イメージ 1上下関係の洗礼受けない男など使えない (2009.02)
 
社会に出て、言い訳と楽な道の選択しか考えられない使えない男をよく見る。
 
「がまん」が大人の道なのにそれができない言い訳おかま野郎。
 
大切なことは「上下関係」「理不尽・受け入れられないこと潔く受け止める我慢」は高校の時期にしか培うことができないことだ。
大人になってそれは身につけることはキツイ。
 
チョッとサッカーや勉強ができると誤解している生意気な小僧は、
打ちひしがれ、挫折し、
理不尽の中で親から自立し謙虚な強い男となり、
尊敬すべき大人として持つべき「謙虚さと自信」をあわせもつ人となる。
苦労に耐えることができ、親の苦労や愛情が慮れる大人に変わる。
 
この新人戦の最中にも
「日本の暗い先行きを暗示するようなおそろしい光景」
を見ることとなった。

選手が解散するや否や母親が寄ってきて、
その選手が自分の荷物を親に渡し持たせる。
高校生がだ。
まわりに他の選手がいるにもかかわらずだ。
 
子供の育成の道を断つ「子供のペット化」などと世間は洒落た言葉で姦しいが、
それは切実焦眉の問題だ。
 
親子共々の教育と、家庭と、
日が浅く歴史の洗礼受けないクラブの教育的機能の欠落でもある。
しかもそれはもはや100%親とわれわれ大人の問題だ。
妥協の麻薬「金」と「無条件の物分りの良さ」を嗅がせる。
 
高校部活の歴史的仕事でもある「上下関係」の良貨は、
悪貨否定の中で崩壊するところも多いが、
ここ静学では、せめて理解可能な親の子供だけには
「大人になるための必須アイテム」
を身につけて巣立つよう使命を果たそうと思う。
 
後輩に尊敬されるにふさわしい先輩になれないことは恥ずかしいという気風。
後輩は先輩を尊重・尊敬できる気風。
 
言い訳いわず開き直らず、
粘り強く生きる「日本男児」こそイケているんだ。
 
この新人戦でもまたサッカーは教えてくれる。
自分の日ごろの努力すべてをかけたプレーでないと、
強い相手には通用しないということを。
 
二流の才能は
死にもの狂いの生活で
一流の末席を手に入れることができることを。