人は人生において、実に多くのものに触れる。
その人生の幕を下ろす時、
例えば映画のことを思い返したとして、
あれだけ多くの映画に出会って良かったと
思えるだろうか。
あれだけ多くの本に出会って良かったと
思えるだろうか。
音楽は?
芝居は?
お笑いは?
では、テレビはどうだ。
今のテレビは。
あるプロ写真家は撮影前に自問するという。
「自分が今から撮ろうとしているものは、
果たして残す価値があるのか否か」。
今のテレビ番組のうち、残すに値するものは
いったいどれだけあるのだろう。
全て?半分?一割?それとも数%?
刹那的なものもそれなりに必要ではあるだろう。
その上で理想の割合は?
テレビ(動画)の世界は徐々に、
リアルタイム視聴からタイムシフト視聴に
シフトしつつある。
タイムシフト視聴がひとつの契機に
なりはしまいか。
「残す価値のあるコンテンツか否か」
考える契機に。
「放送して終わり」の世界は終わるだろう。
そして制作者は眼前に突きつけられる。
「お前の作っているものは、
残すに値するのか?」
「10年後、20年後。
後世に、そして自分の子供にこれが、
父が作ったものだと胸を張れるか?」
理念、志のある制作者は心配に及ばない。
というよりも喜ぶべき世界だろう。
自分の作ったものが、
将来の長きに渡って見てもらえるのだから。
「好きな時に」「好きなところで」。
視聴者のとっては「好きなものを」。
時間を有効に使って。
人生を有効に使って。
人生にとって有益なものを視聴する。
そうでないものは自然と淘汰される。
それこそが「スマートなテレビ」、
つまりスマートTVではなかろうか。
そうであるならば、タイムシフト視聴に
”積極的に”シフトすべきではないだろうか。
時間というフィルターが。、
”価値あるもの”と”そうでないもの”を
選別してくれるのではないか。
例えて言うなら、世代を超えて受け継がれる音楽、
スタンダードやクラッシックのように。
そんな次世代のテレビを作りたい。
いや、作るぞ。
いつか。
次世代が無理なら、次々世代に。
当方”しつこさ”は人一倍なんで。