日本初の体外受精児から40年経て  布施信彦 医師

 

 仙台市の病院で1983年10月14日朝、1人の女の子が産声を上げた。その小さな拳をぎゅっと握った姿が「新時代」の見出しとともに報じられてから40年になる▼日本で初めて体外受精によって生まれた赤ちゃんだ。夫婦から精子と卵子を採取し、受精させた後に子宮に戻す。驚異的な生殖医療の技術は不妊に悩むカップルにとってまさに福音だったろう▼もちろん波乱もあった。メディアが「試験管ベビー」なる言葉を使ったため、まるで実験室で子どもを作るかのような誤解や偏見を招いたのだ。すわ神の領域を侵す所業か、と大論争が起き、当時の世論調査では約8割が批判的だったという▼数年後、同じ医師の下で長女を産んだ大槻浩子さん(70)の手記がある。教職の傍ら8年も手を尽くした末の妊娠。喜びいっぱいなのに、奇異の目で見られないかとおびえてしまう―▼「50、100と出産例が増えて当たり前の治療法になってほしい」。大槻さんの願いは現実となり、これまでに国内84万人超が体外受精で命を授かった。最新の統計では生まれてきた子の11・6人に1人の割合だ▼生殖技術の進歩は著しく、受精卵を子宮に戻す前に染色体異常を調べる検査なども普及した。どのように使いこなすか。どんな出産も歓迎できる社会になるには。“不惑”を迎えた今も考えることは多い。

 

布施信彦 医師