今期受講している放送大学大学院の学校臨床心理学特論はこれまでの中で最も面白いなぁと感じています。
今日聴講した大学での学生相談のケースを取り上げた授業の
「自閉症スペクトラムとアカデミックハラスメント」
というタイトルを聞いて、その2つの関連性にハッとさせられました。
実際に自閉症スペクトラム障害の大学生が、アカデミックハラスメントを受けるケースがあるそうです。
今回も大学の学生相談室の具体的な創作ケースの紹介でしたが、自閉症スペクトラム障害の方の苦しみが伝わってきて、これまで自分が理解しようとしなかったことに申し訳なさを感じました。
このケースに、病院を受診して初めて診断名を聞かされて、自分に障害はないと憤慨する学生にスクールカウンセラーの先生が
・お医者さんはもしかして、あなたの生きづらさのことを自閉症スペクトラム障害という言葉で言おうとしたのではないか?
・このカウンセリングでは、どうやったら◯◯さんが生きやすくなるか、のために時間を使っていきませんか?
と伝えていました
医師は、診断と治療が目的となりやすく、
セラピスト、カウンセラーは、相手の苦しみを共感的に理解しようと努力する、また相手の苦しみを追体験するよう努力する存在だと講師の倉光先生がおっしゃっていました。
また、
「お互いは人間同士だから少しは分かり合える。この接近は少なくとも健常の人から彼らの方に向かうということが必要だと思う」
という倉光先生のお言葉は全くその通りだと思いました。
外国の人とのコミュニケーションでうまく伝わらない時に、言い方を変えたら伝わるようなケース、
「だいたいこのくらい」で済ますのではなく数値で示すと分かりやすい、
感覚の鋭敏な人への理解をしようと想像をふくらませる
など、確かにできることはいろいろあります。
私自身、子供が産まれて、発達段階で不安を感じるたびにいろいろ調べ、自閉症スペクトラム障害について知ることになりました
これまで自分が接してきた人の中にも、該当する人はいたかもしれない、と思います
教授とカウンセラーのコンサルテーションのやり取りの中で、教授が彼のネガティブな面しか見られなくなってしまったと言い、カウンセラーに彼の良い面を聞く場面がありました。
カウンセラーの先生はその学生の良い面をたくさん挙げておられました。
講師の先生が、こういう方の場合、短所がどうしても目につきやすくなってしまう、とおっしゃいました。
ですが、このケースの場合、教授が学生の良い面を見て、意識を変えていきたいと考えてくださっていたのが救いでした。
実際にはそうした教授ばかりではないでしょうし、カウンセラーとの関わりを持つタイミングによっても経過は変わるでしょう。
しかし教授に限らず、周りの人が、手を差し伸べられる知識をつけていけば、互いに生きやすい社会に近づいていけるのかなと思います。
と同時に、息子の学校にも、生きづらさを抱えていそうな子が何人かいるようです。
その子たちにどんなアプローチができるのか、息子に何か伝えることができたらいいなと思っています。
最後に、このケースの学生さんがカウンセリングの終盤に
「僕にとって本当に楽しいと思えることはゲームをすることではなく、心の声を聞いてもらえることだった」
と発言していたのは心にジーンときました