与えられた人生を懸命に生きる。そんな人を尊敬する。 2015.04
********
ちょっと強いと言われるサッカー部で試合に出たら自慢。
事故で障がいをおった人はかわいそう。
いい大学出たから誇らしい。
災害で家を失って、家族を亡くした人はお気の毒。
出世したら未来は明るい。
親戚が有名人(笑)でちょい自慢。
それって何か大きく間違っている。
幸せと不幸のスイッチが間違っちゃってる。
「私の息子はすごいのよ」
と自慢することが恥ずかしく、不幸な人生だ。
「障がいをかかえ頑張る人のがんばり」に負けない生き方を努力しないで、
「かわいそう」と上から見たり思うことが貧しいく、不毛な人生だ。
前向く人たちの美しさが見えていないのだ。
そして自分の愚劣さがわかっていないのだ。
「いい大学出たから、出世した」という肩書きで判断する、
その思考が軽薄で、虚しい人生だ。
「災害で家族や財産亡くした人が力強く生きる」人々に、
その力強さに心寄せて、
自分自身が今の現実に逃げないで懸命に生きるか問えないで、
「気の毒」にと一瞬でも思うことが、
「なにかしてあげようか」と恐ろしい言葉を口にすることが、
人としての絆のない、道なき自己中な人生だ。
まともな人は、
まわりの人の裕福や身分や美貌をうらやまないし、
決して、
まわりの人の不幸や困難を他人事で同情しないし、蔑まない。
幸運をうらやんだり、不運を同情したり、
人を様々な違いでさげすむ感情を持ったり、
個性を区分けして差別する感情持った人生こそ、
悲しく、空虚な人生で、唾棄すべき人だ。
そのことを肝に銘じて生きると人生で学んできた。
俺は、はやく女房をなくしたが不幸ではないし、
息子は年齢にそぐわない高額な収入の証券マンと医者になったが、
そのことは特別に幸せなことではない。
幸せは、自分と家族が各々に与えられた人生を、
誠実に歩いているかどうかで決まるのだと思う。
そういう意味では俺はすごく幸せだ。
ついでに、
巣立った多くの彼らたちが運命に従って、
負けないで雄々しく歩んで欲しいと、
懸命にもがいて他人に優しく奥ゆかしく生きて欲しいと、
切に切に願っている。
それは彼らの3年間、
彼らにとっては一瞬で、
大したことのない小さなお手伝いだが、
俺にとっては貴重なありがたい仕事をさせてもらっているからだ。
そんなちっちゃなことが、
自分に与えたれたライフワークであると、
愚かにも(笑)自分は考えているからだ。