自分の思いどおりでないこと納得しがたいことを「なるほどなあ」と謙虚に受け入れて、運やまたは縁が開いてくる
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素質のある子どもがたまにいる。しかしおうおうにして、まわりの環境により、ちょっとうまくスピードのある大人で終わる。
昨日、ある選手が連絡してきて話す。
指導者のある軽い理不尽が許せなかったという。すでに自分自身に「折り合い」をつけており、「自分の対応も*子どもっぽく間違っていた」というものだった。
答えたのは、そんなんじゃムリだ。「自分も悪かった」の「も」じゃな。自分の存在が見えてない子供だ。そして頑張っても認められないならお前は頑張れないダロ。だからお前はダメなんだ。
救われるものが何もないどん底にいると感じる人間には、どんな理不尽なアドバイスでも真剣に聞き入れるだろう。そこから抜け出すためには。
もう死んでしまうほどの飢餓と貧困の中では、表面が干からびたおにぎりでさえ、生きる宝物だろう。
今君たちは、君たちの努力も含めた環境の中で、半年の継続的戦いの中で全国ベスト8まで来た。
この地点で改めて考え見直すことは何だろう。
現時点の納得しがたいことを受け入れなかったものはみな落ちていく。
朝練習、自主練習、チャラい生活の拒否、夏の走り、コーチの説教、思い通りにならないサッカー。
自分の思いどおりでないこと納得しがたいことを「なるほどなあ」と謙虚に受け入れて、運やまたは縁が開いてくる。
全国ベスト8という仮の姿をまとわない自分だったら、受け入れて改善しなければならぬ事は変わらず山ほどあるはずだ。
肩書でなく自分に夢や目標を纏わせろ。
今いる位置など、ベスト8の結果など、浮かれるほどの価値はない。
一つの運や縁が違っていたら、受け入れないモノがあったとしたら、君たちは、この舞台にいなかっただろう。
傲慢が知らず知らず自分を覆い尽くし、それに気づかない人間は、目標をとり違えた人間は、今はまだ底辺にいて誰も目にもとまらない挑戦者、近くでは試合に出れていない「人知れず頑張る男」にすでに追いつかれている。
結果に浮かれると継続という宝を失う。自分に常に理不尽な要求をしろ。
世のつまらない人間を見てみろ。今日も、場末の定位置で、愚痴と妬みを栄養に、目先の小さい餌を追うのに汲汲として、ありもしない自分を過去の肩書という大風呂敷広げて詐称する。
大人になっても、夢と目標持って信念を貫く素敵な人生は可能だということを証明しろ。
そういう大人になる準備をしているんだ。
それがプロサッカー選手であっても、会社員であっても、違う職業であっても歴史を進める。
「青春」は歳ではないと井田勝通は言う。70歳からの青春もあると。
同時に15歳の「白秋」もあるんだ。
再掲載
