10代長官寺田治郎では、7件の大法廷での憲法訴訟があった。
 このコートで、同様の中身で再び法令違憲判断が出た訴訟がある。それは、議員定数訴訟である。この訴訟に関しては、1976年にも違憲判断が出て、それから9年後に、また違憲判決が出た。
 85年訴訟では、1対4.40の格差があり、75年に公選法改正はあったが区割りの見直しは行われなかった。各地で訴訟が行われ85年の最高裁訴訟は、広島高裁の上告審であった。
 最高裁は、まず76年違憲時に用いられた投票価値の基準の観点では選挙区の人口と定数の比率の平等が基準とし、これに当てはめると不平等とし、合理的期間の観点では合憲判断となった83年訴訟とは異なり、違憲程度の不平等から選挙まで相当な期間があったことから、85年に最高裁は違憲判断を下した。
 これは、司法からの「最後通告」でもあり、当時の中曽根政権にも大きな影響を与え86年・92年に定数改正が行われたが、それでも92年改正時でも1対2.81と大きかった。
 また、今回の議員定数訴訟には、長官のこだわりがありこれが後の憲法判断に関する最高裁のスタイルに影響を与えることになる。特にも、個別意見が目立った。
 裁判所法では、最高裁での裁判に限り各裁判官の意見を表示する決まりがあり、個別意見も表にでる。これは、最高裁は法解釈の最高機関であるということもあるし、最高裁裁判官だけ国民審査が行われるため、審査の判断材料の意味合いもある。
 個別意見には3種類あり、多数意見で理由づけも同じだが、より深く突っ込んだ説明を「補足意見」、多数意見と同じだが理由づけが違う「意見」、真っ向から対立する「反対意見」があり、このうち補足意見だけがついた全員一致の意見を「法廷意見」とよび「多数意見」と区別したりする。
 寺田コート以前でも、個別意見はあったがそれは理論的な部分が多かったが、寺田コート以後の愛媛玉ぐしのように、人らしさが入った個別意見が多くなり司法がより一般社会に近くなっていった。
 11代長官矢口洪一の時は、法令違憲5件目となる森林法違憲事件があった。過去の法令違憲では、憲法以外の法律に対する法令違憲だったが、今回は憲法の保障する「財産権」についての法令違憲判決と言う、憲法そのものに対してという初めてのケースだ。
 森林の共有をめぐり、兄弟が争っていた。兄弟は生前贈与された104ヘクタール山林を1/2ずつ共有持ち分の登記をしたが、兄が弟の了解を得ずに山林の一部を伐採し売った。信頼関係が崩壊したとして、兄に自分の持ち分の分割を求めたが拒否したため訴訟となった。
 共有物の分割は、民法256条で共有者は他の共有者にいつでも共有物の分割請求が出来るとしてるが、この原則を森林法186条では持ち分価値1/2以下は分割請求権を否定し、これが憲法29条に違反すると主張したが、1審・2審とも合憲の判断を下した。
 29条では、1項で財産権侵害をダメとしているが、2項で公共の福祉の範囲内での規 制は大丈夫としている。最高裁は、財産権規制について、目的が公共の福祉の範囲内でなく仮に範囲内でも手段が目的達成のための合理性・必要性に欠けてれば違憲だと言っている。この2点から判断し、最高裁は森林法で規定してる分割請求権の否定は、目的として肯定できず、手段としても合理性に欠けるため、憲法29条に違反するという判断をした。
 ここで、思い返したいのが規制目的二分論。これは、法律による営業・職業の規制には二種類あり、一つは後に厳格な合理性が用いられて、市民の生命や健康を守る「消極目的」。もう一つは、後に明白性の原則が用いられて、弱者救済・経済発展を図る「積極目的」だ。
 だが、今回は積極目的と捉えつつも、厳格な合理性が用いられ違憲判決が導かれた。これには、学者間でも学説の対立は続いている。また、今回のような個別案件毎に規制目的2分論を震災すべきだろうと捉えられる判決もあったが、(公衆浴場事件 1989)学説から、積極目的・消極目的の区別が曖昧や、立法者が積極目的を使えばなんでも明白性の原則に持ち込めるのはおかしいなどの批判がある。学説の批判を意識してか、近年規制目的二分論が関わる裁判では、消極的な姿勢である。
 13代長官三好達の時代は、寺田コート時に蒔かれた種がつぼみとなるような訴訟があった。それは、愛媛玉串料訴訟である。この時、多種多様な個別意見が出た。
 靖国神社の玉串料を県が公費で支出したのが、政教分離原則に違反するかという訴訟で、最高裁は97年に違憲判決を下した。政教分離原則が争点となり、違憲判決を下した憲法訴訟は初めてで、しかも13対2の大差での違憲判決だった。
 政教分離原則とは、20条3項で国家と宗教が関わることを禁止してるが、これはすべての行為を禁止してるのではなく、目的が宗教的意義を持ち効果が宗教の援助・促進に繋がる行為(目的・効果基準)を禁止している。この基準は、77年の津地鎮祭訴訟最高裁判決時に用いられ、今回の玉串訴訟にも用いられている。
 最高裁多数意見は、玉串料=宗教的儀礼と一般人が考えてるとは言い難く、奉納者宗教的意義を持たざるを得ないし、公金支出は県が靖国=特別視という見方ができ一般人の関心を呼び起こすとする一方、多数意見には公金支出に儀礼的意味合いもあると一定の理解もしている。しかし、政教分離規定の制定過程に立てば、特定宗教との関わりは他の方法でも可能だから、違憲判決とした。
 この訴訟の注目点は、多種多様な個別意見。7人の裁判官が個別意見を表明した。例外を認めるべきでないという厳しい物から慎重的な物。曖昧性を危惧する物もある。ちなみに、長官は反対意見の立場をとり、もう一人の反対意見の裁判官と共通して社会的儀礼の範囲内として合憲とした。この違憲判決は、その後の靖国参拝をめぐる国の対応に影響を与えた。
 この10~13代長官の時代は、最高裁が従来の判例や学説に拘り過ぎることなく個別案件ごとに柔軟な判断をしていこうという「救済の府」へと変わろうとしている時期でもあった。それを象徴させるように、この時期の個別意見に学説の解釈だけでなく、裁判官各々の個性が滲み出て、裁判官が多種多様な意見を述べる時代になったのだろう。