奇跡を生きた偉人たちの物語(致知2015.12)③

◆天才浮世絵師・葛飾北斎
三人目の偉人は、あの有名なゴッホにも影響を与えたと言われる、江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎です。
ここで注意しておきたいのは、北斎にしてもゴッホにしても、その作品の素晴らしさをいくら語っても生き方の参考にはならないということです。つまり、偉人を取り上げる場合には、その才能と心構えを分けて考える必要があるということです。
実際、北斎は小さい頃から手先が器用で、十八歳で人気浮世絵師に入門。しばらくして師匠のもとを離れてからは、独りで作品づくりを始めています。それくらい才能に恵まれていたのでしょう。
しかし、北斎のすごいところはその旺盛な創作意欲にあると言ってよいでしょう。彼は千図を超える物語の挿絵をけじめ、人物や風景を対象とした錦絵や肉筆画など、多彩なジャンルに次々と挑戦していきました。
天才というのは、いい作品を狙い撃ちしてつくるというイメージがあるかもしれませんが、北斎は全くそうではありません。自らを「画狂人」と名乗るほど、猛烈な勢いで次々と作品をつくっていったのです。
北斎にはこんな逸話が残っています。これは彼が七十九歳の時のことですが、火災に遭って家財道具とともに七十年間書き溜めてきたスケッチ帳が燃えてしまいました。ところが当の北斎はというと、焼け残った一本の筆を持ち、残った徳利に水を入れ、割れた破片を絵皿にして平然と絵を描き始めたというのです。
そうした北斎の多作ぶりは、長い目で見ると、作品が量から質に転化していったとも言えるかもしれません。死ぬ間際、当時八十八歳だった北斎は。
「せめてあと十年、いや、あと五年でも生きられたら、私は本当の絵を描くことができる」
と言っていたことからも、作品をつくり続けることの大切さを知っていたのでしょう。
そして北斎の話を通じて子供たちに伝えたいのもまた、彼の絵に対する心構えの表れでもある極端さであり、圧倒的な行動量です。例えば子供たちが「僕は水泳が苦手」とか「私は鉄棒が苦手」と言うのをよく聞いてみると、たいしてやっていないことがほとんどです。つまり少しやっただけで、すぐに自分は苦手だと決めつけてしまうのです。
北斎のように才能ある人でも、猛烈な創作意欲と努力によって初めて「世紀の芸術」と称されるようになった事実を伝えることは、子供たちに量をこなすことを促すきっかけになるのです。
◆偉人の偉人たる所以
さて、ここまで偉人たちの生き方について見てきましたが、私が偉人伝を通じて子供たちに最も伝えたいことがあります。それは後世に残るような大きな仕事をした偉人たちには、ジャンルや境遇はまちまちであっても、一つだけ共通点があるということです。
私はこれを系統立て、「成功の法則」として子供たちに教えてきました。具体的には、「よーし!(決心)→やる(実行)→続ける(継続)→壁・失敗・挫折→諦めない(不屈)→続ける(さらに継続)→偉業(成功)」という一連のプロセスです。
つまりどの偉人たちも挫折や大失敗を経験し、それでも諦めなかったというプロセスを歩んできたのです。もっと言えば、一度心に決めたことは、何事があろうとも絶対に諦めなかったのが、偉人の偉人たる所以であるということなのです。言葉を換えれば、「偉大なことをやった人というのは、心が偉大であった」と言ってもいいでしょう。
それだけに冒頭にも触れたように、一冊でも多くの偉人伝を読んでほしいと思います。特に小さな子供たちには、奇跡のようなことを成し遂げた人たちの存在を知ることで、「そんなこともできるんだ」と知ってもらうことがとても大切です。
例えば陸上競技の百m走では長らく「十秒の壁」というのがありました。しかし、一人がその壁を乗り越えると、不思議なもので次々と十秒を切る選手か現れました。同じように子供たちには、偉人伝を通じて、「これが限界だ」と思っていたことが、実は本当の限界ではなかった、そう思い込んでいるにすぎなかったということを学んでほしいのです。自ら限界をつくらない―――。そこに奇跡を生きた偉人たちに近づけるヒントが隠されているのではないでしょうか。