歴代首相の経済政策 全データ 草野厚 角川oneテーマ21




どちらかというと経済政策と言うよりかは、経済政策を含み製作過程の中でどのような要因が重なるのかを書いて様な本なので、微妙と言えば微妙でしたがこの時代こんな社会情勢だったんだぁ~と振り返ることができ、政治史という観点でみると面白いかなぁ~と感じたが、やはり門外漢に経済を詳しく語るのは難しいんだなぁ~と感じた。例え、政策過程論の専門家でも・・・




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戦後間もない頃の政策の基本は、戦争の後処理とそれに伴うインフレをどうするか?これが戦後最初の東久邇内閣~芦田内閣が求められてきた課題であった。昔も今も政局の争いは絶えず、特に吉田第一次政権~片山~芦田と酷かった


戦後、間もない頃は安定供給が出来るほどの生産能力もなく復員した人への報酬もあり急激にインフレに陥った。吉田第一次政権ではこれに対し傾斜生産方式を使い、打開しようとしたがこれをするために、復興金融債を日銀引き受けにした結果通過増発でインフレに拍車が掛かった。


当時、国内政治はGHQの影響をもろに受け世論に選挙の流れがおきた。そして、4月に総選挙があり社会党が勝ち吉田自身も社会党を危惧し首班指名を経て史上初の社会党内閣ができたが、右派の片山は左派の人達を納得させることはできず二ヶ月足らずで崩壊した。


時は、吉田内閣。インフレ対策はそれなりに効果を示しつつあるときだった。そのなかで、物価の上昇が目立った。吉田が衆議院解散にでる少し前にアメリカのトルーマン大統領による経済安定9原則を総司令部に指示した。これは、後に単一為替360円の布石であった。


その後、デトロイト銀行頭取ドッジにより緊縮財政による自由経済復帰を急がせた。公共事業3割減・地方への金二割カット。結果、日銀券の発行高1%切り消費財10%減・物価指数横ばいに成功。しかし、ドッジのデフレ対策は、左翼を刺激し米国でのレッドパーシを日本へ持ち込む事態になった。


朝鮮戦争は、日本に特需を生んだのと同時に輸出拡大に繋がった。ドッジ・ラインにより輸出に苦戦してた日本だったが特需による貿易拡大により外貨保有高が増え、ドッジによる政策で滞った通過は一掃され企業でも高収益体制が実現。


第4次政権で吉田に近い人達を閣内に入れ当時自由党内で冷遇された鳩山派は綻びを待ってた。ほどなくして、それは表れてきて終いには、西村栄一の質問にたいしコノヤロー発言。吉田は解散を選んだが鳩山が苦戦を強いられた。


だか、選挙で躍進したのが意外にも社会党だった。政権をとるためには鳩山派の党復帰を求めざるを得なかった。その後、自由党内でも揉めまくり吉田側以外の陣営が団結し吉田を総辞職に追いやった。その後、傾斜生産の対象分野は岸内閣時には急降下した。


時は、高度成長。全てのに多大な課題。そのなかで、注目すべき経済政策が2つ。1つ目は池田勇人内閣の所得倍増計画。池田の就任当時成長率は二桁とかいったりする高成長ぶり。そこで、池田内閣でうちだしたのが所得倍増計画。10年で所得を2倍にするために社会インフラに力をいれた。


社会インフラへの投資が進む反面、地方の過疎が進んだ。しかし、国民一人一人の働きが功をそうし、第一次産業の就労者はそれほど伸びなかったが機械化のおかげで農業の生産高は比較的に伸びた。また、この政策はこのあたりから始まった賃上げ交渉(春闘)においても労組サイドから、長目されてた。


さらに、人材育成にも投資した結果、高校進学・大学進学双方とも当時にしては飛躍的に増えた。しかし、国内需要の増加に伴う輸入増は輸出努力を怠る結果になり国際収支が赤字になった。 時の流れでも、この時期に日本はGATT→IMF→OECDへと移行・加盟を経験し、先進国の仲間入りとなった。


二つ目は、田中角栄内閣だ。新潟出身だけあって、地方との是正を訴えてた。拠点都市のインフラ整備・都市との交通網強化と俗に言う、日本列島改造論だ。しかし、この結果拠点都市の地価が高騰。日銀が引き締めをしたが遅し。企業にとっては、これを生かさんとばかりに使い国際収支の大幅黒字に。


そこへ、オイルショックがきて中東産油国はそれを巧みに利用し、日本は必然的に親中東に舵を切らざるを得なかった。また、このオイルショックが今までの公共事業等のサービスから財政規律・高齢民主主義へと舵を切るきっかけにもなった。が、これはアメリカサイドを刺激する結果となり後に辞任へ


その後、大平内閣で財政規律と同時に一般消費税導入と脱税防止のためのグリーンカード導入を提案したが総選挙で自民は歴史的惨敗で党内で増税・反増税で分かれたが首班指名でなんとか勝つも内政での縺れから過労で大平が急死。その後、一般会計の債務残高は95兆に膨れ上がった。


自民党第一次終焉へと向かう中で、印象的は竹下登内閣。一つは、消費税導入。これは、前の中曽根内閣の税制改革の中で出てきた。しかし、竹下は選挙演説で消費税に言及しておらず反感を呼び、参議院の補欠選や地方選挙で負けた。それでも消費税導入にこだわり、実現には成功するも責任をとり辞任した。


そして、終焉最後の宮澤喜一内閣。この年あたりに、PKO協力法等でインドシナ半島へ人的支援を行ったが、憲法9条との兼ね合いを突っ込まれ結局、お金による支援にとどまり国際的批判を浴びた。この時期は、バブル崩壊からまだまもなく個人消費や設備投資が冷え込み先行き不安だったが、物価は安定。


そのため、積極的な公共投資と不動産融資の規制緩和等を行ったが、地価下落・都市銀行の不良債権増加等景気後退へとつながった。また、国際経済でもGATTのウルグライラウンドが最終局面にきてコメの市場開放をめぐり日本は明確な態度を示さなかった。


しかし、事態は意気込ん手だ政治改革のドタバタや竹下・海部政権のように党内での不祥事も相まって内閣不信任案で党内で造反する者が出て可決。解散総選挙で自民は過半数を確保できず、他党は連立に消極的であった。結果、自民党は野党へ下野せざるを得なかった。


自民党第一次終焉後、細川・羽田・村山とイシューの違うもの同士が手を組んだため長続きせず結局自民党が再び政権を握った。再び政権を握った最初の総理橋本龍太郎は、消費税の税率UPで有名だ。当時、山一證券の破綻やアジア通貨危機など経済・金融の世界で様々な不幸の連鎖が続いた。


では、橋本は何をしたか?1つには行革や金融システム改革等6つの柱の改革だ。これらは、従来の縦割り行政から国民本意への行政への転換が目的とされてきた。この流れは、後に小泉純一郎の時に活発となる。また、首相直属の経済財政諮問会議を設置。


また、規制緩和によりコンビニでも外貨両替ができ後に、小泉政権で大鉈を振るう金融監督庁が発足。しかし、大蔵からの金融部門分離は怒りをかったが、橋本の裁断で総理府の外局が決定。予算編成に関しても、シーリングをやめ各分野に歳出の上限をつけた。


しかし、行革と引き換えに97年4月に消費税を3→5へ、2兆円の減税廃止とサラリーマンの健保自己負担率のアップに国民の消費意欲は減退。また、銀行の自己資本比率の対国内・対海外の違いが貸し渋りを生んだ。結果日経平均も20000円を割れ混む形になった。


結局、橋本政権も国民の不満やメディアの批判・ロッキード事件で有罪判決を受けた中曽根派の人を閣僚に起用など自身で自滅する形になり、参院選での敗北の責任をとり、辞任した。その後、小渕・森でも不景気の打開策はなかなか見えずそんななか光が差し込んだのが小泉純一郎だ。


小泉は、元々森派の人間だったが、派閥人事に拘らない過去の自民党の歴史から言ったら変人に値するだろう。この時の総裁選には、小泉をはじめ亀井・麻生・橋本が立候補。亀井・麻生は、景気回復優先、橋本は景気回復と構造改革だっだが、小泉は構造改革を優先した。


当時、日本はアメリカのITバブルの崩壊で日経平均が12000円前後。金融機関が抱える株式は含み益は少なくなり、破綻しかねない状況下。そんななかでも、小渕・森と違い持論を貫いた。1つは、民営化だ。郵政をはじめとし、特殊法人の統合や民営化に踏み切った。


それと並行して、特殊法人への国費投入1兆円の削減もやった。なかでも、道路公団の一連の流れはマスコミでも大々的に取りあげられた。もう1つは、財政諮問会議による予算のアウトライン作成で今までの官僚主導から政治主導への転換を試みた。


結果、概算要求基準で2000年比9000億減の過去最大をだし、国債発行額も30兆円を切った。しかし、それでも日本経済は厳しかった。


規制改革の目玉である特区制度は、既得権サイドの影響で進まなかった。一方で、外交・年金の件で自民党も民主党にもボロが出た中、この政権の象徴といえる郵政解散。郵政民営化に是か非かという分かりやすい争点と党内の反対者に刺客を送るなど並々ならぬ意欲の下総選挙の結果2/3ルールを満たした。


歴代政権崩壊の1つにはなんらかの形で、経済政策が絡んでるのは間違いない。成立と引き換えに、解散や総辞職を余儀なくされてる。それは、議院内閣制である以上議会の多数派には逆らえない。この流れは、必然と言えば必然だ。


それは、五十五年体制崩壊後の3総理を除く自民党政権にも言える。多数派に耳障りなことは言えず自ずと有権者に心地好い物しか言わなくなり正しいものでさえ間違いとされてしまう。そう考えると、橋本政権~小泉政権へかけての霞ヶ関の抜本的改革は反対や功罪あるにせよ画期的だった。


このような、時代の流れを経て国家改革に必要なことは何か?政策決定プロセスの透明化はさることながら、反対をいかに縮減するかなど政治制度の改革もそうだが有権者が私達が政治に参画してるという意識の改革が求められる。


日本の経済政策には、外圧による仕方なさにも注視する必要性もある。米国の圧力により80年代を境に様々な分野において市場解放を行った。後ろには、日米安保による日本の安全の担保が絡んでる。外交と経済は切り離せず、社会の変動も政策遂行の難しさにも現れてる。