曙太郎さんが先日亡くなった。


もろ、若貴・曙世代の私。


祖母は相撲が大好きで、私もよく大相撲中継を観たし、昔の力士は個性が強く魅力的だった。


曙さんも(ガイジン)初の横綱として、また若貴兄弟のライバルとして、また小錦の失敗を糧として番付を上げた力士として、本当に印象深い。


曙さんに関しては、強烈に覚えがあるエピソードが2つ。


一つ目は、しこ名について。


確か当日のニュースを観て覚えているのだが、曙という漢字。大関に昇進した時に、【日】という字の上に点(、)を付け足した。天下(横綱)を取るとか天下を掴むとか、そんな意味合いで、しこ名の漢字を変えたと記憶している。子供ながらに面白いなぁと。


もう一つは、相原勇さんとの交際について。


別れ方がハッキリせず、曙さんと相原さんで意見が食い違う。


曙さんは、後に別の外国人の奥さんをもらい子供も出来たのに対し、相原さんは曙さんにしばらく未練?を残す。


曙さんが結婚して子供が出来た後もたびたびメディアで、未練を口にした。


印象深いのは、ある番組で曙さんと相原さんがこの件について直接対話した事。


別れ方がお互いにとってどうだったか?は置いておいて、曙さんがぶちギレて言っていたのは、「もう奥さんや子供がいるのに、なぜメディアでいつまでも昔の話を言うのか?家族が良い思いをするわけがない。迷惑だから止めてくれ。」と。


相原さんは、それでも曙さんの昔の別れ方についての話をしていた。私は納得していないと。


曙さんからしたら、もうそんなこと今さら話しても、ひとつも変わることがなく意味がない。家族は曙さんの元カノが相原さんと理解し、曙さんは酷い人だとメディアで発信され、片方の意見だけで一方的に家族が非難される事にも繋がるだけだ。


テレビ番組内で、もう二度とこの件については、口外しない約束を相原勇さんはさせられていた。


おそらく、この番組で何年ぶりかに直接会って、はじめて本当に曙さんは別れたがっていたのだと相原さんは理解したんだと思う。


阿吽の呼吸で、相手の事を理解するのは難しい。相手が傷ついてもハッキリ自分の意見を伝える事の大切さをこの番組で知ったように思う。


この番組以降、どんどん携帯電話やパソコンが普及し、メールや画像で相手に感情を伝えることが多くなった。


繋がりが薄くなり、伝え方が気持ちや心から文字に代わったことで、ストーカー被害が多くなったことも頷ける。