静学スタイルで頂点へ 源流はブラジル
 30日に開幕する全国高校サッカー選手権に県代表として挑む静岡学園。その代名詞はテクニックを前面に押し出す攻撃的なサッカー「静学スタイル」だ。1970年代から変わらぬスタイルの源流は、サッカー王国ブラジルにあった。
 午後5時ごろ、静岡市駿河区谷田の静学グラウンドでは、選手が巧みにリフティングしながらコートを歩いていた。「下手な練習は駄目だ。テクニカルにやろう」「技術が足りない選手は大事な局面で勝てないぞ」。川口修監督(46)の声が響く。
 体中の部位を使ってボールを落とさないように扱うリフティング。基本練習を選手たちはボール回しにも織り交ぜる。様々なリフティング練習に40分以上を費やし、最後はドリブルで走り込み。この日の練習では、ボールを使わないメニューは1つもなかった。
 「自分で状況を判断し、決断していくのがサッカー。技術がないと、試合中の判断力、積極性、アイデアも生まれない」。川口監督は話す。
 静学サッカー部は1967年に創部。72年に井田勝通さん(77)が監督に就任した当時、日本サッカー界は変革期を迎えていた。64年の東京五輪代表を指導するために来日し、後に「日本サッカーの父」と呼ばれるドイツ人、デトマール・クラマー氏の影響で、欧風サッカーが主流だった。
 井田さんは選手の個性を育てながらチームを強くするスタイルを模索して渡欧。ドイツ、フランス、イギリス、オランダと強豪国の育成現場を見て回った。オランダの名門アヤックスの練習場には、若き日のヨハン・クライフがいた。「体の大きさやパスワークの速さを基にするサッカーは日本人に合わない」。そう直感した。
 スタイルを模索しながら挑んだ76年度の静岡大会で優勝。全国大会でも決勝まで進んだが、浦和南に敗れた。大会後、井田さんは高校選抜チームの選考会にコーチとして参加した。その時、隣のグラウンドで練習していたのが、ブラジルの名門コリンチャンスに所属した元プロ選手の日系2世セルジオ越後さんだった。
 技術力が光るプレーに目が止まった。「これが本場ブラジルのサッカーか」。井田さんは、セルジオさんを静学の練習に招いた。「選手のテクニックやインテリジェンス(知性)を生かす方が日本人に向いている。ブラジルのラテンサッカーで勝負する」
 欧風のサッカーを推し進める日本サッカー協会からは批判を浴びた。「富士山の頂上を目指すには、違う行き道もあるだろ?目指すところは協会と同じだと言った」。井田さんは笑う。
 ラテンサッカーを学ぶため、井田さんは毎年、ブラジルに出向いた。80年代半ばからは、本場を肌で感じるため選手をブラジルにサッカー留学生として送った。その頃、静学の門を叩いたのが、三浦知良選手(52)だった。「ブラジルサッカーのすごさを体感してこい」。井田さんの一言が、三浦選手のブラジル行きを後押しした。その後、ブラジル流サッカーで鍛えた70人以上がプロの世界に進んだ。
 大会を控え、選手たちは士気を高める。阿部健人主将(3年)は「自分たちのサッカーを全国の舞台で表現する」。鹿島アントラーズに入団が決まっている松村優太選手(3年)は「自分たちの技術を生かせれば、全国の強豪とも渡り合える」と自信をみせる。
 「今までやってきた静学のスタイルを貫き、見る人を魅了するサッカーで全国の頂点を狙う」。川口監督も変わらぬスタイルで指揮を執る。
(朝日新聞12.23)