【見えていないということがみっともないのだ】
2015.12 プレミア昇格を逃した日

「内容では勝っていた」「あの判定が無かれば負けなかった」「あんなサッカーで勝って意味はない」なんていう人がいる。
そう思っている人間はたくさんいる。
どうですか?
それは本当にみっともないこと。
勝とうが負けようが結果はどうであれ対戦相手を、その努力を、 正当に称える事ができるまともな人間になること。
自分の知らない人たちの苦労や相手の難しい環境での努力があることを認知する事。
そして特に、自らの負けを認める潔さこそ前進の力だ。
強くなり、常に優勝を目指せるチームになる、勝利を引き寄せるチームになる力は実はそこにある。
毎年強くい続けるには敗北への潔さこそ必要だ。そして勝っても勘違いしない目線。
そこが難しいから、1年2年強いチームはいるが、常に強いポリシー持ったチームは少ないのだ。
見えていないこと、視野が身内しか照らさず、偏狭な事は不幸なことだ。
親の仕事ははっきり子に自覚を促すこと。
結果を受け入れろと。
勝つには足りなかったことが多いということを。
負けが問題ではない。
受け入れずに負けを繰り返すことこそが問題だということを。
勝ちはお前の力ではないこと。
そこが見えないからお前は勘違いなままだということを。
わがふりを正せ。
この30年以上続く静学サッカースタイルに誇りを持っているならばなおさら、 このスタイル貫徹し相手を打ち破れなかった負けを、 スタイルの表現を勝利に昇華できなかった、 発揮しきれなかったことに向き合え。
醜い言い訳、負け惜しみを排除し、敗北を認めること。
昔、まだ○○大学が強烈に強かった頃、 「あんな縦ポンサッカーが勝っているようじゃ未来はくらい」 と俺が吐いた時、 隣にいたJスカウトがポツリとこういった。
「○さん。そうは思います。けれど、自分たちの責任は脇に置いて、縦ポンスタイルに高校大学で10年以上勝ちを譲っているチームの責任でもあるんですよ」と。
これは効いた。