You」だが日本人は感謝を「有難い【ありがたい】」と認識するのだ。

それと同様に遠慮という行為にも日本を作り上げた奥深さがある。

 

遠慮(えんりょ)―――遠(とお)きを慮(おもんばか)る

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遠慮とは、遠きを慮ることである。

〝遠き〟には二つの意味がある。

時間的な遠い将来と空間的な広がりである。

よき人間関係を保つにも遠慮は必要で、そのために我々の祖先は、礼という規範をつくった。

時空間の遠きに思いを馳(は)せ、人に対しては言動を控え目にする。

それができる人を大人という。

子供は遠慮を知らない。礼を弁(わきま)えない。

つまり、遠慮を知らず礼を弁えない人は、肉体的には大人であっても精神的には幼児性の域を脱していない人、ということになる。

心したいことである。

いま・ここ・自分の都合だけでなく、遠い将来に思いを馳せ、彼方(かなた)此方(こなた)を慮る。そういう父祖の営みがあることによって、私たちはこの時代の繁栄を生きていることを知らなければならない。

学識の人、小泉信三(慶應義塾大学塾長)にこんな言葉がある。
「日本の国土は自然によって与えられたものではない。長い年月の間に我々の祖先が手を加え造りあげ、我々に伝えてきたものである。土地の開墾、耕作、道路、橋、ダム、港湾……有形のものばかりではない。宗教、道徳、制度、風俗、学問、芸術、その総てを含む日本の文化。これこそ我々が祖先から受け継いで子孫に伝える最も大切なものである」

私たちの住む世界は父祖たちの遠慮の賜(たまもの)なのである。


個人の人生にも遠慮は欠かせない。『論語』衛霊公(えいれいこう)第十五にいう。
「人、遠き慮なければ必ず近き憂いあり」
もし人が遠い将来を見通し、広く周囲を見回して深い思慮を巡らせておかないと、必ず手近なところに憂うべきことが起きてくる、ということである。人間通孔子ならではの身に沁(し)みる言葉である。

二宮尊徳もよく遠慮した人である。有名な秋ナスの話がある。
天保四(一八三三)年の初夏、ナスを食べたら秋ナスの味がした。地上は初夏でも地中はすでに秋になっていると感じた尊徳は、桜町の農民にヒエを播(ま)くよう指示した。果たせるかな、その年は冷害で稲は実らず凶作になったが、桜町では飢える者は一人も出なかった。
尊徳の抜きん出たところは、冷害は一年では終わらないと判断し、桜町の農民に天保五、六、七年と続けてヒエやアワ、大豆を植えさせ、それを蓄えさせていったことである。尊徳の予想通り大凶作は天保七、八年と続いて大飢饉(ききん)となり、全国の餓死者は数十万人にも及んだ。だが、桜町の餓死者は皆無だった。尊徳の深い遠慮が桜町の村民を救ったのである。

我が国の現代にも遠き慮りをされた先達がいる。例えば哲学者の
森信三氏と事業家の松下幸之助氏はこういう言葉を残している。
「二〇二五年になったら、日本は再び立ち上がる兆しをみせるであろう。二〇五〇年になったら、列国は日本の底力を認めざるを得なくなるだろう」――森信三
「これからの日本は精神大国というか、徳行国家をめざして進んでいかなければならない」――松下幸之助

日本がそういう国になるには、一人ひとりのありようが問われる。福澤諭吉の言葉が重なってくる。「独立自尊之(これ)修身」。修身とは一人ひとりが独立自尊することだ、というのである。この前提なくして国の未来はない。そしてその鍵を握るのは教育以外にはない。
二人の先達が示すビジョンに日本を近づけるべく、各人が遠き慮りをなさればならない時が来ている。

致知2015.11