奇跡を生きた偉人たちの物語(致知2015.12)②
 
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◆インド独立の父・ガンジー
 
 一人目は、イギリスの植民地下にあったインドを、非暴力主義の立場から独立へと導いたインド独立の父、ガンジーです。
 ガンジーというと、おそらく多くの人にとっては、意志が強く、どんな困難にも挫けることなく、一国の独立を勝ち取ったというイメージがあるのではないでしょうか。
 ところが、彼の偉人伝を読み進めていても、若い頃だけではなく、中年になるまでは偉人としての片鱗すら感じられません。例えば、弁護士として初めて法廷に立った時には、あまりの緊張から話すことを全部忘れてしまい、そのまま退室してしまっています。また、何人かで集まって一緒に話をするのが苦手で、外出する時にはできるだけ人を避けていたというのですから、弁護士としても決して有能と言える人物ではなかったことが窺えます。
 ではそんなガンジーを一体何が変えたのでしょうか。それは彼が仕事で南アフリカを旅していた時の出来事と関係があります。当時、南アフリカでは白人による黒人への人種差別が行われていました。そのため彼が列車に秉って移動しようにも、車掌から「貨物列車のほうに移れ」と迫られ、「ちゃんと切符を持っている」と抗議をしても、荷物ごと放り出されてしまったのです。また、駅馬車に乗っていると、突然引きずりおろされて平手打ちを喰らわされたり、白人専用の道に足を踏み入れたら警官に蹴り倒されたりしてしまう、という経験までしています。
 確かにインドでもイギリス人による人種差別が行われていましたが、異国においてこれほどまで酷い仕打ちを受けたことで、ガンジーの中に差別をなくしたいという強い気持ちが湧き起こるのです。実際、彼は当時のことを回想して、「南アフリカで経験したことは、生涯を通じて最も『創造的な体験』だった」と振り返っています。
 つまりこの時、差別に対する私憤を公憤に変えたことで、「皆のために粉骨努力しよう」という、それまでになかった考えが彼の中に生まれたのです。非常に屈辱的な経験をしたことで、おどおどしていた一人の人間が強い意志を持った人物に大きく変わる。その後の国内における白人支配との闘いからも分かるとおり、自分のためではなく、人のために働くことで信じられないような大きな力が出るということを、ガンジーの生き方が教えてくれているのです。
 
◆盲目の偉人・塙保己一
 
 二人目の偉人は、江戸時代に生きた塙保己一という人物です。残念ながらいまの日本では、保己一について知らない人が実に多いのですが、戦前には必ずと言ってよいほど教科書に載っていた人物で、当時は知らない人が誰もいないくらいの有名人でした。
 しかも保己一というのは、ヘレン・ケラーの両親が、 「あなたが目標とすべき人物がいる。塙保己一という日本人で、目が見えなくても偉業を成し遂げた人なんだよ」と彼女に伝えていたほどで、実際に彼女が人生の手本にしていた人物でもあるのです。
 では、保己一とは一体どのような人物だったのでしょうか。彼は七歳にして失明し、十二歳で母親を失うと、十五歳にして江戸にある盲人一座に入りました。当時、目が見えない人たちは、肓人一座に入ることが一般的なコースで、そこで三味線や琴、按摩、鍼を習い始めたのです。
 ところが保己一は、いくら修業をしてもちっとも上達しません。不器用だったのでしょう。一時は絶望して命を絶とうと考えたこともあったそうです。
 そんな姿を見かねた一座の師匠は、学問好きだった保己一に「三年間はお金を出してあげるから、学問をとことんやってみろ」と言うのです。ただし、学問の芽が出なければ実家に返す、という条件つきでした。
 落ちこぼれだった保己一が耳を頼りに猛勉強を始めたのがこの時で、後に「日本に古くから伝えられている貴重な書物を集めて、次世代に伝えていきたい」と志を立て、四十一年かけて編纂・刊行したのが、保己一畢生の大事業となった『群書類従』でした。
 その労たるや古代から江戸時代初期までの約千年間に書かれた文献を一万七千二百四十四枚の版木にまとめあげるというものでした。彼の伝記をとおして伝えたいことは人間の可能性の大きさです。小さい頃から目が見えず、落ちこぼれるようなことがあっても、努力をすれば自分の志を追究できる。そのことを彼の生き方が教えてくれているのです。
 ちなみに、保己一には先に挙げたガンジーと似たような逸話も残されています。ある時、保己一が道を歩いていると、突然下駄の鼻緒が切れてしまいました。ちょうど目の前には版木屋があったので鼻緒の代わりにする布切れを分けてほしいと店主にお願いすると、「何だ、めくらのくせに!」と投げつけるようにして渡されたのです
 思わぬ屈辱を味わった保己一でしたが、彼はこの布切れをずっと持ち続けます。そして後に『群書類従』の編纂・刊行に際して、彼はわざわざその版木屋を選んで仕事を依頼しているのです。店主にはこう告げました。
 「実はあの時、あなたに大変な仕打ちを受けた。これがその時の布切れです。これは決して皮肉ではなく、むしろあなたに感謝しているんです。私はあの時、励ましをいただいたと思っています。ですからその悔しさを忘れることなく、人様から後ろ指を指されないような人間になろうと、強く決意したのです」と。保己一心またガンジーのように、不幸な経験を「創造的な体験」にしていたのです。