大正元年 有識者や文化人が集まり社交の場として会員制社交倶楽部「大阪倶楽部」が設立され、その中の若手実業家が中心となり    “大阪に初のゴルフ場を”  と造られたのが社団法人茨木カンツリー倶楽部だそうである。

設立は大正12年 同時に着工。設計はスコットランドのデビッドフッド。
昭和6年にCHアリソンが改修、今の東コースが誕生し日本のゴルフ黎明期を代表するコースとなる。








大正15年に第一回 日本プロゴルフ選手権がここで行われ茨木カンツリー所属の宮本留吉が優勝。因みに出場プロは6人だったそうです。
その後この東コースでは昭和4年5年7年と3回日本オープンが行われている。

6765ydと今となっては短くトリッキーなコースということになるが、90年の歴史を経たコースは古樹や竹林、大木に覆われ風格、情緒に満ちている。



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対する西コースは昭和36年名匠井上誠一の設計により開場。平成23年には米国のリースジョーンズにより改修され全長7407yd、世界基準に適した極めて戦略性の高いコースとなる。日本オープン2回、日本女子オープンが1回開催された他、数々のトーナメントがとり行われている。


宮本留吉を始め宮本省三や杉原輝雄など茨木一門と呼ばれる関西屈指のプロゴルファーが驚くことにこの界隈の同じ村から輩出され、この倶楽部で育っている。練習場に顔を出せば良く杉原輝雄に会ったものだった。


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近隣には昭和45年に開催された万国博覧会の跡地である万博公園もあり、本来なら高度成長期に住宅街になっているであろう大阪北部の数少ない丘陵一等地に多くの緑を残している。辺りは高級住宅地となっており、当然固定資産税もかなりの額だと推測され、一時は経営の危機さえ噂されたこともあったが、それでもなかなかプレーすることができない敷居の高さを堅持している。


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一時期自分もこのゴルフ場に隣接するところに住んでいたが(ゴルフ場裏手の質素な団地ー笑)、ゴルフ場の池で甲羅干しをする亀を眺めたり、バードウォッチングをしたり、その向こうで優雅にプレーしているゴルファーを網越しに眺めたりしていた記憶がある。まさに近くて遠いゴルフ場といった感じだった(笑)


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仕事を始めた頃、取引先が財閥系大手の法人会員なので(支店長が代々メンバーとなるのだが)良くラウンドするようになったが、当時は必ずラウンドが終わってから倶楽部ハウスのバーで一杯やっていた(ボトルがキープされているので)。まだ今のように取り締まりが厳しい時代ではなかったものの運転手のいる支店長は良いが、我々は付き合うのが大変だった記憶がある。
因みに茨木カンツリー倶楽部は現在に至るまで日本で一番酒の消費量が多いそうである。
また社交クラブ大阪倶楽部が茨木カンツリー倶楽部を作り、その面々が北新地に夜のクラブを作った。それが会員制クラブの始まりとされている。



このたび(H28.4)客人の接待でリースジョーンズが改修してからは初めてのラウンドとなったが、ベントワングリーン化によりまたグリーン上の難易度が増したように思われる…。

ただところどころ水捌けが悪く芝枯れが目立った。改修の際にあまり良い土を使っていないのだ。改修当時、これにはかなり異議を唱えたが受け入れられなかった。背景にはやはり厳しい懐事情や有力会員の影響力があるようであった。


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ところで今回のラウンドにあたって祇園のホステスを二人呼んだのだが、ラウンド前に諸注意を受けて(例えば電話はハウス内の電話ボックスの中以外では厳禁とか、ラウンド後のレストランへは入場時の正装で来るとか、細かいことでは女性風呂上がりのドライヤーは着替えた後に行なう等々…)
スタートしたところ、聞いていたよりもかなり不調法で冷汗もんだったが、クラブ側が気を利かせてくれてか後続組のいない最終組で、その上2キャディでのラウンドに。これが助かった(笑) 

昔は茨木のキャディと言えば名物キャディと呼ばれる口の悪い(手厳しい)のがたくさんいたもんだが、さすがに昨今では姿を消したそうである(笑)


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そう言えば、以前に北新地のとあるクラブのコンペをこの茨木CCでおこなった時のこと。コンペ助手に何人かのホステスが手伝いに来たのだが、皆スカートが短かすぎたためクラブ職員が慌ててメジャーを持って膝上の丈を計り、その上でいわゆるジャージを全員スカート下に履かしたというエピソードがあった。
いつもは華やかなホステス達もこの時ばかりは大変滑稽な姿であったのを鮮明に記憶している(笑)
今となっては忘れられないこのコースでの思い出の一つである。