因果関係を弁(わきま)える――致知2016.08巻頭
日本を美しくする会相談役 鍵山秀三郎

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◆不可逆時点に至ってはならない

 東芝、三菱自動車と誰もがその名を知り、事件が発覚するまでは一流と思われてきた企業の不祥事か相次いでいます。
 いずれも、問題は早くから発生していたにもかかわらず、隠蔽(いんとく)されてきました。途中で誰かが指摘して、素直に対処してさえいれば、あそこまで大きな騒ぎにはならなかったはずです。
 不正の隠蔽は、その期間が長ければ長いほど複雑化し、悪質化していきます。最初は自分の手で解決できていたはずの問題も、
ある時点を過ぎると、他人の協力を得なければ解決できなくなります。さらに進むと、もう元の健全な状態には戻れない不可逆時
点に達し、他者が強制的に処理するしか道はなくなるのです。
 こういうことを繰り返していたのでは、いくら政府が頑張っても決して日本の経済はよくならないでしょう。根元の腐った植
物に一所懸命肥料をやっているよりなものだからです。
 不正を起こす企業に共通するのは、責任感を持つ人がいなかったことです。「そんなことは知らなかった」「そんな指示は出していない」というのは、問題が公になった時の責任者の常套句(じょうとうく)です。しかし、上司の指示なしに部下が勝手に動くことなどありませんし、万一指示がなくても暗黙の了解のもとで不正が行われる体質が蔓延(まんえん)しているならば、それはすべて経営者の責任です。このような経営者が多くなったことが日本
経済の低迷を招いています。
 多くの経営者が不正の追及から逃げるのは、苦労をしたくないからです。しかし、苦労というのは逃れられるものではなく、一時的には逃れられてもまた追いかけてきます。この場合も不可逆時点というものがあり、もう逃げられなくなってからする苦労というのは、何の生産性もなく、ただ苦しいだけの事後処理です。いまの世の中には、こうした生産性のない苦労をしている人がたくさんいます。
 以前、評論家の山本七平さんが、人間は風(かぜ)によって動くと言っていたのが印象に残っていますが、いまの日本に吹いている風は、苦労を厭うあまり不正を隠蔽し、責任を逃れようとする風なのです。

◆予知能力を失った現代人

 熊本に住む知人から、先般の熊本地震が発生する直前、抱いていた猫がいきなり腕から飛び出して逃げて行ったという話をお聞きしました。おそらく、人間には察知できない微妙な音や振動から地震を予知したのでしょう。昔は人間にもそういう予知能力が備わっていたはずですが、世の中の文明か進化し便利になるにつれ、どんどん退化していきました。
 それと関係して、いまの人は因果関係というものが分からなくなりました。よい行いにはよい結果がもたらされますが、悪いことをすれば当然その報いを受けることになります。昔の人はそのことをよく弁え、自分自身を戒めていましたし、間違ったことをすると人から注意を受けたものです。
 ところが、いまの人はそうした予知能力を失い、先々の結果を考えればとてもできいようなことを平気でやるようになりました。先日、有名なコメンテーターが「私は一円でも安く売っている店に買いに行く」とテレビで自慢気に話していましたが、それによって製造している人の給料が下がり、日本経済停滞の遠因にもなることは予知できない浅はかな人間であると思いました。
 一人ひとりが相手のことをもっと配慮するようになれば、より適切な行動をとれるようになり、世の中もよくなるはずです。
 例えば私は、タクシーで近場に行く時に、「お釣りは結構ですから」と少しだけ多めに支払うのですが、そうすると、横柄で心ない客を乗せて沈んでいた運転手さんの気分も幾分かでもよくなります。郵便物のテープは綺麗(きれい)に剥(は)がし、書類のホチキスは外し、瓶についているプラスチックや金属の類いは取って洗ってから廃棄するのも、それらを処理する人の手間を少しでも省いて差し上げたいからです。
 こうしたことを自慢気に綴(つづ)ることは本意ではありませんし、私一人がそれをやったからといって、高が知れているでしょう。しかし、次の工程の負担を軽減するため、たとえ自分一人でも徹底しようと実践していることをご理解いただきたいのです。
 もし日本中の人が同じことをすれば、テープやホチキスを取り除いたり、瓶を綺麗にしたりするための膨大な設備投資も不要になるでしょう。しかしいまの日本は、煙草の吸い殼の入った一本の瓶を見逃さないために、すべての瓶を洗浄するという膨大な無駄なことが行われています。
 自分の行いによってもたらされる結果を予知し、日々自覚を持って行動する人が増え、日本が少しでも穏やかで循環型の住み
よい社会になることを願って止みません。