ひもじいって言葉、知ってるかい。 元中日・杉下茂(94歳)さんが語る戦地体験

フォークの神様、杉下茂(92)の伝説エピソードで打線組んだ! : baseballlog

2020年8月14日 05時00分 (8月14日 05時02分更新) 中日会員限定

「あのときのことを言葉に残すのが、生き残ったわれわれの役目」と語る杉下茂さん=東京都内の自宅で

「あのときのことを言葉に残すのが、生き残ったわれわれの役目」と語る杉下茂さん=東京都内の自宅で

  • 「あのときのことを言葉に残すのが、生き残ったわれわれの役目」と語る杉下茂さん=東京都内の自宅で
  • 中国に出征した当時の杉下茂さん(前列右)
  • 特攻隊で戦死した杉下さんの兄・安佑さん

 十五日に日本は戦後七十五年を迎える。戦争により、三百十万人が命を落としたといわれ、国土は焦土と化したが、その体験を語れる人は高齢化が進み、少なくなってきている。

 後世に伝えるべき記憶が風化しつつある今、プロ野球中日で投手として活躍した杉下茂さん(94)は「人の未来を奪う戦争は、何があっても二度と起こしてはならない。あのときのことを言葉にして残しておくのが、生き残ったわれわれの役目でもある」と中日新聞・東京新聞のインタビューに応じた。

 杉下さんは一九二五(大正十四)年東京生まれ。野球が大好きだった少年は、帝京商(現帝京大高)を卒業後、中国に出征を命じられ、上海近郊の捕虜収容所に収容された。

 「市中引き回しというのか。いつ殺されるか怖くて仕方がなかった」「髪の毛が赤くなってくると、死期が近いんだ」「ひもじいって言葉、知っているかい」。杉下さんは語りかける。

 兄・安佑(やすすけ)さんを沖縄での特攻で亡くし、収容所ではスポーツに助けられたという杉下さん。終戦から四分の三世紀。戦争に翻弄(ほんろう)された一人の野球少年の記憶に耳を傾けた。 (東...