自分はスポーツをしてます。そのスポーツにおいては圧倒的に能動的にうごけます。また勉強においてもです。だからある程度の成績を残すことはできてきました。しかし、大学の授業だけでなく今までの学校においてまた日常生活において受動な態度が過ぎたと思ってます。
例えば、プレゼンテーション。みんなで議論して、パワーポイントで資料をつくり発表者と質問対応者を決めてみんなの前で発表することが前期に二回ありました。これに関して言えば僕は何もしてないです。もちろん議論には参加しましたが資料も作ってないし発表もしたが棒読みであったしひどかったです。発表中なんでこんなことしてんだろとしか思えなかったし、終わった後も得るものなんてなかったし大学つまらんとしか思わなかったです。
受け身でプレゼンテーションのメンバーに混じったらこうなることは当たり前です。得るものなんてあるわけがありません。自分から無理やり能動的にパワーポイントをつくるなりなんなりしてあーでもないこーでもないと試行錯誤し、発表して周りの評価をうけてじゃ次はこうしようとすることができればそれは得るものがあったわけだしきっと楽しいだろうし、また一歩成長できたはずです。
例の二つ目に旅行。夏休みは暇だったので旅行に帰省を含めて4つ行きました。これらの旅行に行こうと決めたのは自分だったのでこの点では能動的です。おかげで旅行に行くときは連続して行かずちゃんと中休みをとることが旅行を楽しむためには必要だと分かった。旅行に行くにあたり旅程を決めるわけだが2つはちゃんと旅程を決めたつまり能動的であったが2つは旅程を自分で決めず他人任せに受動的にしてしまった。自分で決めた旅行はやはり得るものはあった。旅行は十分余裕をもって計画すべきで絶対行きたいとこと行けたらいいな必要に応じてはきっていいなってとことを分けてると臨機応変に対応できるし、トラブルにあったときに自分で解決しようと動けたり事前準備をたくさんするのでその時点で楽しみで旅行の終わりにはここはもっとこーすればよかったなぁなどがすぐ思いつく。一方、他人任せはやはりダメだ。トラブルにあったときに他人事のように感じてしまったしなんか仲違いのような感じになってしまった。時間にもルーズになってしまった。つまりは責任感が薄れた。得るものがほとんどなかったと思われる。非常にもったないし何より友達と若干仲がギクシャクしたのが嫌だった。自分の責任感のなさや子供っぽさからきたから直さないとだめなのだが、、、
能動的ということについて例えばプレゼンテーションをするなどは大学入学前に新しいことにチャレンジしようとして項目にあげたうちの1つとして文字化してあったがいつのまにか忘れていた。新しいことにチャレンジ≒能動的?かもしれないのでもう一度このことを自分の意識に顕在化させていく。今度機会があれば必ず自分からやりたいといってやってみせる!
これからそのような場面ででくわしそうな場面は学祭実行委員、新歓隊長、パワーポイント、旅行、などなど