●現在の東海道=1号線
興津・由比間の東海道が、かつて広重が描いた山を通る薩埵峠ではなく、
今日土砂崩れが起こった海岸線沿いに移動したのは
19世紀の終わりころだった。
それは、こんな自然の事情が起こしたものだ。
1854(嘉永7)年に起こった安政東海地震により薩埵峠直下の海岸が隆起し、
容易に通行できるようになった為、
東海道(後に国道1号線)は現在の海岸線を通るルートに改められた。
いわゆる自然の産物であるこの海岸線の土地。
本日の崩壊で、地震隆起でできて以来4回目の崩落となる。
●かつての東海道・薩た峠
ここ薩埵峠(さったとうげ)は、静岡市清水区由比町にある峠である。東海道五十三次では由比宿と興津宿の間に位置する。ワードプロセッサーでは埵の字が変換できないため、薩堆峠の表記やカタカナでサッタ峠と表記する例が増えている。
●概要
旧清水市と旧由比町の境界部は、山が海へと突き出す地形となっており、古くは海岸線を波にさらわれぬよう駆け抜ける必要があった。このため、同様の状態であった新潟県・富山県境の親不知と並び称されたり、東海道の三大難所として語られてきた。このため山側に迂回コースとして造られたのが薩埵峠である。
峠からの富士山と駿河湾の景色は、東海道五十三次にも残されるほどの絶景であり、高速道路(東名)の宣伝材料など、さまざまな素材にも利用されている。
薩埵という名称が「去った」と読めて語感が悪いという理由で、江戸時代末期の和宮の徳川家茂への婚儀の行列はここを通らず、中山道を通過した。
すぐ下には、東名高速道路の薩埵トンネルが通っている。
●災害
地質的に脆弱であり、古くから地すべり性崩壊による土砂災害が発生する場所として知られていた。特に、由比町側では集落の裏山が地すべり防止区域に設定され、林野庁の直轄治山事業が行われてきた経緯がある。
- 1707年 宝永地震により崩壊
- 1854年 安政東海地震により崩壊。なお、この地震の影響で直下の海岸が隆起し海岸線が通行可能になった
- 1892年、1938年、1948年 原因不明の崩壊が発生。直下に位置する東海道本線を埋没させた。
- 2014年10月6日 大型の台風18号により、薩埵峠西側付近にて東海道本線の上下線が土砂にふさがれた。
●現在の旧東海道薩埵峠
現在の国道1号は海岸線を沿うように走っており、薩埵峠は主要道路の位置づけから外れている。道幅は1車線ギリギリという狭さではあるが、峠の最高地点には石碑や駐車場などが整備されている。浮世絵にクロマツが点在する姿で描かれていたハゲ山は、ミカンを中心とした果樹や雑木林が広がる斜面となっている。







