5日間石巻で活動をしてみて感じたことまとめ。(順不同、感じたままにね♪)

■若い人が本当に少ない
仮設住宅をまわっていたのが、
ちょうど仕事の時間だったからってのもあるけど、
街に若い人が本当に少ない。子供も然り。
なにかコミュニティをまわしていくにも
やっぱ若い人の力が必要。
でも仕事がないっていう理由も納得できるこの環境から
都会で働くって出ていく人が後に立たないそう。
この状況だったら納得しちゃうけど、
神戸よりも復興が遅くなるっていうことを
現地の人が言っているのはちょっと悲しい。

■朝からガシャンガシャンと音がする
震災後、半年過ぎてきたからだと思うけど、
朝からガシャンガシャンって音が本当に絶たない。
新しいものを創る!っていう音だったら応援したくなるけど、
海に近い区域(危険区域で今後は住めない)とこだったり
っていう場所もあるから、なんだかこの音がさみしい。
がれきの山もいたるところで見て、
でもこれが本当に処理されるのが
いつになるのかわからないっていうのがもどかしい。

■お年寄りは自分の意見がある
これはいいのか悪いのか、別に言いたいものじゃないけど、
例えば、漬物の付け方にしろ、これまでの生き方にしろ、
「自分はこうやってきたから」ってことは本当に強いなーと思った。
きっと田舎だから特に。っていうこともあると思う。
誰かが教えてくれたからって
これまでのやり方を変えるってことはほとんどない。

■台湾からの義援金に対する認知度が高い
一緒にまわっていた人が台湾人2人だったから
よく「どこから来たの?」って聞かれた。
で、「台湾」って答えるたびに「台湾からは本当によくしてもらって・・」
ってほとんどの人が答えた。
まさにその通りだけど、この情報はどこから入ったんだろな。
東京でもそこそこ(自分が台湾コミュニティに近いからと思っていたが)しか
認知されていないのに。

■仮設住宅のクオリティがいろいろ
ほんとこれはかなりおもしろかったんだけど、
ところによって作りも違えば、
物資支給の頻度も違う(どうしてもマジョリティが優先されてしまうのです、、)。
縁側があるとこもあれば、
刑務所みたいに感じるっていうおばあちゃんもいた。
基本的なもの(4人まで2部屋・お風呂・トイレ・キッチン・TV・洗濯機・冷蔵庫・オーブン)
はどこの仮設住宅も一緒だけど、
多分建築会社はその必要条件を満たせば
どういう形で提供してもOKだったんだろうね。
どれがどう、とかじゃないけど、個人的には興味深かった。
TVが全部HITACHIだったとことかね。

■地元の復興も必要
寝泊りさせてもらってるとこのおじいちゃんが
マンガに書いたような昔のおじいちゃんで、
女の子が好きで、ぶっきらぼうで頑固。
で、そのおじいちゃんに地元のクラブにつれていってもらった。
ほかにも店があったんだけど、
やっぱ開いてる店は少なく、
開いてても人は少ない(実際に私がいったとこはうちらのほかに1組だけ)。
お客4人に対して、ママが3人。
それでももっと残ってっていうようなことを。
(客引きがうまいなーと客観視して思うんだけど、
やっぱり需要が足りてないんだろうな、と)

■なんか色々話す人が欲しい
私が参加している団体はちょうど石巻と気仙沼に拠点があった。
大体落ち着いてきたのと、本部の人数が足りない、ってので
私が帰った翌日に今いる石巻から撤退して気仙沼のみを拠点にするそう。
だから今回一緒に活動したのは台湾人2人のみ。
1人はもう2か月もいた50代女性。
もう1人は来たばっか、でもこれから2か月いる24歳男性。
だから詳細を話そうとしても、環境が違いすぎて難しい。
女性はベテランすぎてそんなこと話せる機会がないから、
男性と色んなこと(ボランティアに関する思いとかね)話してみようと試みてみたけど
ミリタリーサービスに入る前に必要だった、とかね
(うーん、英語が妨げるんだろな、自分も含め)
そういう内容であんまりちゃんと聞けなかったなー。
で、今日の朝、気仙沼に行くチームが石巻にも寄ったんだけど、
やっぱ色んな人の意見も聞いてみたいな、と。
ここまで来て、時間があるから仕事できる、、
なんてちょっと悲しいことよね。涙

てなことを考えたかなー
ほかにも感じたことはあるけど、ひとまず今日はここまで◎