9回裏8対0から、勝利は逃げた……
 
「もはや勝ったも同然、これで甲子園に行ける」。そう思った時から悪夢は始まっていたのかもしれない。なぜ高校史上に残る大逆転劇は起きたのか。敗れた選手たちの証言を元にあの試合を振り返る。

永遠に終わらない気がした

イメージ 1打球がレフトの頭上をこえ、サヨナラ負けが決まった瞬間、小松大谷の2年生左腕・木村幸四郎は、マウンドに立ち尽くした。
「悔しいというより、3年生に申し訳ない……その気持ちしか頭に浮かびませんでした」
監督を務める西野貴裕(39歳)は、29年ぶりの甲子園出場が絶たれたその時、「野球の神様」の声を聞いた気がしたという。
「『お前らに甲子園はまだ早いよ』って。しかし神様は、甲子園を目前にしてなぜこれほどまでの試練を与えるのか……。選手になんと言葉をかけたらいいのかと、呆然としました」
夏の高校野球、石川大会決勝。松井秀喜を輩出した伝統校・星稜を相手に、小松大谷は最終回まで8対0と大きくリードし、悲願の甲子園出場は目前だった。ところが9回裏に星稜の猛攻を浴び、瞬く間に点差は縮まっていった。打者が一巡し、13人目で勝負は決した。9回裏、8点差をひっくり返すという、地方予選決勝では史上最大となる大逆転劇だった。
およそ20分も続いた9回裏の守りは、西野にとって悪夢のような時間だった。
「このまま永遠に続くのではないかと思うほど、とにかく長かった。パニックに陥っていたわけではありません。伝令を送り、選手たちを落ち着かせようとしていたつもりですが、『早く終わってくれ』と誰より願い、焦っていたのは私だったかもしれません」
とうてい予期できぬ展開だったのは、勝った星稜の監督・林和成も同じだった。
「こんなこと選手にはもちろん言いませんが、4回に7点差になった時点で今年は(甲子園に)縁がなかったなと思いました。もう一度やれと言われても、できるゲームではありません」
サヨナラの直後、喜びを爆発させて抱き合う星稜ナインのかたわらで、小松大谷ナインは黒土に伏して涙に暮れた。
先発したエース山下亜文をリリーフした木村は悪夢の9回について監督の西野と真逆の印象を口にした。
「あっという間の出来事でした。星稜に傾いた流れを食い止めようとしたんですけど……何を投げても打たれるような気がしました」
*
あの試合の話を聞くため、小松大谷高校を訪れたのは、敗戦の4日後だった。エースの山下は体調不良で姿を見せなかったものの、レギュラーの3年生4人は敗戦のショックを引きずりながらも取材のためにグラウンドに来てくれ、2番手としてマウンドに上がった木村と捕手・下口玲暢の2年生バッテリーは、秋の大会に向け練習試合を行う仲間たちの脇で、50mダッシュを黙々と繰り返していた。
星稜と金沢、遊学館という3つの甲子園常連校がしのぎを削る石川の高校野球にあって、小松大谷はいわゆる超強豪ではない。
甲子園出場は、北陸大谷の校名だった'85年の一度きり。センバツ出場の経験はない。'91年夏にも石川大会決勝に進出したが、2年生だった松井を擁する星稜に敗れた。その試合の先発マウンドに立ったのが当時1年生の西野だった。1歳上の松井を四球とライトライナーでしのいだものの、途中降板し、試合は1対5で敗れてしまう。事務職員として母校に帰ってきたのが2年前の春。恩師である菊池信行前監督の退任に伴い、'12年秋から監督に就任した。
「親父(菊池前監督)を甲子園に連れて行くことが現役時代も、監督となってからも夢なんです」
西野は監督に就任して以来、横浜や大阪桐蔭など全国の強豪校と積極的に練習試合を組んできた。そういう努力が実を結び、昨秋は北信越大会に出場、今春の石川大会は準優勝だった。同校史上、最強チームの完成が近づいていた。

いつエースを降ろすのか

そして7月27日、23年ぶりの決勝を迎える。小松大谷打線は、プロも注目する星稜エース・岩下大輝を序盤から攻略した。
「低めのフォークとスライダーを見極めることを徹底させました。低めさえ見極めれば必ず球が上ずる。それを強く叩けと伝え、選手が実践してくれました」
2回までに6点を奪ったが、勝利を確信するにはまだ早い。2回裏の守備を終え、ベンチに戻ってきたナインに、西野はこう言って活を入れた。
「愛知遠征を思い出せ!」
今年6月に小松大谷は愛知遠征を敢行し、中京高校(岐阜)と対戦。11対2と大量リードしながら、試合終盤に大逆転を許す屈辱を一度味わった。
「相手に流れを渡してしまうと、止めるのは容易でないことを選手は経験している。そういう事態を招かないためにも、一つ一つのプレーに全力で臨むんだと指導してきました。選手にも私にも慢心はなかったはずでした」
大会期間中、最速143㎞のエース左腕・山下も、スライダーと大きなカーブのコンビネーションで打者を打ち取る2番手の木村も、好調を維持していた。
しかし、決勝までの戦いで山下は疲弊していた。8回までは2安打に抑えるも、もう限界が近づいていた。この試合中にもすでに一度、準決勝に続き、軸足となる左足がつっていた。
西野は山下に「次、足がつったら交代する」と告げ、継投のタイミングを計った。
「継投は回の頭に代えるのが理想です。しかし、8回まで2安打しか許していないピッチャーを代えることで、相手に流れが行くことだけは避けたかった」
結局、山下は9回の先頭打者にストレートのフォアボールを与え、2連打を浴びて簡単に2点を失う。
続く相手5番・佐竹海音の打席、2球目が佐竹の膝元への暴投となり、マウンド上からジェスチャーで監督に「限界」を告げた。試合後に判明したことだが、山下の左足は、2ヵ所の肉離れを起こしていた。山下はセンターのポジションに回り、マウンドには2年生の木村が上がる。
1ボール1ストライクのカウントから佐竹と対峙した木村は、縦に大きく割れる変化球で空振り三振を奪う。しかし次の瞬間、バックネット方向に駆け出す捕手・下口の姿があった。
振り逃げ—。しかも、打者ランナーに二進を許し、ワンアウト一塁となるはずが、ノーアウト二、三塁の大ピンチとなった。続く6番・梁瀬彪慶を木村は簡単に追い込んだが、外角のスライダーをカットされ続け、7球目をレフト前に運ばれてしまう。2者が還って8対4。
交代直後にあったこのふたつの対決が、勝敗の行方を大きく左右した。2年生捕手の下口はこう言って自分を責める。
「振り逃げされた球種はスライダーでした。あのワンバウンドしたボールを自分が止めていれば、流れを引き戻せたかもしれないし、続く梁瀬の打席でも、バットが届かない低めに木村も思い切って投げられたはずです」
さらに木村は7番・岩下への2球目、レフト場外へ消える特大本塁打を喫してしまう。木村が力なく言う。
「ファウルになった初球はカーブ。2球目もカーブでした。早く1アウトが欲しくて、簡単に勝負してしまった。もうちょっとボール球を使うとか、真っ直ぐを使うとかすれば良かったんですが、カーブでカウントを稼ごうとしてしまった」

もう少し肩が強ければ……

8対6。それでもまだ2点のリードがあり、小松大谷の数字上の有利は変わらない。だが、球場の雰囲気は違った。小松大谷応援団以外は、スタンド全体が星稜ナインの逆転を期待し、星稜ナインの背を押すような声援がこだまする。異様な雰囲気の中、小松大谷ナインは追い詰められていく。
この試合を映像で見た青森・八戸学院光星監督の仲井宗基はこう語る。
「高校生というのは精神的にはまだまだ未熟です。それゆえ、勢いに乗った時、あるいは勢いに押された時、極端にそのチームの持つ技術力が反映されてしまうのかなとも感じました」
その時、センターの守備についていたエースの山下は、かみ合わせの矯正のために使用していたマウスピースを口から出したり入れたりを繰り返していた。極限の緊張状態がさせる、無意識の行動だったのか。
今春のセンバツを制した龍谷大平安の監督・原田英彦は、毎年小松に遠征することもあり、小松大谷の戦いに注目していたと話す。
「勝てば久しぶりの甲子園ということで、9回は長く感じたと思いますし、早く終わりたいという心理が働いたはずです。リードしていて本当は有利なはずなのに、点差が縮まっていくにつれ追い込まれていったのではないでしょうか。勝者と敗者の心理の逆転が起こったのだと思います。星稜に関しては、日頃から絶対に諦めない練習というか、習慣をつけているのでしょう。普通は8点差あれば諦めますよ」
なんとか一飛でワンアウトをとるも、その後2連打で1死一、三塁とピンチが続く。ここで、この回2度目の打席に入った2番・村中健哉の打球はショートへ。ボールは6‐4‐3と渡り、ダブルプレー、これで試合終了のはずが……。打者走者が一瞬速く一塁を駆け抜けていた。しかもその間に三塁ランナーがホームイン、ついに1点差となった。
「そのままショートがベースを踏んで一塁に投げていたら……。もしくは僕の肩がもう少し強かったら……」(二塁手・中村淳平)
8対7にはなったが、ツーアウトでランナー一塁というピッチャーとしては投げやすい場面になった。
しかし木村のコントロールが定まらず、痛恨のフォアボールを与える。次打者は4番。その初球、甘く入ったストレートをセンター前に運ばれ、ついに同点—。
この時、センターを守っていた山下が一塁走者を刺そうと三塁にボールを送った。判定はセーフ。映像で見る限り審判の判定は正しいように見えるが、三塁手の多田拓夢は今も納得していない様子だった。三塁にはサヨナラのランナーが残る。

この悔しさを忘れない

捕手の下口は、今になって9回表の攻撃を悔いていた。星稜は序盤に降板していたエース岩下を再登板させ、小松大谷を三者三振に切って取る。この回の先頭打者として打席に入ったのが下口だった。
「僕が簡単に三振してしまった。甲子園が決まったと思っていたわけじゃないですけど、どこか気持ちが抜けていた。(三者三振に終わり)9回裏の守備につく時、『何かが起こるかもしれない』と思っている自分がいました」
8対8の同点で、迎えるバッターは5番の佐竹。初球空振りの後の2球目、高めのカーブを強振された。痛烈なライナーが、レフトを守っていた石田翔一の頭上を無情にも越えていった。
「ランナーが三塁にいたので、前にも後ろにも落とせなかった。一生懸命追ったんですけど、無理でした」(石田)
西野に悔いの残る采配はないかと訊ねると、こう答えた。
「投手交代に関しては多少の悔いはあります。やはり9回の先頭から木村にバトンタッチすべきだったのではないか、と。自分たちの流れを作り出すのが指導者の役割。星稜さんは9回表に岩下君を登板させて流れをたぐり寄せた。そういったことを、私はできなかった。甲子園に連れて行ってあげられなかった責任はすべて私にあると思います」
敗れた小松大谷ナインは、表彰式を終えると母校に戻った。3年生部員は2年半過ごした部室の掃除をし、エースの山下は慣れ親しんだマウンド整備を他の部員が帰るまで行っていた。
「そういうことができるやつらなんです。『キレイな所からしか良いモノは生まれない』と、いつも教えてきたことを、最後の最後まで貫いてくれた。私は選手たちに『きっとこの先のお前らの人生において、今日の試合と同じぐらい大きな試練が形を変えて襲ってくる。それに備えて人生を歩んで欲しい』と伝えました」
3年生も監督である西野も、決勝戦の映像をいまだに観ていない。だが、2年生バッテリーだけは違った。新チームのエースとなる木村は言う。
「そりゃあ僕だってつらいです。だけど、現実を受け止めないと……。悔しさを忘れないためにもあの試合は、2回観ました。来年、星稜に勝って甲子園に行きます」
美しき敗者は、すでに新たな一歩を踏み出している。
(取材・文/柳川悠二)