少年スポーツを「成果主義」で測る"異様"

都内で小学生の女子サッカーチームでコーチを務める男性は耳を疑った。
「今日ね。試合で5回ボールをさわらなかったら、サッカーやめなさいってママに言われたの」
小学4年生以下の公式戦。試合前に「たくさんボールをさわろう」と声をかけた直後、小学3年生の女の子にそう言われたのだ。
「好き」より「結果」を重視する親たち
息子や娘たちが通った少年団でボランティアとして指導を初めて10数年。「たまに都大会に出る程度」(男性)で、「小学生時代はサッカーの楽しさを味わってもらおう」というコンセプトで運営してきた。だが、年々、結果を急ぐ親が多くなったと実感する。
「サッカーがダメならほかのことをやらせたいと言うのですが、サッカーがダメと誰が決定を下すかと言えば親なんですね。実際に子どもたちはすごく楽しそうにやっているし、サッカーが好きなように見える。でも、親御さんはそこには目を向けない。どちらかといえば、他の子よりわが子が劣っているという現実を、親の側が受け止められないのではないか」(男性)
以前、男子を指導していたとき「今日の試合で得点できなかったらクラブをやめなさいと(親に)言われた」と、涙目で言われたことはある。人数の関係で試合に出せなかったら、翌週「もうやめさせます」とメールが来たことも。大差で負けていた試合で1点返して子どもと大喜びしていたら、スタンドからエース級の選手の母親に「1点返したくらいで喜ぶんじゃない!」と叫ばれた。
「男子は親御さんの意識を変えるのが大変。それに比べれば、女子のジュニアは楽しいサッカーが浸透し牧歌的でいいなと思っていたら、W杯で優勝したころから女子でも必死過ぎる親が増えてきた」という。男女とも地域のクラブでゆっくり育てれば面白そうな素材の子がいても、親が強豪クラブに入れてしまう。そこで試合に出られなくてやめてしまう。「男の子は腐ってグレることもある」そうだ。
スポーツの普及や選手の成長が、大人の成果主義に阻害されてはいないか。
これまでのべ60万人の子どもを指導してきた池上正さん(Jリーグ2部・京都パープルサンガF.C.普及部長)はこう語る。
「本来、スポーツ(SPORT)の語源は“遊び”。スポーツをする意味とは何なのか。日本の少年スポーツでは、そこが置き去りにされている気がする。勝敗や結果ばかりを重視する大人の弊害は小さくない」
ヒートアップする親を止められない指導者
『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(小学館)など計6冊の著書がある池上さんは、講演会の際「子どもが試合に出られないのですが、夫がやっても意味がないからサッカーなんてやめろと言う」と相談を受けたことがある。ほかにも「試合に出られないので、ほかのチームに移籍させたいのだが」と真顔で訴えてくる親がいるという。
ヒートアップする親たちを、本来なら矯正しなくてはならないのが指導者だろう。それなのに、指導者側が無意識のうちに勝利至上主義に陥ってはいないか。
筆者はある県の高体連が主催した「部活動での体罰を根絶するにはどうしたらよいか」という主旨のシンポジウムに招かれ、各高校の運動部顧問の先生たちに話をさせていただいたことがある。その際、都内にある女子サッカーのジュニアユース(中学生)で指導するコーチの話をした。
そのコーチは、選手が試合に遅刻したり、何か忘れ物をしたりと生活面で不備があったときは、レギュラーであっても当日の試合は先発から外す。罰やペナルティというよりも「日常生活がきちんとできないのに、チームの代表としてピッチには立てないでしょ?」という選手への無言の問いかけだ。そのようにして、サッカーでいう「オフ・ザ・ピッチ(ピッチ外)」での自律の重要性を選手にたたき込んでいく。
そのような勝利至上主義でない人格教育重視の必要性を訴えたつもりだったが、顧問の先生らは納得できないようだった。
「その選手を出さないことで、チームが負けたらどうするんですか?」「エースでも遅刻したら外すんですか?ほかの選手の勝ちたいという気持ちはどうなるのですか?」
「あり得ない。ほかの選手の不利益になりますよね?」
利益云々という問題ではなくて……。こちらの主張は、残念ながら聞き入れてもらえなかった。ひとつの勝利より大事なことをクラブに植え付けていくことを優先する価値を伝えたかったが、自らも勝利第一で指導を受けてきたであろう先生がたには、なかなか理解しがたいようだった。
ところが、そのような育成重視の指導をしてこなかった日本のスポーツ界は今、まさにその「ツケ」を払っているように見える。
「人間教育」を優先していては勝てないのか?
前出のシンポジウム後、柔道全日本男子の井上康生監督が世界選手権で「代表選手に重大なルール違反があった」として、自らが頭を丸めて記者会見を開いた。違反とは「チームの集合時間に複数回遅れた」ことだった。なぜそこまで、と思うだろうか。世界では、国の代表として世界舞台に臨むアスリートの行動としては許されるものではないのだ。
そして昨年は、巨人の選手による野球賭博が発覚。今年に入ると、以前から噂のあった清原和博・元プロ野球選手が覚せい剤所持で現行犯逮捕された。高額年俸で有名なプロ野球選手ばかりかと思いきや、リオ五輪で金メダルが期待された男子バドミントン選手らの違法カジノに、未成年のスノーボード選手の大麻問題。アスリートの不祥事が絶え間なく続いている印象がある。
そのため、ここへきて「アスリートの人間教育」が叫ばれるようになった。社会人にもなって、と罪を犯した選手を責めるだけで終わらせず、池上さんが説くように「勝敗や結果ばかりを重視する大人の弊害」を見直さなくてはいけない。
「エースでも遅刻したら外すんですか?」と憤るのではなく、「エースだからこそ外さなくてはいけない」と指導者には考えてほしいし、アスリートであるわが子をサポートする保護者も「スポーツで子どもの何を育てるか」を考え直してほしい。
このように教育や指導をめぐる議論になると、「でも、人間教育とか、楽しくサッカーしましょうっていうチームって結局、勝てませんよね」という声が聴こえてくる。
けれども、筆者がシンポジウムで紹介した女子サッカーチームはその後、発足10年目にして全国大会出場。卒団生もなでしこリーグで活躍している。
では、海外ではどのような価値観で選手を育てているのだろうか。
前出の池上さんは、1994年のW杯アメリカ大会でドイツ代表の選手が強制帰国させられたことに驚いたという。レギュラーだったその選手は試合中、罵声を浴びせた観客に対して中指を突き立てた。この行為によって、開催途中にかかわらず、エントリーから消されたのだ。
「ドイツという国はすごいと思いました。その選手を即座に退去させましたから。その選手がいないと困るとか、戦力ダウンなのにといった議論は、恐らくされていない。つまり、彼のやったことは明らかに間違ったことで、フェアプレーとは対岸の振る舞いをしてしまった。だから代表からは外すのは当然という感覚です。日本のスポーツ界も見習うべきでしょう」
ブラジルのサッカー選手が子どもにかける言葉
もうひとつ、池上さんから聞いたいい話。
ブラジルには貧困にあえぐ人たちの住むスラム街があるが、サッカーのプロ選手らはクラブの社会奉仕活動の一環としてサッカースクールを開く。子どもたちと汗を流した後、選手は子どもに声をかけたり、時にスピーチをする。
「今日は楽しかったね。ありがとうね。またやろうね」
ほぼ、このようなことしかいわない。
「みんなも練習を頑張れば、僕らみたいにプロになれるよ」
いかにも言いそうだが、そんなことは一切言わない。
「なぜなら、彼らはそんなこと思っていない。子どものうちはサッカーが楽しいと感じるだけでいい。自分もそうだったし、そこが本質だと理解しているのです」(池上さん)
ところで、冒頭の男性は試合後、女の子を呼び寄せた。
「7回ボールにさわったよ。コーチにそう言われたってママに報告してね」
「でも、3回しかさわってないよ」と女の子。
「大丈夫。その前の試合と合わせたら7回だから」
女の子はにっこり笑って、ボールを蹴りに走って行ったそうだ。