一途なやつしか勝ち残れない お馬鹿な奴は勝負ができない
試合当日深夜、盗人にやられ、緑の公式ユニフォーム、スパイクが大量に盗まれた日。
カナリアイエローにゴールド背番号で、他人のスパイクを借りて準決勝に挑む。
2010/5/31 再掲載
当然なこの命題。
当事者にとって、見えなくなることが多い。
たとえば、チャラかったり授業でふざけたり寝たりする輩、どんなに才能があってもどの道でも「プロフェッショナル」にはなれない。勝負の前の「ごくごくあたりまえなことだ。
本分から外れた人間に良貨は集まってこない。
人生は意思によってきまる。自分次第だ。
世に悪貨は多く、楽して手に入れ易い。良貨はまた意思なければすぐ腐食する。
そのため人の道に「鍛錬」という言葉がある。
大人が見ても「どこまで意識高いんだ」という選手が最後は柱になっていく。
それは「アピールする」とか「今日はノッテいるから頑張る」とかと全く異質なものだ。
ましてや全国優勝の実績や代表歴など屁の役にも立たないどころか親子ともども勘違いするもとだ。
夢と自分の距離を測り、自分の立てた誓(ちかい)に急き立てられる中で人は日々変わる。「今の自分に必要ないことを排除できる意思」こそ動物になく人だけの特別な能力。
世で繰り返される才能ある者が消えていく風景がある。
勘違いと幼稚に取り込まれてく良貨は茶飯事だ。
大人の不見識がそんなiPedを大量生産し続ける。
一回の勝ちで根拠なき過信生む勘違い。
一回の挫折で根拠なく夢捨てる勘違い。
「うつつ」をぬかす。
「うつつ」とは【現】現実のこと。「ぬかす」とは抜けること。
現実を見ないで雑事に心を奪われること。
「青年の夢」は起きて背筋をまっすぐ正して初めてうっすらと見えるもの。
ぬかすことは「本道から外れること」を用意する。
髪型と眉毛が大切になること、人の評価が気になること、寝ても覚めても性に取り込まれること(笑)、互いの傷をなめ合うユルイ知り合いが増えること、AKB48の「高みな」ファンクラブに入ろうとした瞬間(大笑)
そしてショウタロウが一言「篠原この時期に神様にお願いしちゃってどうする」「ここでかっ」(爆笑)
PKを決めるのはやはり「うつつ」の練習だ。
生活こそ本番。

昨日、磐田東の2点目の得点が、彼らの中で1点のリード時の緊張感を瞬く間に消滅させ、勝利の「誘惑」に取り付かれてしまったように、去年の総体決勝で「力は上だ」と知らず知らずに慢心し、ミスで敗北したように、人には「うつつをぬかす」悪魔に支配されそうになることが多い。
めんどくさいことに「勘違い」は自分のことを正常であるとしか認知させない。
「うたかた」の性を「うつつ」の愛と思い込むように動物的な欲の悪魔は耳元であま~く囁く。

試合場では有名ないつも清く正しく応援くださる杉本先生はけっして若くはない。分け隔てなくみんなを応援する。
ちなみに東大卒、お子様も東大医学部、京大医学部卒のお医者さまだ。
時々会話がつながらないポカン顔の選手がいる。
どこへも新幹線とタクシーで駆けつける。
息が止まるほど選手を呼び励まし続ける。
この景色もうそろそろ「風物詩」として登録だ。







