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苦労という
言葉は
ひとに
使うもの
自分に
使えば
ただの自慢か
単なるいいわけ
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多くの人たちが、さまざまな悩みや苦しみを抱えています。仕事のこと、家庭のこと、病気のこと、経済的なこと、数え上げればきりがありません。生きるとは、決して楽なことではないことが、そこからも見えてきます。不安や悩み、欽望は尽きることなく、私たちを迷わせるのです。

自是他非という仏教の言葉があります。私たちは、つい自分は正しい、不幸の原因は自分以外にあると考えがちです。自分の都合、自分の価値観で世界を見ているのです。それが受け入れられないと、無理に押し通そうとします。そうすると、苦しみは消えるどころか深まるばかり。こんなとき、どうすればいいのでしょうか。

お経をびも解くと、まず事実を受け入れよという教えがあります。苦しみ悩み迷うことの原囚を自分の外に探しても、そこに答えは見つからない。苦悩を起こす自分自身に目を向けて、問題を受け入れることから始めなければ、答えにはたどり着けないというのです。

そう言われても、すんなりとは納得できない、実際にはどうすればいいのかわからないと感じる方も多いかもしれません。お経は難解で、そのままではなかなか伝わりにくいものです。そこで、お経が与えてくれる生きるヒントを日常の言葉に置き換え、短い標語にまとめました。
それが私たち狒光寺の門前に掲示した八行標語です。
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晴れてよし、降ってよし、いまを生きる
京都佛光寺の八行標語【学研】