【夢や目標を真剣に求める者の思考】

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日々のやるべきことを、毎日限界よりちょっと上に設定し、為し続けることだ。
そんなぎりぎりの生活を過ごすことだ。
 
 
●たとえば会社経営
売り上げ減った。倒産の危機だ。
その時でも、救う道は一つ。
小さな仕事に全力を尽くす。
良い仕事をする努力。
顧客から絶大の信頼を得るところに一層の全力をあげれるかどうかに道がある。
 
一獲千金狙い、新しい機を衒った宣伝の導入、非専門分野への多角化、景気がよい時でさえできもしなかった売り上げ目標は逆効果。
自分を見失う破滅の道だ。
 
●たとえば多額の負債
返済で生活ができない。
まず貫くことはこれ以上負債を増やさぬこと。
つつましい生活とその収入を確保する日々懸命に働くこと。
現実の事業や生活をしっかりすることだ。
 
絵空事の返済計画を妄想すれば、
ついてくるのは、変わらぬ不健全な暮らし、なにかを見失った自分がある。
足下を変えないで負の克服などだれも信用しない。
 
●たとえばサッカー
このままではレギュラーは遠い。自分のだれにも負けない特徴が見当たらない。
考えることはひとつ。
遅れた技術を身につけるため、
ギリギリの練習と生活の連続、目標遂行に必要な時間を過ごすこと。
続けること。淡々と連続させること。
 
観念的な決意で、1日40時間必要な幻の練習計画は、
あきらめと、「後に回す享楽」が侵入するスキの時をつくる。
急に自分がメッシになる幻想は幼稚でバカバカしい。
 
●今日の君はどうだ
生活と目標がかけ離れているなら。
君のいるところは、
ここじゃない。
たぶん。
 
今の日本、
趣味と見映えと楽できる条件で過ごすことは可能だ。
そこでも夢が見れる。
無理して手に入れるもの以外に限られるけどね。
それを夢と言い切っちゃえば、
暮らせないことはない。