マスターコース9日目の懇親会の席でサトーさんが「エホバの証人もいいよね。」と言われた。
言葉にはならなかったけど心の中で「はあ!?あんな宗教がいいはずないでしょ。」と反応していた。
先回のブログに書いたように、長い年月を宗教に費やしてきた自分を否定しないために、自分を大事にするために、「エホバの証人」も「それを信じてきた自分も」否定しないことにした。
頭ではわかったけど、心が付いてきていないことがよくわかる反応だった。
幼い頃から教え込まれてきた2世信者にとって何が問題なのかもその場で説明できなかった。
私はまだまだ自分のことが客観視できてない。
少し整理してみる。
「エホバの証人」とは神のご意志を行うために「献身」した人を指す。
言い方を変えれば「全人生を神に捧げること」
1世の信者は自分で選んでこの宗教に入ってくる。
ところが2世は小さな頃から選択の余地なく教え込まれる。
加えて宗教の外に出て行かないように恐れや嫌悪感を抱かせるような歪んだ情報を与えられる。
結果、どんな生き方が幸せなのか比較検討する余地もなく「エホバの証人」として生きて行くよう仕向けられる。
自分で望んで選ぶのではなく洗脳の結果として選ばざるを得ないのだ。
宗教の信者以外に親しい友人を作ってはいけない、誕生日・成人式をを祝ってはいけない、武術の授業は受けてはいけない、部活動禁止、校歌・国歌は歌ってはいけない、国旗掲揚は国旗の側を向いてはいけない、偶像崇拝禁止(葬式で拝むこと、焼香、献花等)輸血禁止、結婚関係外の性関係禁止、政治的中立(選挙禁止・学校の学級委員の選挙も含)大学教育は不要、就職するくらいならパートの仕事で伝道をに時間を充てるように、不信者との結婚禁止、食事の前・寝る前は祈ること、週3回の集会に必ず出席するここと、週1回は伝道に出ること、宗教組織から追放、あるいは自ら断絶すれば信者(親兄弟も含)から忌避される、ざっと思い出すだけでもこんなに制約がある。
教えを守り大学教育や就職、結婚、出産を断念して伝道に多くの時間を費やしている人も多い。
「エホバの証人」は信者の人生を取り上げる。
2世信者は宗教を辞めて初めて小さい頃から騙されて洗脳され続け、人生の貴重な機会や時間を失ったことを知る。
親や宗教を恨む気持ちが大きく、また騙されていた自分自身を許すことができずなかなか前に進めない。
私がそうだ。
私は「エホバの証人」は嫌いだ。
でもそれは長年私の人生の一部だった。
そこを嫌って切り捨てることは自分自身を切り捨てることだ。
騙され続けてきた情けない自分も私の一部だ。
まだ時間がかかるかもしれないけど、こだわりのない心で「エホバの証人でもいい」と言えるようになりたい。
10日目のワークの時にもサトーさんから言われた。
「エホバの証人でもいい」多分これが私にとっての大事なキーワードなのだ。