スピリチュアルの扉の向こう -8ページ目

スピリチュアルの扉の向こう

龍神様と繋がり、母の霊視と共に神秘的な体験を綴っております。

人の言動によって、人は善と悪を抱く。

良い影響は、良心を育てる。
悪い影響は、我欲を育てる。

だからこそ、自分を律する謙虚な心が大切。

幼女時代の体験から、人のイジワルな言動によって、悲しむ人達がいる。

悲しむ人を救いたい、イジワルする人を救いたいと思い、奮闘する学校生活が始まる。

学校にはイジメがある。
何処の学校にもグループがあり、その中でも、イジワルをする番長という存在が必ずいる。

私は、イジワルする相手が男でも女でも関係なく立ち向かっていった。

イジワルするグループと対立するイジメられるグループの番長に私がなる事が多かった。まだ…グループ同士なら良いのだけど。

イジワルする相手グループに、イジメられている人を助ける事で、イジメられる標的が私になる。


学校は、何を学びにいく場所なのか?
先生は、何を生徒に教えているのか?

先生が私に伝えて来た。

二ヶ月だけ通った学校では、隣のクラスの先生だったけど「貴方がイジメられていたのに助けられなくて、御免なさいと私を抱き締め泣いていた」

違う学校の先生は「私は、生活する為に仕事をしているだけ。貴方が、大人しくしてくれれば良い」

見てみぬふりをする先生達に、何を教わるのか…

学校は、勉強する場所である。
勉強が出来る環境が整っていても、学ぶ生徒自信の心を育める教育がないのである。

子供だから、悪い事、良い事の分別がつかない、人を傷つけ、苦しんでいる姿が面白かったりするのだろう。

グループであればなおさら、標的がいる事で…自分達の結束力が高まる。

子供の良心となる心を育むのは、大人である。

親の背中を見て育つからだ。

人を思いやる言葉、優しさのある行動を親自信が、子供にみせる。その姿を見て子供は学んでいきます。

私の母は、足を患い立ち上がる事が難しくなった。

母が起こして欲しいと、私に頼み…私は起こしてあげる。

母が起こして欲しいと、姉に頼み…なんで私が、起こさなあかんの?と起こさなかった。

それを見ていた、姉の子供が「みーちゃんは起こしてあげてたのに、ママは、何で手伝ってあげないの?僕が、ばぁーばを起こしてあげる」と話した。

良く見て学んでいる。小学三年生になる甥っ子は、障害者の事もちゃんと理解しており、障害者をかばう優しさも育んでいます。

私が神棚に手を合わせる姿を見て育った影響もあり、三歳の頃から自ずと手を合わせる様になり、自分の父親にも、神棚に手を合わせる様に指示をする。

人に与える影響が、これほど大きいとは思わなかった。人の言動から学びとる、洞察力が子供は鋭いのです。

そして何より、子供を抱き締め、頭を撫でたり、触れ合いを大切にする事で、形のない愛情を学んでいけるのではと思います。

子供を育てる事に余裕が持てない、厳しい時代でもあります。仕事をしながらの子育ては、自分の身を削る思い、まして子供の自我が芽生えれば、わがままも増し、親の言う事を聞かなくなる。

姉をみていて、本当に大変だと思う。

しかしながら、愛情となる良心を育む事、それはこの世の中を生きていく智恵になるのではと思えます。