人間関係を一変させる、相手に見返りを求めない心
ひたすら自らの在り方を問う吉田松陰の言葉
以前、私は大手の監査法人に勤務していた。大きなオフィスに何百人という人間が働いていた。そのオフィスのフロアには清掃をするスタッフの方が何人かいらっしゃった。 清掃の方とは特に面識があるわけでもなく、すれ違う時などは会釈をする程度だった。ある時、見たことのない小柄な清掃のお兄さんがいた。
新しく入った人かなと思いつつも、そのまま通り過ぎようとすると「こんにちは!」と声をかけられた。
不意の声がけに驚き、そのお兄さんの方を見ると笑顔でこちらを見ていた。私も慌てて、「こんにちは」と挨拶した。何とも律儀な方だと思い、その場を後にした。
相手の態度に構わず笑顔で挨拶
それから、1週間ほど経ってからフロアを歩いていると、例の清掃のお兄さんとばったり会った。
軽く会釈ぐらいした方がいいかなと迷っていると、お兄さんは私を見つけて、「あっ!こんにちは!」とまるで数年ぶりに友人に会ったかのごとく、嬉しそうに私に挨拶してくれた。
「えっ!そんなに嬉しそうに挨拶してくれるの!?」と内心は戸惑いながらも、私も何とか笑顔で挨拶をした。
以後、その清掃のお兄さんは会うたびに嬉しそうに挨拶をしてくれた。そのお兄さんの行動を見ていると、会う人会う人すべてに笑顔で「あっ!こんにちは!」と嬉しそうに挨拶をしている。
挨拶をされた人は、笑顔で「こんにちは!」と返す人、ちょっと引き気味にほぼ無視で通り過ぎていく人、その反応は様々である。
しかし、そのお兄さんは相手の反応がどうであれ、すれ違うすべての人に笑顔で挨拶をする。1日に何十人、何百人という人とすれ違うだろう。その姿は見事だった。
同僚の間でも噂になった。
「あのお兄さん、すごいな。ほんと嬉しそうに挨拶するよな。普通あそこまでできないぞ」
「さすがに笑顔で挨拶して無視されたら心折れるよな」
そのお兄さんの嬉しそうな挨拶ぶりには同僚も一目置くようになった。月日が経つにつれ、そのお兄さんの顔を見るなり笑顔になって挨拶をしたり、お兄さんの名前を読んだりする人が増えてきた。
徹底した笑顔での挨拶ぶりに感銘を受け、同僚の間では「師匠」というあだ名がついた。1人の清掃のお兄さんがすれ違うすべての人に嬉しそうに笑顔で挨拶し続けた結果、ここまでの影響力を持つようになった。
見返りを求めるから失望を招く
影響力というのはこうやって生じていくのかとしみじみ思った。師匠は相手が挨拶してくれなくても嬉しそうに笑顔で挨拶する。
自分が正しいと思ったことは、相手からの見返りを求めずに行動し続ける。師匠の行動はぶれなかった。
何か行動をする時、相手に見返りを期待すると、その見返りが得られなかった時、怒りや悲しみといった感情が生まれる。
怒りや悲しみという感情を味わいたくないから、見返りが得られなかった経験をすると、そういった行動を取らなくなってしまう。
つまり、見返りを期待すると相手の反応次第ではその行動を継続することが難しくなる。そのため、人間関係において1つの行動を貫きたいと思うならば、その行動に対する見返りを期待すべきではないのだろう。
その方が不快な思いをすることなく、自分のポリシーを貫ける。
20代で起業して、もうかれこれ社長をやって40年超。そんなベテラン社長と飲みにいった際に、経営のご苦労について話をうかがった。
「社長は従業員に見返りを求めたら経営なんてやってられません。見返りを求めたらだめですよ」
印象的な言葉だった。資金繰りが厳しい時は自分の財産を持ち出してでも従業員の給料を工面する。従業員を食べさせていくために本当はやりたくない仕事も取ってくる。
従業員が働きやすいように職場の雰囲気に気を遣って、落ち込んでいる従業員がいたら励ます。社会人としての常識が欠けていると感じた時は、本人のためを思い嫌われるのを覚悟のうえで叱る。
自分は社員のことを思っているのに・・・
あれこれ従業員のためを思って頑張っていても、態度が冷ややかな従業員もいた。社長が元気よく挨拶しても、目も合わせずに蚊の泣くような声で挨拶を返す。
従業員がたむろしている喫煙室に社長が入っていくと、そそくさと従業員たちは部屋を出て行く。
会社全体のことを考えず、自分の要望ばかり主張する従業員も少なくない。要望が叶えられないと影で社長や会社の悪口を言っているのが漏れ聞こえてくる。
若い頃はこういった従業員の反応を見ていると、怒りや悲しみを覚えたり、孤独にさいなまれたりしたことが毎日のようにあったと言う。
「『これだけ従業員のために頑張っているのに、人の気も知らないで』。そんな気持ちを持たないようにしてから楽になりました。初めから従業員に見返りを求めない。従業員の反応がどうであれ、会社のため従業員のため社長は社長としての仕事をやる。そこに私情は挟まない。そう決めたらあんまり腹も立たなくなりました」
とても温和で誠実な社長であり、やや達観されたような考え方をお持ちの方でもある。従業員の反応は冷ややかであっても、社長は従業員のためを思って社長の仕事をする。
頭では分かっていても、そこまでの考え方を持つことは簡単なことではない。ただ、並々ならぬ苦悩を克服するためには、こういった考えを実践するしかなかったというのが実情なのだろう。
不快な感情が生じる原因が見返りを期待することにあるとするならば、見返りを期待しないことで、かえって気が楽になったというのは理に適っている。
見返りを求めないことで精神の安定を保てる。見返りを求めない方が自分のためとなる。時と場合によってはそういうことが言えるのかもしれない。
吉田松陰はこんな言葉を遺している。
世間の毀誉は大抵其の実を得ざるものなり
「世間の毀誉は大抵其の実を得ざるものなり。然るに毀を恐れ誉を求むるの心あらば、心を用うる所皆外面にありて実事日に薄し。故に君子の務めは己れを修め実を尽すにあり」
(世間が人を褒め、けなすことは大抵はその実態と異なるものである。にもかかわらずけなされることを恐れ、誉められることを求めようとすれば、表面的なことばかりに心を遣うことになり、真心を持って生きようとする気持ちは日に日に薄くなっていく。それゆえに、心ある立派な人物の務めは、周囲に振り回されることなく己の身を修め、真心を尽くすことにある)
身につまされる言葉である。
周囲の反応、相手の反応に影響されて、自らの感情が安定せず、結果としてあるべきスタイルを貫くことができない。そう悩む人は少なくないだろう。
私もそう悩む人間の1人である。それゆえに、先の師匠やこの社長のスタイルには感銘を受ける。
相手の反応がどうであれ、余計なことは考えず、ただ相手のために誠意を尽くす。この考え方がメンタルを強くし、自分があるべきと思う行動を貫くことを可能にしている。
はや今年も終わろうとしている。自分は昨年より成長できたかなぁとこの1年を振り返ると、まだまだ感情に流され、ふがいなさを痛感することがあった。特に周囲の目や相手の反応に対して一喜一憂し、いたずらに悩み、自らがやるべきことに集中できないことも少なくなかった。
そんなおり、相手の反応がどうであれ、笑顔で挨拶し続ける師匠の姿がふと脳裏に浮かんだ。
「強いなぁ」。思わずその言葉が口をついて出た。
光陰矢の如し。正しいと思ったことは余計なことを考えずにやる、そんな強さを少しでも早く身につけたいと思った年の瀬である。
藤田 耕司