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IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 「なぜ練習・練習か」 夢に向かう君へ22 こだわった勝負と目標を可能にするために、自覚的練習や生活などの準備をする中で身につくものを求める。 これが競技スポーツの目的。 競技スポーツで勝ち負けは重要だ。勝負に食い下がらず、単に楽しみとしてやる「遊技スポーツ」と「競技スポーツ」は一線を画す。 競技スポーツに関わる選手には、勝ち負けを正面でとらえることが求められる。勝負に徹底してこだわる。ただ長期にわたって勝ち続けるチームや人はいない。そんな競技は余程人気のないそれだ。 一方で、勝ち負けを「目的」としてスポーツをやっているのでは、競技スポーツの本質にいつまでたっても迫れない。勝敗は、「目標」のひとつだが「目的」ではない。 競技スポーツに関われる人生は短い。「こだわった勝負を可能にするために、自覚的練習や生活などの準備をする中で身につくもの」、それが競技スポーツの目的に値するものだ。 「生活が試合に出る」と多くの人たちは語る。深い真理だ。目の前の勝ち負けだけのために特別なことをやっても、それは日常の濃さにはかなわない。目先の手練手管は彼らの未来にマイナスだ。 結果を求めず積み重ねる人の二四時間の努力の継続。それが、真っ当な魅力溢れる人間をつくる。 特別な手練はなにも加えない。誰よりも練習するのは前提。他人より早く起きる、他人よりたくさん飯を食う、他人より真剣に授業を受ける。時に怠けがちな、やるべきことをやりきって寝る。そういう生活の瞬間瞬間こそすべてだ。 授業とか掃除とか自分の衣類の洗濯とか、いつもの自主練習や基礎練習、大切なそういうことを抜きにして勝ちたいなら、勝たない方がいいし、まあ勝てはしないだろう。 大切なことをやりもしないで、策を弄(ろう)したり、妬(ねた)んだり、強請(ゆす)ったりすることは、薄っぺらで卑しい輩の生き方だ。 とにかく「勝ちたい、勝ちたい」病の指導者や選手・親は、選手自身のその先のことを見ていない。サッカーは見栄のための道具ではなく、勝利は目標であっても目的ではなく、栄冠は瞬間のものに過ぎない。人生はもっともっと豊富で、その先に長く続く素敵なものこそが目的である。 競技サッカーの勝ち負けには相手がある。100%の力を出し幸運に恵まれた価値の高い勝利はある。しかし、評価に値しない、全力を尽くさない勝ち、次につながらない結果のみの勝利もある。 目の前の勝利を拾い、その先の多くを失うこともある。一方で、挑戦心にあふれた価値の高い負け、転機を生む負けもまたあるもんだ。優れた対戦相手に恵まれた敗者もある。敗北と引き替えに今後の挑戦の道をはっきりと浮かび上がらす試合は必ず存在する。サッカー特有と言っていい引き分けにも同じように意味がある。 特に育成年代のチームは「その結果」に一喜一憂してはなり立たない。誤解を恐れず言えば、選手のサッカーをやる目的がずれているなら、チームのその勝利は負の意味を持つ。 ひたむきにがんばってもすぐには叶わないのが世の常だ。「上には上がいる」ことを認知し、敗北を受け入れる器を持つこと。そして対戦相手に対する尊敬。それらが大切なんだ。 勝利がかなって勘違いするのは、目的が不純であるということ。真の目的を見失うな。「こだわった勝負・目標を可能にするために、自覚的な練習や生活などの準備をする中で身につくもの」それこそ長い人生を生きようとする君が見つめるべき目的である。勝利は一瞬、未来は長く続く。 だからこそ、ここのキーワードはいつも通り「練習」なのだ。 |

