〈スマホの使い方〉 2017.02
誰がスマホで何をしようと、どうしようと、それはそれだ。
情報を手に入れること。
スマホは革命的な武器となりその役割と可能性は刻々と広がっている。...
その役割を多くの人も強調するし、
人の生活向上に
極めて役立つモノになっている。
だが、
その得た情報の正誤の判断も、自身の理解・判断力、個人の能力にかかっている。
「責任」「社会性」のフィルターを通していない情報も多いからだ。
だから妬みと揶揄の暴露の場ともなる。
SNSなどもそうだ。
匿名性ある場所は「秘匿性を演じた黒い噂の流布」
「恣意性の強いねじまげられた事実の垂れ流し」の場となっている。
意識された判断なしで、
その情報を脳内に取りこむことは、
自分の脳の潜在印象となり判断を誤らせ、
そして、思考が濁る。
「秘密と嘘は蜜の味だ」とする思考が巣食う。
一種異様なグレー世界がそこに広がり心に浸潤する。
このきわめて簡単に接触できる行為は
クソミソではなく、
そこに参加する目的をよく考え、
選択したものであること、
それは
個人の認識・良識、自覚にかかっている。
整理されない情念に基づく情報や意見・プロテストは、その手軽さを使い独り歩きし、マイナスの炎を上げる。
井戸端会議よりマッチポンプするには広大なステージだ。
こういってはなんだが、
もちろん悪罵を書き込む人の事情も心情もあるのだろう(笑)
現実離れて独り、そんな日もあるのだろう。
でも問われているのは
便所の落書きをあなたはしますか?
ということ。
子どもの頃、「他人の悪口を言わないこと」をしつけする家庭は
あたりまえの景色だった。
まともな人なら、
悪口を言わないことと同様に、
情報発信であっても匿名性をよいことに書き込むことをしないのは
コミュニケーションの前提だ。
陰口好きな人は絶対に信用されないもの。
匿名掲示板はスマホ時代になり衰退し続ける。
反応しないこと、そして見ないことを始め
人は賢明になっていく。
もう少し言えば、
匿名性のある所に書き込むこと、
万一それが誠実な情報でも書き込む行為自体に
不純な意図がある。
たとえば、非公開なことはたくさんある。
その暴露とは、
ただ一つ言えることは、ある人が言ったことだが、
内部の非公開情報が個人の情念の枝葉をつけて漏れる組織は、
明確に支える側に問題がある
一流になれない「低級」なところだ。
その構成員のレベルの低さでプロテクトできない組織が
まっ正面に「目標」や「使命」に向かえるわけがない。
むしろ、
そこをサポートする人々を見た方が
その組織の質が正しく判断できる。
良き組織・レベル高いところは
重要情報は漏れない。
なるほどと深く思い至った。
せっかくの文明の英知。
役立つ使い方をしたいものだ。
