スイス政府「民間防衛」に学ぶ - 外国の宣伝の力 / 不意を打たれぬようにしよう -

このサイトでは「民間防衛」からの引用部分は枠内部分に記述し、その前後に解説と私見を加えてます。 枠内は背景色で「黒:敵の策略」「白:敵の策略からの回避方法」と区別しています。




 日本は他国を侵略するのでしょうか?もちろん私も平和を願ってますし、他の多数の日本国民もそう思っています。だから日本は自衛隊を持っていたからと いって、他国を侵攻することはまず考えられません。しかし、だからといって、自衛隊を廃止することができるのでしょうか?日本で自衛隊を解散したからと いって、周辺国である中国、韓国、北朝鮮は軍隊を解散するわけありません。さらに、彼らは現在も軍事力を拡大しています。自衛隊がなくなれば、日本に侵略 してきてもおかしくはありません(強力な日米同盟が継続されていて、自衛隊の代わりに米軍が日本を守り続けてくれれば別ですが...)

 上ではスイスの軍事力を放棄させるために、敵の巧妙な宣伝方法が書かれています。それに対し、下で対抗策が書いてあります。
日本においても新聞(朝日新聞...)、学校(日教組の教員...)、協会(統一教会、創価学会...)、「平和」とか「自衛隊反対」とかモロにあてはまりますね。本当に平和を願っているのか、日本の軍事力を放棄させて、侵略を容易にするのか、見極めが重要です。
スイスの敵国が、スイスを攻撃する方法や策略 /  「民間防衛 」より引用 P232
外国の宣伝の力

 国民をして戦うことをあきらめさせれば、その抵抗を打ち破ることができる。
 軍は、飛行機、装甲車、訓練された軍隊を持っているが、こんなものはすべて役に立たないということを、一国の国民に納得させることができれば、火器の訓練を経ることなくして打ち破ることができる・・・・・・。
 このことは、巧妙な宣伝の結果、可能となるのである。

 敗北主義--それは猫なで声で最も崇高な感情に訴える。--諸民族の間の協力、世界平和への献身、愛のある秩序の確立、相互扶助--戦争、破壊、殺戮の恐怖・・・・・・。
 そしてその結論は、時代遅れの軍備防衛は放棄しよう、ということになる。
 新聞は、崇高な人道的感情によって勇気付けられた記事を書き立てる。
 学校は、諸民族の間との友情を重んずべきことを教える。
 協会は、福音書の慈愛を説く。
 この宣伝は、最も尊ぶべき心の動きをも利用して、最も陰険な意図のために役立たせる。
 
敵国の攻撃に対する、スイスの回避策 /  「民間防衛 」より引用 P233
不意を打たれぬようにしよう

 このような敵の欺瞞行為をあばく必要がある。
 スイスは、征服の野心をいささかも抱いていない。何国をも攻撃しようとは思っていない。望んでいるのは平和である。
 しかしながら、世界の現状では、平和を守り続けるためには、また、他に対する奉仕をしながら現状の状態を維持するためには、軍隊によって自国の安全を確保するほかにないと、スイスは信ずる。

 近代兵器を備えた大国に立ち向かうことはわれわれにはできないという人々に対して、われわれは、こう答えよう。---経験は、その逆を証明している、と。
 今日では、一つの動乱が、多数の国を巻き添えにすることは決定的である。それ故、われわれは、単独で攻撃の重圧に耐えねばならぬこともないだろうし、攻 撃者は、その兵力の一部分しかわれわれに向けられないだろう。そして、このような部分的な兵力に対してならば、われわれは、対等の兵力で反撃することがで きる。
 また、技術の進歩によって、地上では軍隊をまばらに展開することが必要になったが、このことは、われわれにとって有利な条件である。われわれの防衛は、これによってきわめて容易になった。
 潜在的な敵はわれわれに武器を捨てさせるためには、わが国を征服する必要度に比してケタはずれに大量の武力を浪費する必要があることを知っている・・・・・・。
 第一次大戦において、また、第二次大戦において、われわれが攻撃を免れたのは、偶然によるものではない。この幸い、それは、みずからを守ろうというわれわれの不屈の意志と、わが軍隊の効果的な準備によるものである。
 また、1939年~40年におけるフィンランドの例や、1956年や67年におけるイスラエルの例も、われわれの考えが正しいことを証明している。これらみずからを守った小国は、その国家的存在を保つことができたのである。
しかし、日本の平和団体の行動が、この本に書いてあるとおりなので、あてはまりすぎて怖いくらいです。

スイス政府「民間防衛」に学ぶ - 敵はわれわれの抵抗意志を挫こうとする / 警戒しよう -

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 上は敵国がスイスの軍事力を縮小させるための、工作員が普及させているキャッチフレーズです。日本でもまさに同じキャッチフレーズが存在しているので絶 句です。そのまま真似したの?とも思えます。下はもちろんそれに対する心構えです。誰も戦争なんて望んでいません。しかしながら、軍事力の放棄はできない のです。
スイスの敵国が、スイスを攻撃する方法や策略 /  「民間防衛 」より引用 P234
敵はわれわれの抵抗意志を挫こうとする

そして美しい仮面をかぶった誘惑のことばを並べる
核武装反対
それはスイスにふさわしくない。
農民たち!
装甲車を諸君の土地に入れさせるな。
軍事費削減のためのイニシアティブを
これらに要する巨額の金をすべてわれわれは、大衆のための家を建てるために、各人に休暇を与えるために、未亡人、孤児および不具者の年金を上げるために、労働時間を減らすために、税金を安くするために、使わなければならない。よりよき未来に賛成!
平和のためのキリスト教者たちの大会 汝 殺すなかれ
婦人たちは、とりわけ、戦争に反対する運動をおこなわなければならない。
(平和擁護のためのグループ結成の会) 平和、平和を!

 
敵国の攻撃に対する、スイスの回避策 /  「民間防衛 」より引用 P235
警戒しよう

 世界とともに平和に生きることを欲しないスイス人があろうか。戦争を非としないスイス人がいるだろうか。われわれが軍隊を国境に置いているのは、他の国がわれわれを平和に生きさせておいてくれるためである。
 人類の幸福は、われわれにとって重要なことだ。われわれは力の及ぶ限りそれに貢献している。たとえば赤十字の活動、開発途上国に対する援助、戦争状態にある国の利益代表など。ところが、現実はこのとおりである。
 それを知らないとしたら、われわれは、お人好しであり、軽率だということになるだろう。われわれを取り囲む国々が武装し続ける限り、われわれは国家の防衛を怠ることはできない。
 ヨーロッパで対立する交戦国によるスイス攻撃の可能性を、われわれは、最近の二つの大戦の経験にかんがみて、よく考えなくてはならない。
 潜在的は敵を仮定--その宣伝文句に基づいて判断することは、たとえその宣伝文の中に、聖書の文句が引用されていようとも、できないことだ。われわれは、にせ平和主義者たちが、武装するのをやめないでいることを確認している。われわれの信念は誠実なものである。われわれは、だれ一人殺そうとするつもりはないが、ただ正当防衛を確保しなければならぬ。
 われわれが武器を使用せざるをえないようなことがないように!われわれは、これ以上に真摯な願いを持たない。
 もともと日本の平和団体はほとんどがここで書かれている「にせ平和主義者」ですね。「自衛隊」とか「アメリカ軍」に対しては、何が何でも反対して抗議や 署名を組織的に行う一方で、中国軍の軍事行動には全くノーリアクションです。また、日本や米国の核は猛反対するくせに、中国や北朝鮮の核は肯定してます。 要するに本当に平和を願っているのではなく、この本で書かれている敵国の工作活動だということがわかりますね。
 他、ここでも書かれているように婦人は反戦活動のシンボルになりがちです。女性政治化、女性タレント、さらにはよく子供も利用されます。敵の策略にはまらないよう気をつけてください。


スイス政府「民間防衛」に学ぶ - 敵は意外なやり方で攻めてくる / 自由と責任 -

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 上の例はスイスの敵国元首の著書で、どのようにスイス国民を洗脳して武器を使わずに滅ぼすかの方法が書いてあります。
「魅力でひきつける宣伝」「都合の悪い情報の放送規制」北朝鮮そのままですね。
「一方通行の文化交流」「科学技術は多く受け取り少なく与える」これは中国韓国そのままですね。日本では去年、「韓国ドラマ」が流行してしまいましたが、 韓国で日本のCDが販売規制されていた事実を日本国民はどれだけ知っているのでしょうか?これは日本のマスコミにも「都合の悪い情報の放送規制」が浸透し ている証拠です。

 それに対して下は民主主義を守るスイスの対抗策です。自由とその責任がとても重要です。日本国民はこの責任(=日本国民のためを思う政治家に投票する)を常に忘れてはいけません。
スイスの敵国が、スイスを攻撃する方法や策略 /  「民間防衛 」より引用 P236
敵は意外なやり方で攻めてくる

 ある国家元首の「政治的告白」と題する著書から:
《われわれは、勝利に到達するまでわが道を倦むことなく歩み続ける。われわれは敵を憎む。彼らを容赦なく滅ぼそう。武器による戦いに比べ費用のかからぬやり方で、敵を滅ぼすことができるのだ。「魅力」で魅きつける宣伝は、われわれの手の中にある効果的な武器だ。われわれは、われわれの意図するところを、美しい装飾で包み隠さなくてはならない。文化は立派な隠れ蓑に利用できる。
音楽、芸術、旅行などの口実で、仲間をつくろう。展覧会とスポーツの祭典を組織し、利用しよう。わが国に旅行者を引き寄せ、彼らにわれわれの優越性を納得 させよう。これらの「文化交流」は、事実は一方通行としなければならぬ。わが国に、われわれの教養や生活様式にとって好ましくない退廃的思想、新聞、書 籍、映画、ラジオ放送、テレビ放送などの、どのようなものも入れさせないようにしよう。
科学の面では、できるだけ多く受け取り、少なく与えるようにしよう。彼らは愚かで退廃的だから、われわれの企てのなすがままになるだろう。われわれが彼ら に与えるフリをすれば、いい気持になってしまうだろう。彼らは、われわれの政治的思想は信じまいとするが、だんだんそれに侵されていくだろう。このように して、われわれは、彼らの心をとらえていく。彼らはワナに陥り、われわれは、彼らの首に彼らを締め付ける輪をかけるのだ……。
 
敵国の攻撃に対する、スイスの回避策 /  「民間防衛 」より引用 P237
自由と責任

 民主主義は個人の意見を尊重する。これが民主主義の最も大きい長所の一つである。
 民主主義国家では、個人の私的な言行にまで介入することはない。報道、ラジオ、テレビは自由である。
各人は、平時には少しの困難もなく外国へ行くことができる。各人は、自己の気に入った政党を選ぶことができる。
“自由”が空虚な言葉でない国、自由の内容がちゃんと充実している国では、このようになっている。
 しかし、国家は共同社会を守らなくてはならない。そのため、国家は、特にスパイ行為と戦う義務を持つ。スイ スには思想に関する罪というものはないが、しかし、われわれの防衛力を弱めようとする連中は、監視しなければならない。内部から国を崩壊させようとする作 業が、公共精神を麻痺させる者によって企てられる可能性が常にある。
 自由は良い。だからといって無秩序はいけない。
 故に、国家的独立の意思を無くしてわれわれを弱体化させようとするイデオロギーに対して、人々の注意を喚起する必要がある。教育者、政党、組合、愛国的グループなど、世論に影響を及ぼす立場にある人々は、すべて、 自らの責任を絶えず自覚しなければならない。
日本は戦争をしていないから平和という考えは、もう改めたほうがいいです。
日本の教育者、政党、組合、愛国的グループはすでに多数が敵国(中国、韓国、北朝鮮)にとりこまれてしまいました。今から日本国民は巻き返しができるのでしょうか?