「ストレス」ってなかなか気付けない


次男のストレスの表れは

耳鳴り

搔きむしり

腹痛

頭痛



大人も子どもも

ストレス解消って大事



でも、解消法が無い場合

どうしたらいいんだろう



実は私も昔、心療内科というものに通っていた


母親が過保護で厳しい人だった


兄2人の下にやっと出来た女の子

大事にしたかったと大人になって聞かされた

親には親にしか分からない気持ちがある

でも、幼かった私には理解するまでにとても時間が掛かった



今思えば、私は多分昔から人付き合いが苦手

他人からどう思われているか

いつも顔色を伺っていた


小学校も男勝りでそれなりに上手くやってきた女子間の僻み、妬みの話題がすごく嫌だった

だから、もっぱら近所の男の子と泥だらけになって遊んでいた


中学になり、思春期に突入

仲良かった友達の小さな裏切りから

私は自傷行為を覚えた

親にも誰にも吐き出すことが出来ず

溜め込んだ結果だった

過保護で厳しく、気の強い母親には

当時の私の悩みは小鳥のさえずりくらいにしか感じなかったのだろう

誰にも話せず、学校を休むようになった

小さい時から共働きで1人が多く

仮病だと疑われながらも、母親は出勤していった。

そのうち、校舎にも踏み入れられなくなった。

なんとか保健室登校まで回復したが

人が怖くて、いつもカーテンの奥に隠れていた

笑い声や話し声を聞くだけで

過呼吸になった。

親は自傷行為の跡を見つけても

最初は何も言わなかった


高校入学し、新しく出来た友達と

上手くやっていけていた。

しかし、自傷行為は抑えることが出来ず

高校2年、ついに心療内科に連行

服薬を余儀なくされた

診断書があったため回復したり、振り返したりして

高校は留年することなく卒業出来た。


最初はどうして病院に行かなきゃならないのか理解出来なかった

しかし、後から聞くと親がこう言った。




「このままでは死んでしまうと思った」

「仕事から帰ってきたら死んでるんぢゃないかと仕事どころではなかった」

と…。



そう…

出来心から始まった自傷行為が

いつしか、ストレスの吐き場になっていた

愚痴を聞いて嫌な思いをさせるなら

誰も嫌な思いをしない

誰も傷付けない

その方法が自身に当たることだった

だんだんと



生きるって何?

自分の存在価値って?

今自分は生きてるのか?


訳の分からない自問自答を繰り返し

息が出来なくなり

記憶が飛ぶ


気付いたら部屋は荒れ

周りは血だらけ

気を失い倒れている

という日々が続いた

そんな私を見て、母親が病院を進めてきた

1つだけ今も焼き付いているのは

気を失い目が覚めると

普段温厚で何も言わない、優しい父親が

何とも言いがたい表情で

私の血まみれになった腕や顔を拭いていたこと


その時、このままぢゃだめだと悟った



過呼吸や自傷行為は

社会人になっても続いたが

服薬せずとも、暮らせるようにはなった


母親に自傷行為を辞めるよう言われたとき


あぁ、○ねって言われてる


と思った

なぜなら、私から自傷行為を取り上げてしまったら、

吐き出す場所を取り上げられたということだからだ


行為自体をやらなくなったのは

本当に最近

親になっても、どうしても辞められなかった

親になり、もし自分の子どもが…

って考えるようになった時

初めて自分の本当の弱さを知り

強くなりたいと思った


こうした過去を経験した自分だからこそ

他人の痛みや苦しみは他人事ではない

もちろん私自身の人間不信は変わらない

生身の人間ほど、怖いものはない

社会人になってからも、たくさん裏切られ

嫌なこともたくさんあった

でも、それなりにやってきた

人間観察が特技になるくらい

人との接し方に敏感になった

でも、強くなれた気がする


だから、次男の苦しみも痛い程分かる

ゆえに、次男にはこれからの人生を

暗く辛いものにして欲しくない

生まれてきたことを

自分の個性を

ここまで生きてきた人生を

後悔して欲しくない

後ろめて欲しくない



「障がい」ではなく

「個性」と思い

育ていく、育てられていく



今日もここで足踏み止まりだけど

それでいい

それでもいい


前に進めさえすれば