作家太宰治さんの

桜桃忌 6月19日のことが

ニュースにのってた


ガルネコは小学校高学年から

短大生ぐらいまで太宰治に

はまってよく読んでたな

と思い出しました。


有名な「人間失格」も衝撃的で

すごく考えさせられる

名作だけど

短編もすごくいい。


特に主人公が

女性で「皮膚と心」とか

「葉桜と魔笛」など

どうしてこの人女心の

小さなひだまでわかるんだろう

と不思議だったけど

好きな話だった


「富士には月見草がよく似合う」って

ガルネコはダジャレポエムの時に

使うけど


これは「富嶽百景」という短編の

小説にでてくるフレーズです

月見草というのが

太宰らしいなと思う


この短編は今まで

抱えてた辛さを捨てて前向きに

歩みだそうって気持ちがあらわれていて

これも好きな話です


残念ながら

玉川上水に女性と

一緒に入水して亡くなりますが


今回のニュースを

見て初めて知りましたが

6月19日は命日じゃなくて

遺体が見つかった日で

しかも6月19日は

太宰治の誕生日でもあったので

その日が命日じゃないけど

太宰治をしのぶ日になったそうです


桜桃忌の名前は小説仲間が

つけて太宰が 桜桃 さくらんぼが

大好きだったことと

死ぬ年に書いた短編小説

「桜桃」にちなんでつけたそうです


だからこの日は

太宰が眠ってるお墓に

大勢のファンがさくらんぼを

もってて集まるみたいです


ガルネコも「桜桃」読んだこと

ありますがあんまり覚えていません


たしか夫婦げんかした

夫でありお父さんでもある主人公が


家にいるのがいたたまれなくて

飲み屋にいく


そこでさくらんぼがでて

これ子供にもってかえったら

よろこぶだろうなと

思いながらも


子供より親が大事

とさくらんぼ食べてしまう

しかも 美味しそうに食べないで

不機嫌そうに食べた

みたいな話だったような


この「桜桃」読んだ時の

ガルネコはこの主人公の

気持ち ちょっぴり

わかるような気がした


よく親はがまんして

子供に食べ物あげたりするけど

このお父さんそれが

なんか偽善的で

できないんだろうな


だから好きなさくらんぼ食べてても

罪悪感があって不機嫌なんだな

というのが感想だった


今日改めて「桜桃」よみなおしたら

肝心なところ全然忘れてた


まだガルネコが

妻にも親にもなってない

時に読んだから

全然見逃していたのかな


まず夫婦喧嘩の

理由が

何気ない日常会話で

妻が「お父さんて鼻の頭に

よく汗かくわね」と

言うと


夫がじゃ母さんは

「どこによく汗かくんだい」

ときくと妻が

「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」

っていうんですよね


この妻のお乳とお乳のあいだに 涙の谷

これが夫婦ゲンカの火種


というかケンカになるのを

さけるため主人公は

家をでて飲みにいっちゃうんですね


だから夫婦ゲンカはしてないんですね


というのもこの主人公は

私は家庭にあっては

いつも冗談を言っている。


それこそ「心には悩みわずらう」

事の多いゆえに、「おもてには快楽けらく」

をよそわざるを得ない、とでも言おう


私は、くそまじめで興覚めな、

気まずい事に堪え切れないのだ。


私は、私の家庭においても、

絶えず冗談を言い、

薄氷を踏む思いで冗談を言い、


夫は妻を打った事など無いのは無論、

出て行け、出て行きます、

などの乱暴な口争いした事さえ

一度も無かったし、

父も母も負けずに子供を可愛がり、

子供たちも父母に陽気によくなつく。


 しかし、これは外見。

母が胸をあけると、涙の谷、

父の寝汗も、いよいよひどく、

夫婦は互いに

相手の苦痛を知っているのだが、

それに、さわらないように努めて、

父が冗談を言えば、母も笑う。


 しかし、その時、涙の谷、と母に言われて

父は黙し、

何か冗談を言って切りかえそうと思っても

とっさにうまい言葉が浮かばず、

黙しつづけると、いよいよ気まずさが積り、

さすがの「通人」の父も、とうとう、まじめな顔になってしまったのである


このお乳とお乳のあいだに 涙の谷

今のガルネコならこの妻の気持ち

わかります




そしてこの母、父には

4歳の長男の

問題があったのだ



四歳の長男は、痩せこけていて、

まだ立てない。

言葉は、アアとかダアとか言うきりで

一語も話せず、

また人の言葉を聞きわける事も出来ない。


 父も母も、この長男について、

深く話し合うことを避ける。


白痴、唖おし、……

それを一言でも口に出して言って、

二人で肯定し合うのは、

あまりに悲惨だからである。

母は時々、この子を固く抱きしめる。

父はしばしば発作的に、

この子を抱いて

川に飛び込み死んでしまいたく思う。


ああ、ただ単に、

発育がおくれているというだけの事で

あってくれたら! 


この長男が、いまに急に成長し、

父母の心配を憤り

嘲笑ちょうしょうするようになってくれたら! 


夫婦は親戚しんせきにも友人にも誰にも告げず、

ひそかに心でそれを念じながら、

表面は何も気にしていないみたいに、

長男をからかって笑っている。


この長男の話しは

まったく覚えていません

そして

子供より親が大事

ではなく

子供より親が大事、と思いたい

と思いたいがついていた


子供よりも、その親のはうが弱いのだ。

そうなんですよ

親だから強いわけじゃないんです

いろんなこと投げだして

自分だけ自由に生きたいと思う

子供より自分を大事にしたいと 

思う時もある


だけど思いたいだけなんです

実際には投げ出せないし

やっぱり親より子供が大事なんです


この子供より親が大事と思いたい

すべて投げ出して自由になりたい

でもやはり自分より子供が大事

投げたすなんてできない

この相反する感情にもがき

苦しんでいるんですね


この苦しみから

のがれ振り払うように

あえて主人公は

子供に持ち帰らず

桜桃を1人で食べちゃうんですね


今でも桜桃 さくらんぼって

高級品だけどその時代は

もっと貴重品だった



私の家では、子供たちに、

ぜいたくなものを食べさせない。


子供たちは、桜桃など、

見た事も無いかもしれない。

食べさせたら、よろこぶだろう。


父が持って帰ったら、

よろこぶだろう。

蔓つるを糸でつないで、

首にかけると、桜桃は、

珊瑚さんごの首飾りのように

見えるだろう。


しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、

極めてまずそうに食べては種を吐はき、

食べては種を吐き、食べては種を吐き、

そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、

子供よりも親が大事。


うーん 太宰治

若いころ読んだ時より今読むと

その時に気づかなかったこと

いろいろありますね


また読みなおしたいと思いました。






赤ん坊の時から

少し違和感はあった


だって生まれたばかりの赤ちゃんは

ほとんど寝てるって聞いたから


あなたは少ししか

寝ないし

小さな物音でも

起きてしまって

大声でなく


でも義母は

夫も小さい時

そうだった


かんの虫が強いだけ

もう少し大きくなったら

ウソのように

落ち着くから


そう言われて

そして

自分の中に生まれる

さまざまな違和感を


この子は早生まれだから

男の子だから

そう自分に言い聞かせて

気にしないように

していた


でも大きくなれば

なるほどなるほど


毎日 毎日

注意することが

多くなった


小学1年生になって

学校で授業中

立ち歩いたり

大声だしたり

字を書くのも

算数もクラスで一番できなかった


担任の先生が

IQテスト受けて見て下さい

というから

受けてみたらIQ100いってなかった


調べたら軽度知的障害だった

軽度に少し安心するとともに

知的障害の文字が重くのしかかった


発達障害かとは

思ってたけど


時々すごく大人びたこと言うし

勉強の記憶力は

悪いけど昔のこと

私が忘れてる出来事とかも

覚えてて記憶力はいいと

思ってた


私を苦しめたのは

お母さんでしょ

お母さんなんだから


この子より

重い障害の子を

抱えて頑張ってる

お母さんはたくさんいる


私はそんな言葉に

もうどうしていいか

わからなくなって


錯乱 ボーっとしてたら

さくらんぼ🍒があった


山形にすんでる妹が

送ってくれた 桜桃


この子が乱暴なのは

親の愛情がたりないから


この子の行儀が悪いのは

親のしつけが悪いから


そんな心ない

言葉に傷つき

胸がむかつき


私は口にした

桜桃を嘔吐した



桜桃に私は

問いかけた


愛情はたくさんあげている

しつけだって何度も何度も言っているし

やさしく言い聞かせてもいる

これ以上なにを

私がすればいいの?


桜桃はなにも答えてくれなかった

桜桃は応答なし


一つのジグに二つのさくらんぼ🍒

大きいのが私で小さいのがあの子みたい


私はあの子の笑顔が大好き


笑顔咲ク あの子とつながってたい

もしあの向こうに

見えるものがあるなら


もう1回 もう1回

何度でも

やってみよう


あの向こうには

幸せの空があるから

隣どおし あの子とあたし さくらんぼ🍒