喜んでもらえる幸せ
サッカー人として――三浦知良
いっそ、50歳とみなしてくれていい。本日、49歳を迎えてそう思います。中途半端に40代のままよりも「50歳のJリーガー」の方か突き抜けていていい。
39歳から40歳になる年は「不惑のカズ」と書かれたものだった。惑わず、迷いなく、より輝く40歳。でもいま振り返れば40歳も若かったなと思います。さらに20歳のころまで遡れば、ずいぶん失礼な若造でした。
ブラジルから帰国したての頃、一方通行の道へ構わず逆から車で突っ込んだことがある。よりによって交番の脇。そりゃあ止められて運行される。そこで僕は自分からイスを引いて腰掛けて、ふんぞり返って足を組んだ。「なんだ、お前のその態度は」とお巡りさん。「いや、僕はいつもこうですから」「仕事は何なんだ」「サッカー選手です」
年ごろの若者が背伸びして強がるのと似たものだけど、「ろくでもないスポーツ選手」と思われなかったわけがない。反省しきり。ただ話しているうちに打ち解けて、別れ際には仲良くなっちゃったんだけどね。
地球が過ごしてきた年月に思いをはせてみる。一日一日、ミリ単位で進行するものが、何万年という流れのなかで文明となり電気や車のある生活となる。そこで人の命の80年などはほんの一瞬だけど、その一日一日がなければ現在のこの生活も生まれ得なかった。僕もこの49年、プロで31年、自分でことさら自覚はしなくても、積み重ねてきたものが大きいのだろう。そして毎日毎日、変化する。
「つめ切りのロールスロイス」とさえ言われるつめ切りを作る日本の職人を紹介する番組を見た。訪れた若い女性が「おいくつですか」と聞く。「まだ83歳です」。言われるまでは70歳くらいにしか見えなかった。そして若々しくハッキリと「とにかくいい商品を作って、お客さんに喜ばれたい」と答える。そう語れる生き方って、すてきだね。
毎日毎日、反省する。充実も味わう。そんな一日に感謝ができるようになった。ひたすらサッカーを頑張る。そこに特別なものはない。プレーする。そこに特別なものはない。プレーする。ダンスする。人が喜んでくれる。それがうれしさとなって自分に返ってくる。だからまた頑張れる。喜んでもらえることに幸せを見いだせるようになるんだ。
(日本経済新聞)
