努力のものさし

IDA SOCCER NIGHT SCIENCE

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 「努力」を評価するものさしは、何を用意すればよいのか。それはたぶん、「自分の目標」という目盛りであり、その先端には人生でなりたい自分の姿・夢、生が尽きる時の己の姿が書き込めるものさしだ。日々、一か月、一年を刻む目標の長短の「自分目盛り」が付いたものさしだ。

 努力の評価の基準はそこに据えることが情熱を持って進むのに肝要だ。若者に関わって学ばされたことだ。

 現実に投影するならば、人には個人差があり、得意不得意の分野はそれぞれ違う。

 全国で何万人という同級が技量を成長を争う。いろいろな特性と個性を持った若き選手たちが、チームの目標と、それぞれの目標を持ち、競争し、人として全うする人生の哲学を身をもって学びながら、「努力」を続ける。

 そんな人を育てる。そこに使命がある。

 目標を見出す道を示せるかいなかが育成指導者の資質だ。己の見栄や地位に熱心で、目先の勝利欲しさにいかにも軽い情念くすぶり、涙を誘う友情物語など、子どもだましと彼らを煽ったりゲームの駒にしてはならない。

 短期の敗北や「報われないこと」はたくさんある。無数にある。努力しながらの敗北の連続もまた「崇高な勝利」への力になる。

 中抜きの結果などはいらないし、なんの意味も果たさず、力にもならない。だが、努力は報われるべきだ。彼らも私たちも、気持ちの大部分を使い、時間の大部分を使って自分自身を投下するのだから。

 耳の痛い話だが。

 さらに、己の努力でそれぞれの目標に沿った結果がでることや成功体験をすることは、次のステップ、ふさわしい戦場を得るために、本当に彼らが自分のなりたい姿に近づくために不可欠の要素だ。祖のなかれ彼は戦う真の友人を見出すだろう。

 逆説的な言い方だが、彼らの一歩も引かない目標への思いを引き出す重要さはさらに鮮明になる。きれい事だけで、自分に結果を問わない指導者は自分の見栄が最も大切な指導者と同様、不要だ。

 ちなみに、私は結果が出ないが努力を続ける人が好きだ。応援したいという感情だけではない。それは、彼らが最後の勝利者だからだ。それが育成のポリシーだから。