6月4日(日)、朝目覚めてすぐ「私はお母さんに愛されていたんだ、良かった。」と思えて涙が滲んで来た。
朝ごはんを食べてから再び、昨日の「感情」と「本音」を言ってみた。
「どんな私でも愛して欲しかった。愛してるよ、大好きだよ、可愛いよって言って抱きしめて欲しかった。」は少し涙が滲んでくる。
「炊き込みご飯のおにぎりを持って来てくれて嬉しかった。毎日、手作りの美味しいご飯を作ってくれてありがとう。夕飯を持って来てくれてありがとう。お母さんなりのやり方で私を愛してくれてありがとう。」は嬉しくて涙が流れる。
涙が流れるほど嬉しい感情は涙が出なくなるまで感じ切る必要はないのかな?
多分それでいいと思う。
「私を遺して一人で逝ってしまわないで。」は悲しくもないし、涙も出ない。
お母さんに愛されていたことを本当に実感できるようになった。
お母さんが死んで一人になることへの怖さもなくなった。
でも、こんなにあっさりと怖さが無くなるものなのかな?
ちょっと信じられない気もする。
マスターを卒業して6ヶ月経つ。
初めてちゃんと自分の「感情」や「本音」を探し出してそれと向き合ったのだと思う。
自分のことを「ペーパードライバー」ならぬ「ペーパーカウンセラー」だと思っている。
今回の件で私が「ペーパー」だった理由がよく分かった。
教えてもらったことを実践できていなかった。
「感情」や「本音」を探しそれを「感じ切ること」等
「自分と向き合う」という「体験」が欠けていた。
「自分を知る」努力を怠っていた。
だから他の人をカウンセリング出来る気がしなかったのだと思う。
自分と向き合って自分の問題を解いて行くことを続けてゆけば、いつか「ペーパーカウンセラー」から脱却できるのだと思う。
同じ所でぐるぐるしてばかりの私が勇気を出せたのは
先に行動してお手本を見せてくれたゆっきと
勇気を出すように励まし、具体的にどう行動したら良いかを示してくれたひろちゃんのおかげだった。
マスターに来て、私のことを本当に気にかけてくれる仲間に出会えたから出来た経験だと思う。
今回の件は私にとってとても大切で、後から自分の通過点を振り返ることができるように書き残した。
長いうえにあまりまとまっていない日記みたいなこの記事を最後まで読んでくれて、ありがとう