なぜこの人は90歳になって本を売り続けるのか。本は人に何を与えるのか。
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失敗と躓きの数が人生の勲章
さかもと・けんいち一大正12年大阪府生まれ。昭和18年近畿大学専門学校法学部入学。同年、学徒動員で大阪22部隊歩兵通信中隊に入営。20年復員。21年大阪焼け跡闇市に「青空書房」創業。翌年店舗を構え、現在も現役店主として営業を続ける。著書に『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』(SIC)『夫婦の青空』(道友社)『ほんじつ休ませて戴きます』(主婦の友社)がある。戦後の焼け跡で始めた古書店を、六十七年経つ現在も営業し続ける坂本健一さん九十歳。本をこよなく愛する坂本さんが、読書や豊富な人生体験から培った、市井を逞しく生きる哲学を伺った。
読書こそ人生を豊かにしてくれる
――戦後焼け跡で始めた古書店「青空書房」を、六十七年経ついまも営業されているそうですね。
坂本 昔は家族を養っていくために必死でね。年中無休で朝七時から夜十二時まで、くたくたになるまで働いていました。けど、さすがに歳には勝てません。十数年前
に脳梗塞になって、右の目が見えんようになってからは、少しは休まなあかんということで、日曜と木曜を定休日にしています。
休みの日にはいっも「ほんじつ休ませて戴きます」というポスターを店のシャッターに貼るんです。ほら、こんな感じでね。
――素敵なポスターですね。これはご自身で描かれるのですか。坂本 ええ。下書きもせず、即興でね。せっかく来てくださったお客さんに、何か自分の言葉で伝えないと申し訳ないと思って、その時の心境の一端を文字と絵にして描き添えるようにしてるんです。
例えばこんなふうに。
「生きるとは学ぶこと 本を読むこと えらぶこと なけなしのいのち 精魂込めて良い本売ってます」
「本を読まない人は 翼を失った鳥です。 ほんまやで」
――含蓄のある言葉ですね。
坂本 そのうちこのポスターが評判になりましてね。テレビの取材が来たり、「ポスター展」をしてもろたり、こんな歳になって急に忙しくなってきた。えらいことです
わ(笑)。
―― 一筋に歩み続けてこられたからこそ、人の心に響くものがあるのでしょうね。
坂本 私にとってはね、本そのものが生き甲斐なんです。読書すること自体が私の人生そのものなの。で、本を売るということはそれの付随の仕事です。これまでたくさん本を読んできて、人生を一番豊かにしてくれるものは読書だと固く信じているので、一人でも二人でも本を読む人をつくっていきたいんです。
いまは読書離れが進んで、字を知らない、言葉を知らない、それからマナーを知らない人が多くなりました。日本は言霊の国ですから、言葉の中に思想とか、考え方とか、いろんな伝統のものがある。それが言葉を失うとともに滅んでいっているのが悔しいんです。
最近の人は携帯電話の短文でしか表現できなくなったから、人生に対する考え方とか、世の中に対する目の向き方が頗(すこぶ)る即物的なの。インスタントラーメンみたいに、パッと入れたらすぐでき上がるという考え方、受け止め方。それで分からなかったら、もう分からんと放棄してしまう。
――確かにそういう傾向はありますね。
坂本 だからいまね、日本古来の文学がどんどん消えていってる。
この前ね、「漱石全集」の元版十四冊が手に入ったんです。端本ですので百円均一で店に出しだけど誰も手を出さない。おりと装丁もいいし、どないかして読んでほし
いと思うて五十円にしても手に取る人がない。若者が触っても、漱石という字が読めない。最後はホームレスに三百円渡して処分してもらいました。
――残念なことです。
坂本 活字文化に対する関心が非常に薄くなっているんです。
でも本はね、難しいものを読むからいうて教養になるもんでもない。一番初めは、おもしろい、楽しい、時間潰しで読んだけど結構楽しめたというのでいいじゃない。
大衆文学でいいんです。
人間ってね、何遍も躓(つまづ)くんですよ。その時にうまく本と出くわして、本によって勇気を与えられたり、本によって考え方を展開させられたりした人は、これはもう本の虜になる。お金に救いを求めず、本に救いを求めればいいんです。
勉強さえしたら世間に勝てる
坂本 ただ、どんな本が適切かいうたら、その人によって違う。よく私の店に来て「どの本がいいですか?」って漠然と聞く人があるけど答えられないんだ。性別、年齢、環境、未婚であるか既婚であるか。そしていま何がために読
みたいか、ということ。せめてその程度のデータがなかったら薦められませんね。
それから、うちは図書館と違うから、その人にピッタリの本があるとは決まってない。店にない場合は紙に書いて渡してあげる。この新刊を探して読みなさいってね。
そしたら大抵、読んでくれましたけど、非常に助かりましたって喜んでもらえる。
――ご自身が相当本を読んでいないと、適切な助言はできませんね。
坂本 自慢やないげど私はね、おそらく若い時から五千冊以上は読んでいるんです。いまでも文庫なら一日二冊、ハードカバーでも1冊読んじまいます。
なぜそんなに本を読んだか。私ね、物凄い貧しかった。学校に行けないくらいお金がなかった。この貧乏から脱却するために、学問さえしたら世間に勝てる、それ以外に勝つ方法はないと思い込んでいたんです。ところが本当は、学問と銭儲けは別でしたね(笑)。
私の父親は大阪の船場のボンボンで、身分違いの女中さんとラブして、家から放り出されてここに来たのです。いまやったら身分違いでも何でもないし、女中さんと
いう人もいないんですけどね。
で、親父はわがままいっぱいに母親を踏んだり蹴ったり殴ったりしてましたけど、実は裏返すと甘えてた。母親は徳島の貧農の生まれやったから、文字一つ知らなかったけど、すごおく辛抱強くて、ちょっと考えられんぐらい心の温かい人でした。だからそのどうしようもないボンボンを、しっかりと抱き留めてやってくれた。
父親は病気ばっかりして、失業ばっかりして、それでも気位だけは滅茶苦茶高い人だった。だから私は自分でこの家を支えていかなあかんと思うて、小学校を出てからすぐ働きに出ました。大きな会社だけど給料は安かったので、ちょっとでも収入を増やすために商業学校へ通いました。昔は商業学校って格が高かったの。ずっと夜学です。だから私の大好きな歌は坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」。あれ聞くとね、いまでも涙が出てくる……。
芸術は最高の贈り物
坂本 そんなんで一所懸命勉強して、やっとの思いでその上の大学の夜間まで入ったら、途端に学徒動員。学問の道はそれで断たれました。帰ってきたらもう勉強どころやない。食うために働かないと。それで焼け跡の闇市に板を広げて、それまで自分が働きながら買うた本を並べて売ったんです。
――ああ、ご自分の大切な本を。
坂本 もしいままでで何か一番しんどかったかと言われたら、それです。自分の青春、自分の学問と引き換えにお米を買うようなもんでしたから。けど親父は病気申し、弟も妹もおりましたし、私が家族の面倒を見なければなりませんでしたからね。
そうやって焼け跡でお天気の時だけ店を出していたから、屋号を「青空書房」にしたんです。
――ご商売は順調でしたか。
坂本 当時は売血と言いましてね、自分の血を売ってそれを金に換えた人もあるくらい日本は貧しかった。ところが百冊程あった岩波文庫が一日で売り切れた。戦後の、水もろくに出えへん、電気も出えへん、お米もなかなか買えない時に、当時の日本人は本を読んだんです。そういう庶民がいたからこそ、日本は復興できたと思います。
――本が人々の心を支え、鼓舞していたのですね。
坂本 まあよく売れました。一日の売り上げで石油缶がいっぱいになるくらい。けど翌朝にはお札一枚くらいしか残っていないんです。全部父親の薬代や訪問看護婦さん
にいっちまってね。私は強靭な性格やから、その一枚のお札で本を仕入れて、また石油缶をお金で一杯にするんやけど、明くる日になったらまた一枚。お金に恵まれることはずうっとありませんでした。
――働いても働いても、生活は潤わない。
坂本 それがね、いまの若い人と違うと思うのは「忠君愛国」とか「父母に孝に」とかいう考え方か骨の髄までしみ通っているから、せっかく稼いだお金が父親の病気の
ためになくなってしまうことに一つも痛痒を感じなかった。
ところが世の中、だんだんアメリカの個人主義的な考え方が主流になってきた。それまで学校で習って正しいと思うていたことが全部否定されて、自分さえよかったらええというような世の中になった。自分の人生ってなんだろう、兵隊に行って一所懸命思ってたことってなんだろうと、物凄く煩悶しましてね、長い一生で初めて自殺しようという気になったんです。
――それは、おいくつの頃ですか。
坂本 二十二くらい。切り出しナイフを買って、一番好きな天王寺公園で死んだろうと。けど私、絵が好きだったから、最後に美術館に行ってからにしようと思うたら、ちょうどマティス展をやってた。それを見て、頭を叩きのめされるような衝撃を受けたんです。
――ああ、マティスの絵に。
坂本 人間の想像を遙かに超えた見事な色彩に、芸術の奥の深さ、逞しさの前で自分の命の卑小さを思い知らされた。生きていればこんな素晴らしい芸術に感動することもできるのに、このまま死んだらほんまに蛆虫みたいなもんや、と判然と悟ったんです。
それ以来、どんな苦境に立っても死ぬという考えは起こらなくなった。芸術いうもんは凄いもんです。やっぱり文学とか絵とかいうのは人間の生んだ最高の贈り物ですよ。
本を読んだら美人になる
――本を読まない若い人には、どんなアドバイスをされていますか。
坂本 私のとこのキャッチフレーズは、「本を読んだら美人になる。本を読まないのはみんなブス」(笑)。本を読まんでも美人はおると言うてきたら、「人間はな、中から輝くんやで」と言うんです。本を読んで自分を磨いたら誰でも美人になれると。
――若い女性にお薦めの本は?
坂本 二十代、三十代の女性であれば、モーパッサンの短編。それから太宰治。そのへんなら読んでよかったなと思うでしょう。
誰にでも向くのは田辺聖子さん。芥川賞をとった『感傷旅行』から始まって、もう最高の作品は『道頓堀の雨に別れて以来なり』。あんまり彼女の作品に惚れ込んだもんやから「先生大好きや」ってファンレターを書いたら、それがきっかけでお友達になっていただいて、何回かお家にも寄せてもろうてます。
藤沢周平や池波正太郎もいい。特に池波さんの『鬼平犯科帳』は、悪人の中にも善を見、善人の心の中にも悪が住むことをちゃんと見てる。池波さんいう人は、きっと
うんと苦労して、うんと遊んで、きっと悪いこともしてきたからああいうものが書けたんだと思う。
その先輩で日本最高の文学者と私が呼んでいるのが山本周五郎。この人も若い時にすっごい苦労してきているはず。みんな何気なしに読んでいるけどね、あの人の本
の最後に救いが少ないのは、世の中こんだけ薄情だってことを知ってるわけ。みんな人と人との人情でかろうじて生きているだけで、もし人情というものがなかったら
どうしようもないのが世の中だってことを周五郎さんは言っていると思う。
だから文学作品とかあらゆるものを飛び越えて、周五郎を私は第一人者だと言うてるんです。
――ご自身の人生で特に印象に残っている本はありますか。
坂本 私を救ってくれたのはモーパッサンの『女の一生』とロマン・ローランの『ジャンークリストフ』。特に『女の一生』は十八の時に読んで目を開かれました。人間の一生というものは、ええことばっかりでなくて、常に裏切られ、悔しい思いをし、それでも生きていかなあかんことをはっきり書いてくれた。私は世界最高の文学だと思う。
小説は所詮フィクションの世界やけど、人生のいろんなとこへ当てはまる。ノンフィクションはそこに書かれていることだけしか当てはまらないけど、フィクションの場合はいろんなとこへ適合する。そこが素晴らしいんです。
失敗が多いだけ人生は豊かになる
――いまもお元気で現役を貫かれている秘訣はなんでしょう。
坂本 一にも二にも本ですな。本屋に対する愛情と、本が私に向けてくれた愛情。その交流だけです。
本ってね、生きて甦って私の心の中に飛び込んできてくれる。「本は生きている」と書いたら、「そんなアホな。ただ紙に活字が印刷してあるだけや」と言う人がいたけど、そんな人は既に死んでるわ。
本ってね、読んであげることによってその作家の情熱や理想が伝わってくるんです。どうしたら人に伝わるか、自分のこの思いをどんな方法やったら相手に伝えるこ
とができるか、一所懸命考えて形になったものが本です。
――きょうまで歩んでこられて、人生で大事なことはなんだと思われますか。
坂本 自分を偽らんように、できるだけ自分に素直に生きること。所詮世の中は嘘で固められているけど、自分に対して嘘をついたらおしまい。それから、人生辛いこ
とも多いけど、上司が悪い、世の中が悪いというのは通用せん。全部自己責任。どんな環境になっても、病気で動けなくなっても、それが自分の運命や。
私みたいに九十になってまだ元気で商いをさしていただけてるのは、有り難すぎるほどの人生やから、心を尽くして、人々にいままで受けてきたご恩、受けてきたいろんな知識とか知恵を伝播していくのが私の仕事だと思ってます。
これまでたくさん過ちや失敗を重ねてきたから、それを伝えて若い人たちの参考になったらええやろ。失敗と躓きの数がその人の勲章。その数が多いだけ人生は豊かになる。それが一番の貯金ですよ。
――勇気づけられる助言です。
坂本 失敗して自分は一番しょうもない人間やと思うのと同じレベルで、自分ほど強くて、真っすぐで、負けないやつはおらんという二つの重心を持つこと。片側だけやと転んでしまう。そして地べたに放り出されても、そこで負うた傷を勲章に変える。人生はオセロゲーム。真っ白の裏に真っ黒。真っ黒の裏に真っ白がある。真っ黒の真後ろに真っ白があることを忘れたらいかんですよ。
坂本 一にも二にも本ですな。本屋に対する愛情と、本が私に向けてくれた愛情。その交流だけです。
本ってね、生きて甦って私の心の中に飛び込んできてくれる。「本は生きている」と書いたら、「そんなアホな。ただ紙に活字が印刷してあるだけや」と言う人がいたけど、そんな人は既に死んでるわ。
本ってね、読んであげることによってその作家の情熱や理想が伝わってくるんです。どうしたら人に伝わるか、自分のこの思いをどんな方法やったら相手に伝えるこ
とができるか、一所懸命考えて形になったものが本です。
――きょうまで歩んでこられて、人生で大事なことはなんだと思われますか。
坂本 自分を偽らんように、できるだけ自分に素直に生きること。所詮世の中は嘘で固められているけど、自分に対して嘘をついたらおしまい。それから、人生辛いこ
とも多いけど、上司が悪い、世の中が悪いというのは通用せん。全部自己責任。どんな環境になっても、病気で動けなくなっても、それが自分の運命や。
私みたいに九十になってまだ元気で商いをさしていただけてるのは、有り難すぎるほどの人生やから、心を尽くして、人々にいままで受けてきたご恩、受けてきたいろんな知識とか知恵を伝播していくのが私の仕事だと思ってます。
これまでたくさん過ちや失敗を重ねてきたから、それを伝えて若い人たちの参考になったらええやろ。失敗と躓きの数がその人の勲章。その数が多いだけ人生は豊かになる。それが一番の貯金ですよ。
――勇気づけられる助言です。
坂本 失敗して自分は一番しょうもない人間やと思うのと同じレベルで、自分ほど強くて、真っすぐで、負けないやつはおらんという二つの重心を持つこと。片側だけやと転んでしまう。そして地べたに放り出されても、そこで負うた傷を勲章に変える。人生はオセロゲーム。真っ白の裏に真っ黒。真っ黒の裏に真っ白がある。真っ黒の真後ろに真っ白があることを忘れたらいかんですよ。