京商会頭――奉仕で真の京都人に 伝統産業復興へ一肌脱ぐ
京セラ名誉会長 稲盛和夫(26)


 1994年(平成6年)の暮れ、京都商工会議所の会頭だった塚本幸一ワコール会長に呼び出された。「京都の建都1200年事業も滞りなく終わったし、ここらで会頭職を君にバトンタッチしたい」

 当時、私は副会頭だったが、会議にはほとんど出ていなかった。財界活動は自己顕示欲の強い人がやるもので、自分には関係ないとこの話も即座に断った。塚本さんは「会頭人事は京都の経済界の浮沈にかかわる。なりたい人がなればよいというのは大きな心得違いだ。自分の会社ばかりが大事で、地元のために奉仕するのがそんなにいやか」という。

 これにはカチンときた。社会貢献というなら多くの実績がある。その上、「京セラがここまで立派になるには有形無形に京都の人々のお世話になったはずだ。もういい加減に恩返しする時ではないか」といわれて覚悟を決めた。

 95年1月に会頭に就任、任期途中だが、今年2月に退任するまで6年間務めた。日本商工会議所(日商)の副会頭も兼務となり、片手間仕事とはいかない。実際、京都は問題が山積していた。

 京都経済は西陣織や室町に代表される和装産業が大きな比重を占めていた。生活慣習の変化に伴い、和装着用の機会が減り、売り上げが極端に落ち込んでいたため、京都商工会議所から全国の産地に向けて「きものサミット」の開催を提唱した。産地の方々に集まってもらい、和装を後世にどう伝えていくべきか、和装業界をいかに活性化すべきかを議論した。

 京都は神社仏閣をはじめ、歴史的な観光資源に恵まれている。そのために、傲慢(ごうまん)になっている面があった。そこで、まず汚れた街をきれいにしようと「門掃(かどは)き運動」から取り組んだ。私も先頭に立って河原町通りから五条通り界隈(かいわい)を掃いてまわった。そのかいあって、多くの市民の理解を得て、市の美化条例の施行につながった。

 伝統産業以外に京都はワコールや堀場製作所、オムロン、最近では日本電産などベンチャーのメッカだ。また、任天堂、ローム、村田製作所など高収益企業も多い。企業経営にとって重要なのは、トップの考え方だ。

 地元の優れた経営者の話を聞き、刺激を受けることが京都産業再生の第一歩と考えた。そこで、「経営講座トップセミナー」を開講したところ、毎回千人を超える経営者が聴衆として集まった。

 また、長年対立関係にあった京都仏教会と京都市の和解にも一役かった。この問題の発端は82年、市が寺院の拝観料に課税する古都税構想を発表、これに仏教会が拝観停止で対抗した。

 結局、古都税は廃止されたが、そのあとも17年にわたって冷たい関係が続いていた。たまたま私が会頭として市長と交流があり、また、97年に得度した関係で仏教会の方々ともご縁があり、仲介役をかって出ることになった。99年5月に桝本頼兼京都市長と京都仏教会の有馬頼底理事長と三者で「一体となって京都の観光振興や景観に配慮したまちづくりに努力する」との共同声明に署名した。長年来の懸案だけに、だれもが素直に喜んでくれた。

 この6年間、京都の経済界、市民、各界の方々と様々な出会いがあった。将来の京都のあるべき姿をともに議論した。これまで長年、京都に住んできたが、この6年を経て、本当の意味で京都人になったような気がする。(京セラ名誉会長)



京都市と京都仏教会が歴史的和解(中央が筆者)
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