小学生の頃から「エホバの証人」の教理に洗脳され、狭い考え方、狭い世界で生きてきたことは人生の大きな損失だった。

 

でも「大切な人生」の時間の多くを無駄にしたのはそれだけが理由ではない。

 

私はその状態に「安住」していたようなところがある。

 

宗教を辞めれば「滅ぼされる」


宗教の外の世界は「危険がいっぱい」


宗教の外の人は「道徳水準が低く」関われば「ひどい目にあう」


そんなことを繰り返し教えられ、外の世界に対する強い恐れを植え付けられたのも事実だ。

 


また、「唯一真の宗教」だと教え込まれ信じていたことも大きな理由のひとつだ。

 


その反面、この宗教に止まっていることは「楽」だった。

 

大人になれば、結婚、出産をするのが世の中の常識だ。


そうなると、義父母や新しい親戚との付き合い、ママ友との付き合い、PTAの役員など多くの人間関係が生じてくる。


宗教がきっかけで人と関わることが怖くなった私にとっては「恐ろしい事」「避けて通りたい事」だった。


この宗教は結婚や出産することより、神への奉仕として布教することを奨励していた。


私は母子家庭の長女として、家計を支えるために就職していて、それが神への奉仕の代わりとみなされていた。


この宗教に止まっていれば結婚、出産をしなくても誰にも咎められなかった。




私は宗教活動全般が嫌いだった。


週3回の集会も嫌だった。


週1回の奉仕(戸別訪問での伝導)は苦痛以外の何物でもなかった。


私は「滅ぼされることへの恐れ」からこれらの宗教的習慣を守り続けた。




私は自分自身が「エホバの証人」だということが嫌で嫌でしょうがなかった。


世の中の普通の人には理解されない変な宗教の信者としての自分が恥ずかしかったし、惨めだった。




毎日を漫然と過ごし、「世の終わり」が来るのを待ちながら心の片隅で


「人生をサボっている」


「嫌なことから逃げている」


という罪悪感を抱えていたように思う。




本当は宗教など辞めてしまいたかった。



変な意地がそれを邪魔していた気がする。



宗教のために家庭が壊れた


宗教のために進学を諦めた


集会に出席するために職場での立場が悪くなり


変な宗教の人というレッテルを貼られた。


本当に多くのものを犠牲にし、忍耐や苦労をしてきた。



だから、それは「間違っていました」


「違う生き方を選択します」ということは


「意地」が許さなかった。




自分を「否定」してしまうようで、辞められなかった。




鬱になって、おかしくなって初めて「こんな宗教辞める」とやっと言えた。




そうだ、私は臆病で、嫌なことから逃げ続けて、変な意地を張っていた。




だから人生の軌道修正が遅れた。




そのことをもう認めよう。




「させられていた」として母親や宗教組織のせいにするのではなく



消極的な意味での選択であったにせよ「自分で選んで」「エホバの証人」を続けていた。



宗教を家庭に持ち込んだのは母親だけど、33歳になるまで続けていたのは私だ。




私は、臆病で、逃げ癖があって、意地っ張りだ。




自分に言い聞かせるために書いてみた。




私は本当にわかっているのだろうか、自覚しているのだろうか?




まだ人のせいにして自分の責任から逃げてしましそうで怖い。