マスターコース49期も来週で終了する。

23日に最終日のカウンセリングテストに向けて、同期のひろちゃんとカウンセリングの練習をした。

ライン電話で会話を始めるやいなや、「さよには癒される〜」とひろちゃんが何度も言ってくれて嬉しくなった。

私にとっては欠点としか思えない、少しぼーっとした間の抜けた話し方や空気感が「癒し」になるのだろうか?
なんか不思議だ。

前者は常にスイッチが入っているから頭が疲れるらしい、度々スイッチオフになり自然と休んでいる後者の私(前者疑惑があるけど私は多分後者だ)からしたら、スイッチ入りっぱなしとか、そのために頭が疲れるとか全く理解できない。

運転していても赤信号で止まったら目の前の信号にのみ注意を集中し頭の中はオフになっている気がする。
青信号になったことを認識すると再びスイッチが入って頭が働き始め運転が再開される。

後者にはアイドリングストップとかオートスリープみたいな疲れすぎないための機能が付いているみたいだ。



それはそうと

カウンセリングでこれまでの真逆のものが出てきた。

私は「人気者」らしい

「人気者」は嬉しいけど私には縁のない言葉だった。

嫌われ者、日陰者、いてもいなくても変わらない、存在感ゼロが私のセルフイメージだった。

でも「人気者」の証拠をひろちゃんが具体的にあげてくれて、それに加えて過去の記憶を思い出してもみたが、確かに私はそんなに人に嫌われてはいない。

私の思い込みによる、間違ったセルフイメージだった。

「人気者」・・・。

セルフイメージを変えてその体で生きていったらそんな自分にもなれるのかもしれない。

ちょっと取り組んでみよう。



それと「宗教大好き」って言ってみってと言われた。

ざわざわする。

自分を否定しないために「宗教」と「宗教をしてきた自分」を否定しない、嫌わないように努めている。

でも「エホバの証人」のことを人生を台無しにするろくでもない宗教だと思っていることに変わりはない。

「宗教大好き」を言い換えて「エホバの証人」大好きはすんなりとは出てこない言葉だ。

これが抵抗なく言えるようになったら宗教に関する偏りが取れて生き辛さも取れてゆくのだと思う。

「エホバの証人」として生きた23年余の年月を「貴重な人生の損失」と考えるか「少し変わった人生経験」と捉えるか。

「変な宗教に騙され続けた愚かな私」と捉えるか「あの時は仕方なかった。この経験もいつか役立つ時がくる。」と考えるかで、自分責めして生き辛さを倍増させるか、今に集中して幸せのために生きるかが別れてくる。

私はもう自分責めしたくないし、生きづらいのも嫌だから楽になる考え方を選んで、自分の心の傾きもフラットなものにして行きたい。

マスターコースが終わったら独りで「里の業」続けてゆく必要がある。

学んだこと、気づかせてもらったことをこれからの人生に活かせるか否かは全て自分次第だ。

私は残りの人生をできるだけ幸せに生きたい。
だからマスターに来た。

どうすれば楽に幸せになれるかを教えてもらった。

だからちゃんとそれを選んで自分で自分の人生を幸せなものにしてゆきたい。