わらいのネタ第338弾「ダルマ」 | あべせいのブログ

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ダルマ

                                             亜米青

 

 

「こんにちは」

「はい?」

「これからどちらへ?」

「あなた、どちらさまですか?」

「尋ねているのは私です」

「あなた、女性警察官ですか?」

「尋ねているのはわたしです」

「きみは、エェー……」

「高石です」

「高石クンね。この署にきて、何年かな」

「三ヵ月と少しです」

「なかなか会えないね。こうでもしないと会ってくれないから……」

「忙しいですから」

「ぼくはそうでもないけれど」

「わたしはいまも忙しいです」

 三園署の署長室で男女が対峙している。

 男は署長の赤塚門司(あかつかもんじ)、女は捜査二係の紅一点、高石沙季(たかいしさき)。

 赤塚が、赴任して三ヵ月ばかりの沙季に、職務質問、いわゆる職質の基本を伝授しているところだ。

 しかし、妻に先立たれて四ヵ月の赤塚は、実のところ沙季にぞっこん。亡妻の一周忌もすまないうちから、美形署員によからぬ考えを抱いている。

「もう、いいでしょうか」

 沙季は、この日、待ったなしの案件が控えている。人手不足で、聞き込みはひとりでやらなければならない。

「忙しいか。都合のいい言葉だ。キミがいいと思うのなら、下がっていいが、困ったことがあったら、いつでも相談にくるように……、いいよ。引き留めてすまなかった」

 赤塚は、部下に嫌われたことを察知して、椅子に腰かけるとくるりと回転して、沙季に背中を向けた。

 そのとき沙季は、背を向けた赤塚の視線を何気なく追っていた。その視線の先には、カレンダー。

 A3サイズの、日にちの数字だけが、曜日の列のマス目に並んでいる。ただ、それだけの、よく見かけるカレンダーなのだが。

 すると沙季の口から、ポロリとつぶやきが、

「モモ……この季節に……食べてないな」

 その瞬間、赤塚の動きがピタリと止まり、振り返る。

「高石クン、まだいたのか。早く仕事に戻りなさい」

 沙季は、署長の険しい目つきに気がつき、

「失礼します」

 三園署は、署員98名、東京のはずれ、都県境の3町、25000世帯を管轄している。

 警視の赤塚が三園に赴任したのは、2年前。東大法科卒のキャリアであり、あと1年で本庁捜査課に返り咲きの予定だ。それまで、問題を起こさず、おとなしくしていよう。もっとも、それは妻が亡くなるまでの考えだった。

 しかし、妻が亡くなり、たったひとりになったいまは、先行きが全く見えなくなり、憂鬱な日々が続いている。用もないのに署員をいじりまわすのも、そうした気分の発散でしかない。娘がひとりいるが、外国に嫁いでいるため、数年会っていない。

 沙季も署長のその程度の気まぐれは理解しているつもりだが、男やもめの扱いは勝手が違った。

「遅かったじゃない」

 沙季が刑事部屋に戻ると、交通課の水沢茉衣(みずさわまい)が多治見(たじみ)のデスクに腰かけ、資料を漁っている。

 沙季は、署長室のカレンダーに書いてあった、小さな文字「もも」の意味を探りかねている。果物屋に並ぶ季節でもない。缶詰くらいしかない。それをわざわざカレンダーに書きとめるだろうか。

「どうしたの、ぼんやりして」

 茉衣がいつもと違う沙季をいぶかる。

「署長の職質を受けてたの」

「沙季ちゃんもやられたンだ。おかしくなるよね。でも、署長の職質を受けたということは、お気に入りの証しだから、喜ばなくちゃ」

「茉衣ちゃん、多治見さんだったら、現場に直行しているよ」

「エッ、そうなの」

 茉衣は多治見に片想いしている。用がなくても、三階の捜査係に出入りするのはそのためだ。

「沙季ちゃんもこれから現場に行くンでしょ」

「行くけれど、現場は違う。わたしは朝日町のリサイクル店、多治見さんはナンバーワンソープ嬢だよ」

「ソープ嬢!? ウソでしょ」

「どうだか。帰ってきたら、本人に聞いてみたら。じゃ、ね」

 沙季は、茉衣がいれあげている多治見のどこがいいのか、と考えてみる。マスクとスタイルはそこそこだが、覇気がない。沙季の対象にはほど遠かった。

 

「婦警さんですか」

 現れた四十代半ばの店長は、沙季をみて、渋い顔をした。

 沙季が警察手帳を示すと、

「失礼。よォく見せて……」 

 と言って、顔を近づけて来る。

 沙季は反射的に危険を感じ、

「どうぞ。じっくりご覧ください」

 と言って、腕を長く伸ばし、手帳を店長の顔の前に突き出した。

 ときどき、こういう輩がいる。職質されると、すぐに「警察手帳を出せ!」と言ったり、「そんなバッジが信用できるかッ!」とわめく。そういうとき、沙季は、携帯無線を取り出し、

「高石です。職質中ですが、手に負えないマルガイです。応援願います」

 と通報する。勿論、無線のスイッチは切ったまま話すから、応援なんかは来やしないが、たいていはおとなしくなる。

「ご納得いただけましたか」

「高石巡査部長ね。婦警さんでも『長』がつくんだ」

「お言葉ですが……」

 これで二度目だ。沙季はこれからのこともあり、ガツンといこうと思った。

「婦警はもう二十年も前になくなっています。いわば死語です。いまは女性警察官ですから」

 こういう差別主義者がいるから、この広い東京でも女性の署長は数人しかいないのだ。所轄は100を超えるというのに。

「わかりましたが、ご用件は何でしょうか?」

 ようやく本題に入れる。

「店員の河西さんをお呼びいただけますか?」

「河西? 彼は昨日退職しました」

「お辞めになった!?」

 沙季は、目の前の男がウソをついているのではないか、と疑った。昨日、河西と話したときはそんな話は出なかったからだ。きょうは出勤しないのか。あのあと、電話で勤務先に退職を告げた。となると、いよいよ怪しい。手配したほうが……。

「クビにしたということですか」

「そういう質問にはお答え出来ません」

 店長は薄ら笑いを浮かべてうなずく。女と思ってバカにしていることがよくわかった。

「それでは正式に手続きをとって、従業員名簿をはじめ、売上台帳、その他もろもろ押収することにします。ご迷惑でしょうが……」

 沙季は、女性を見下すこの手の男性にどれだけ無駄な気遣いや時間を割いてきたことか、と思う。

 店長の首から吊り下げているカードを見ると、「店長 与原静夫(よはらしずお」)」とある。

「与原店長、ご協力ありがとうございます」

 沙季は踝を返す。

「待ってください。刑事さん」

 沙季はピタリと動きを止める。この男にはそれほどの腹はない。扱いいいほうだ。

「いったい、どういう事件ですか」

 与原はそう言うと、ホールと事務所スペースを仕切る低いカウンターを出て、沙季の前に立った。

「業界の方なら、噂をお聞きかと存じますが、連続窃盗事件です」

「うちは被害はありません。防犯設備は万全です」

 与原には、想定外の返答だったのか、顔から緊張感が消えた。

「被害じゃないですよ。加害の疑いがあるのです」

「エッ」

 エッ、じゃないだろうが。沙季はこの男が一枚噛んでいるのかと疑ったが、それは消えた。

「高級住宅地で発生している高額窃盗事件です」

「うちの店の従業員にその犯人がいるというのですか」

「かもしれません」

 沙季が赴任してまもない三ヵ月前から、豪邸ばかりを狙う空き巣事件が3件起きている。その犯行手口から、同一犯人と思われ、現在沙季ら5名の捜査2係のうち3名がかかりきりだ。

 3件の被害者宅の共通点を調べると、いずれもこの3ヵ月以内にリサイクル業者を利用している事実が浮上した。それも、店頭買い取りではなく、出張買い取りだ。

 その被害者宅3軒のうち2軒の家で、このリサイクルチェーン「アスカル」三園店を利用していた。もう一軒は、「あかり」という街の小さなリサイクルショップ。

 沙季はこれらの事実をもとに、昨日、万引きで署に連行されてきた河西がこの店のアルバイト店員とわかったため、彼の取り調べに立ち会った。

 万引きは誤認だったが、河西の態度がおかしい。一旦釈放して彼の住まいを確認、監視をつけるとともに、この日職場での河西を聞き込むことにした

「河西を採用したときの履歴書を拝見させてください」

「お待ちください」

 見違えるほど従順になった与原は、再びカウンター内に入ると事務室からファイルをもって現れた。

「どうぞ」

 沙季は、「河西一美」とある履歴書を一読し、「コピーをお願いできますか。それと……」

「彼の個人用ロッカーですね。私としても退職した彼がロッカーの持ち物を取りに来ないので、処分に困っていますので……」

 与原はそう言うと、近くの部下にてきぱきと指示した。

 この男、店長を任せられているだけの頭脳はありそうだ。沙季は、与原が差別感情さえなくせば、つきあえるのに、とつい思ってしまう。相手が妻帯者かもしれないのに、だ。

「店長、甘えついでにお願いしますが、彼が店内で買い取った際の古物台帳もコピーしていただけると……」

「いまやらせています」

 与原はすてきな笑顔をみせて答えた。

 いい、いい、いいじゃないか。沙季は、ますます妙な気持になっていく。

 5分後。

 沙季が一抱えのダンボール箱をもってアスカルの出口に向かうと、脇から人影がして、沙季を追い越して自動ドアの前に立った。

「お嬢さま、お待ちしておりました」

 多治見だ。2係のなかでは2番目に若い。沙季より二つ下の27才。

「どこに隠れていたのよ。持ちなさい。お嬢さんにこんな重いの持たせて……」

「これは、ご無礼を……」

 段ボール箱を捜査車両の後部座席に乗せ、沙季と多治見も車に収まった。もちろん、運転席にはここまで運転してきた沙季が座る。

 多治見はここまで歩きだ。捜査車両は、2係用には1台しかないから、使用者は力と上下関係で決まる。

「どうだったの。ソープちゃん、いいお話できたでしょ」

 沙季は運転しながら、多治見をいじる。

 多治見が扱っている案件は、ソープのお客が、サービスを受けている間に、持ち物から貴重品を奪われたという訴えだ。匿名による通報であり、本来なら被害届を出してもらって捜査を始めるか判断するが、よく似た通報が5件も続いたため、内偵調査することになったもの。

 被害者は、国道沿いの老舗ソープランド「フルーツ」の顧客。川を渡れば、隣県であり、お客は近隣に住む都心への通勤者だが、ソープ嬢の多くは隣県に住んでいる。

 5名の通報者はいずれも当時酒に酔っていて、記憶が定かではない。しかも、常連ではない。相手したソープ嬢の名前もうろ覚えで、「メロン」「アップル」「ピーチ」といろんな名前が飛び出た。「フルーツ」のソープ嬢は、店名にちなんで源氏名を果物の名前に統一しているからだが、客は個性に結び付かないソープ嬢の名前は覚えにくいようだ。

 多治見らは、店の従業員名簿を調べ、被疑者として、「レモン」と「ミカン」の二人に絞り込んだ。

 二人は入店して日が浅い。レモンは1ヵ月、ミカンは2ヵ月足らずだ。そして、二人は、これまで半年以上続いた店はなかった。しかも、二人は、同じマンションの三階と四階に住んでいる。

 多治見は、その二人から事情を聴いてきたところだった。

「レモンはいかにもという女性でしたが、ミカンはちょっと見には、かわいい女子大生です。あれで、男に濃厚サービスをしていると思うと、女性って信じられない……」

「男だって同じよ。見かけじゃわからないから、犯罪が起きるの。それより、わたしがあのリサイクル店にいるってだれから聞いたの。交通課の茉衣ちゃん?」

「そうですよ。行くときはバスと歩きでしたが、被疑者のマンションからあのリサイクル店まで歩いて十数分足らずとわかって、乗せてもらおうと、のこのこやってきたってところです。ついでに沙季さんの捜査手法もみておきたかったから」

「どう、参考になったでしょ」

 沙季は冗談たっぷりに言ったあと、

「それで、あなたの収穫は?」

「それが、レモンはシロですが、ミカンが怪しい。5人の通報者のうち3人に共通している加害者の特徴が、口の中がキラリっと光った、というのですが、ミカンにはそれがありました。歯です。左の犬歯にケシ粒大のダイヤを埋めているンです。刺し歯をつくるとき、別料金でやってもらったって。本人はダイヤモンドと言ってますが、あれはジルコニアですよ」

「模造……模造でも、いいわよ。歯で男を引き寄せられるのなら」

「沙季さんはそんなもの必要ないでしょ」

 沙季は無視して、

「あとは面通しね。通報者は特定できそう?」

「それが……」

「どうしたの?」

 沙季はそう言い、車の天井を見上げている多治見を横目で見た。彼の目が小刻みに左右に揺れている。逡巡しているときの彼の癖だ。

「ダメよ。思い切って吐き出しなさい」

「そうですよね。沙季さんなら、言ってもかまいませんよね」

 この男は、だれに許しを請っているのか。沙季は、決断力に乏しい男は嫌いだ。これまで4人の男とつきあってきたが、どいつもこいつもみな不合格だった。多治見も同じ口らしい。

「あのフルーツでは、受付レジに防犯用の隠しカメラを取り付けているンです。客にはバレないように、掛け時計に仕込んであります。それを再生させたンですが……」

「そこにとんでもない人物が映っていた……」

「沙季さん、知っているンですかッ」

 沙季は今朝の出来事を思い出す。

「カレも淋しいのよ」

「そうなンです。赤塚署長が来ています。それも隔週……」

 カレンダーの第2金曜日と第3木曜日のマス目に、数字に隠れるように、と小さな文字で「もも」と書いてあった。あれは、フルーツで署長の相手をしたソープ嬢の名前なのだ。沙季は果物を記入していることに違和感を抱いたが、多治見の話を聞いているうちに、ピタリとおさまった。

 フルーツは、三園署からタクシーで五分ほど。バスでも十分ほどで行ける。

「通報者の音声の録音はあるでしょ。あとは、ミカンの顔写真とICレコを署長の机の上に置いておけばいいわ。それほどバカじゃないから、令状請求して、ミカン嬢のガサ入れできるようにしてくれるから」

「署長も被害者の一人ですか。盗まれて自分で通報したのでしょうか」

「通報はしないだろうけれど、被害はわからないわ」

 署長のお気に入りは「もも」だ。ももは被疑者に入っていない。しかし、ミカンを指名したかもしれない。で、財布から現金を抜かれた!? それほど間抜けとは思えないが。

 淋しい署長には恋人が必要だ。わたし? 冗談じゃない。冗談じゃないが、冗談でも……。

「あなた、茉衣ちゃんのこと、どうするつもり?」

「どうするって。嫌いじゃないですが、それだけです。ぼくはどちらかというと、年上の女性のほうが。沙季さんはぼくのドストライクですよ」

「バカいってンじゃないわ」

 沙季はそう返したが、悪い気はしなかった。

「先輩のほうの収穫は?」

「バッチリよ。後ろの履歴書みなさい」

 沙季は、後部座席の段ボール箱から突き出ているファイルを目で示し、多治見に促す。

「河西一美の履歴ですね。前職が……アッ、『あかり』。やつは、あかりにも勤めている。出張買い取りで当たりをつけ、盗みを重ねていたのか。あとはアリバイ……」

「彼のシフト表もあるでしょ」

「盗みのあった日と彼の休日……重なりますね」

「あとはの段ボール箱にある彼の私物をじっくり調べたら、一つくらい盗品と重なるのじゃない。それと、彼が客から買い取った品物と被害品を突き合わせる必要があるわ。古物台帳にある客の名前が本当だとしても、その客は、売った覚えはないと答えるはずよ」

「自分で盗んだ品物を以前の顧客から買ったものとして台帳に記入する。考えましたね。これで事件解決、2つも! 沙季さんは捜査の神さま、いいえ女神だ」

「そうかも」

 しかし、沙季は、警戒していた。調子がよすぎるときは何かある。

「お昼時だから、寄り道していかない?」

「沙季さんとなら、賛成です」

「フルーツはこの時間、やっている?」

「沙季さん、遊ぶンですか」

「レズは卒業したわよ。」

「あそこはあさの11時開店ですから、もうやっているはずです」

「モモちゃんが出ているか、聞いてみて」

「モモ!? あの店にモモって娘がいたかなァ……」

「いるはずよ」

 沙季は、モモが署長のお気に入りだと睨んでいる。

「レモンとミカンは遅番だったけど、待ってください。電話してみます」

 多治見はスマホを取り出し、電話をかける。

 その結果……。

 

「どうぞ」

「高石沙季、入ります」

 署長室は十畳ほどある。広いのか狭いのか、沙季にはわからない。ただ、前の署の署長室は、六畳だったから、ここの署長はめぐまれている。

「今回はキミが大活躍したと聞いている。ご苦労だった」

「いいえ、捜査員全員の手柄です」

 沙季はそう言いながら、署長の後ろの壁をみて変化に気がついた。

 前回とカレンダーが変わっているのだ。署長室に入るのは五日ぶりだが、明らかに違っている。

 赤塚も沙季の視線を追って、チラッと背後に目をやる。

「カレンダーがどうかしたかな?」

「署長、あのカレンダーはいただきものではないですね」

「業者がくれるカレンダーは、写真が大きく日付が小さいから好きになれない。カレンダーは日と曜日だけが、はっきりわかればいいと思っているから、自分で買ったものを掛けている」

「すると、署長はご自宅でも同じカレンダーをお使いということですか」

「ウッ」

 赤塚が思わず下を向いたが、すぐに顔をあげて、

「高石クン、どうしてそれがわかるンだ」

「違っているからです。五日前に拝見したカレンダーと同じものではありません。もう春ですから、今年の同じカレンダーを手に入れるのは難しいでしょう」

 赤塚は毎年、翌年のカレンダーを自宅用と仕事場用に二つ買っているのだろう。3月の第2金曜と第3木曜のマス目に「もも」と書き込みがあったのがきれいに消えている。自宅で使ってている別のカレンダーに掛け替えたとしか考えられない。

 あと一週間、署長室に入るのが遅れたら、3月の暦は切り取られたから、判断できなかった。

「高石クン、キミは2係に置いておくには惜しい人材だ。4月から捜査1係に異動すべきだな」

「殺人捜査ですか」

 赤塚は大きくうなずく。

「命令なら仕方ありませんが、打診でしたら、お断りします」

「どうしてだ?」

「この街では殺人などの強行犯はこの3年間起きていません。反対に、窃盗や詐欺は三倍にふえています」

「キミがそういうのなら仕方ない。ただ、ぼくが本庁に戻るときは、キミを誘う。いいかな?」

「桜田門に、ですかッ」

「そうだよ。まだ一年は先だけれど」

 沙季は、本庁の刑事課で捜査員を指揮するのが夢だ。

「喜んで」

「そうか。なら、来週つきあってもらえるだろうか?」

「つきあう!?」

「赴任してきて知ったのだが、この街には、元捜査経験者が集まる、いわば探偵クラブがある。半年に一度会合を開き、世間をにぎわしている事件について推理を披露しあう。ヒマ人の遊びだな」

「署長が参加しておられる?」

「勿論、身分を隠してだよ。会員は元警察官や元探偵社勤務、元保険調査員などだが、全国にいるから、私のような者でも顔はバレない」

「署長が参加なさる目的は何ですか?」

 沙季は、赤塚が得体の知れない人物に見えてきた。謎めいたクラブに所属して、快楽をむさぼっているのか。

「ここだけの話にしておいて欲しいが、情報屋だ。自分では思いつかない推理が聴ける楽しみもあるが、一番の目的は実際起きている事件の情報が手に入る」

 沙季はなんとなく、赤塚のいきつくところが見えてきた気がする。

「そのクラブに所属している元警察官の女性から、窃盗犯や詐欺犯に関する有力な情報が手に入る……」

 いよいよ、きた。

 沙季は、この三園署がここの数年、警視庁管轄の警察署のなかで、窃盗事件に関して、ずばぬけて検挙率が上がっている秘密を見つけたと思った。

 署長には有力な情報屋がいる。それが、「フルーツ」の「もも嬢」なのだ。多治見と一緒に、モモに聞き込みした結果、彼女は、元成増署の捜査課にいた警部補とわかった。それがどうして、ソープ嬢になったのか。ギャンブル好きの恋人の借金を返すためだったと本人は言ったが、本当のところはわからない。

 ともかく、今回の連続窃盗犯の河西一美と、顧客の財布から現金を盗むソープ嬢のネタ元は、モモ嬢だった。

 彼女の話から、河西はミカンと深い関係にあり、リサイクル店に出張買い取りを依頼してきた客の中から、現金の有無、防犯の不備、不在時間などを考え併せて、侵入宅を選んでいたことがわかった。

 赤塚は、モモ嬢の常連客というつながりから、こんどの事件の情報を仕入れた。ミカンが手癖が悪く顧客から店に苦情が持ち込まれていたことや、河西が盗みの帰りにフルーツに立ち寄り、ダチの話として窃盗の手口をしゃべっていたことなどだ。

 そこで赤塚は、その情報をそれとなく捜査2係に流し、捜査するよう仕向けたと思われる。

「署長のおっしゃる情報屋というのは、藤巻さくらさんでしょうか?」

「ウッ。キミって……どうしてわかった?」

「カレンダーです。前に掛かっていたカレンダーのマス目に『もも』と。ももの本名は藤巻さくら……」

「? しかし、私はそんなものは書かないよ。何かの間違いだろう。ただ……」

「ただ?」

「ただ、キミの言う通り、カレンダーは取り換えた。それは、汚れたからだ。それと……」

「それと?」

「書き込みは金曜と木曜のマス目にあったと言ったが、それはさっき話した探偵クラブのことだ」

「?」

「探偵クラブの名前は「じじの会」という。社会の出来事を意味する『時事』と、大半が年寄りという意味のしゃれで『爺』に掛けている」

「ももじゃなくて、じじ、ですかッ!」

「私は悪筆だから、『じじ』と書いたつもりだけれど、『もも』とも読めたのかな」

「しし」に濁点をつければ、位置の関係で、「もも」にもなる。沙季は、先走った自分が恥ずかしくなった。

「あのカレンダーの『じじ』は、最近、『じじの会』から幹事をやってくれないかと勧められて、その電話が来た日を心覚えに書いたと思うよ」

「第2金曜と第3木曜に『もも』とありました」

「だから、返事をしつこく催促されていて困っている。本当を言うと、こんど、会合に出たら、キミを紹介して、こういう美人が職場に来たから忙しくてと、キミを断る口実にしようとも思っている。後出しで、気分が悪いだろうけれど」

「じじ」を「もも」と読み違えた。そして、署長をフルーツの常連と考え、ガサ入れの令状申請をそれとなく催促した。沙季は、とんでもない思い込みだった。結果的には、それが功を奏し、事件解決につながったが。

 署長は情報屋としてのもも嬢とつきあっていたが、フルーツを利用していたことは認めていない。警察署長がソープランドに入り浸っている、となれば噂好きの世間を喜ばせるだろう。

 署長が否定しようが,彼がフルーツの常連だったことは監視カメラ映像から明らかだ。そのことは、署員全員がいまも秘して語らずにいるが。

 しかし、沙季は思っている。あの書き込みは、「じじ」ではなく、やはり「もも」だった、と。署長がもも嬢に待たずに会えるよう、店に予約した日に違いない。

 多治見と一緒にもも嬢に聞き込みをした際だった。

「常連客の中には、予約を入れるひともいるでしょう?」

 と沙季が尋ねると、もも嬢はぽっちゃりとした体をくねらせて、

「そうね。待つのが嫌いなひとや、待合室で顔を見られたくないひとが。でも、予約をしてくれても忘れるひとがいるの。だから、そういうひとには、カレンダーに書いておいて、って言っておくの」

「それ、だれ。名前は?」

「ここで本当の名前を言うひとはいないわ。でも、その方は、わたしの大好きなお客さんだから、教えてあげる。名前は……」

「名前は?」

「浅草さん」

「浅草、あさくさ……!」

 あさくさ、あかつか、赤塚署長だ。赤塚をゴロよく浅草と言い換えたのだ。

 沙季は、ソープでサービスを受ける赤塚を想像してみた。

 署長はもも嬢のようなぽっちゃりタイプが好みらしい。わたしは昔はおでぶだったけれど、警察官になって気がついたらスリムになっていた。

「カレはうちの署長よ。知っていたンでしょ」

 もも嬢は黙ってしまった。沙季は、ソープ嬢と対抗している自分に気がついた。勝つつもりはない。つもりはないが、負けたくもない。

「高石さん、引き上げましょう」

 多治見に促され、踝を返したとき、後ろからもも嬢が、

「高石さん。カレ言っていたわよ。おれ、署内のダルマに惚れているンだ、って。ちっとも振り向いてくれないが、って」

 と言った。

 沙季は振り返らず、そのまま外に出た。

 沙季は、いま、そのときのモモ嬢のことばを思い出した。

 すぐにはダルマの意味がわからなかった。が……ダルマ、ダルマ……ダルマは高崎の名物……高崎……たかさき、たかいし……たかいしさき!

「署長ッ!」

「どうした。怖い顔をして……」

 赤塚が一瞬、ひるんだように体を引いた。

「わたしはダルマじゃないです。昔はそうでしたが。いまは、やせダルマにしておいてください」

                                         (了)

                                        2021.4.3.