本編再生 7  最低辺の人的環境


 エミール・ゾラ原作の「居酒屋」は、DVDで2回観ました。


最初は中学3年の時、夜9時の「日曜洋画劇場」で淀川ナガハルさんの解説でした。その頃は、父との新しい商売に取り組み始めた母と、小学6年の弟Rと私で観ていました。


父は仕事を2つ掛け持ちしていて、朝5時から夜遅くまで仕事をしていて、家には寝に帰るだけでした。


居間で観ていて、「居酒屋」の主人公が飢え死にする最期の場面にショックをうけました。

映画には冷血で非情で、身内としての愛情のカケラもない義理の兄弟・身内が描かれていましたし、その中で生きるしかない人間の哀れさも・・・。


懸命に努力をし、仕事に頑張り、けれども報われることなく孤独死をする悲しい運命に、見終わって暗然とした気分になりました。


そして、その後も、私の人生においても、理不尽な事が何度も起こりました。

遺伝・環境・時代によって運命は決まっていきます。


もう一度、観たくなったので、今度はDVDを借りて観ました。今から10年前ですが・・・。

観た後、書店に行き、文庫本の原作を買い完読したのです。


この小説を読み、いかに人は「環境に影響を受ける」かを考えさせられました。特に周囲にいる人の影響は絶大です。


弟Rの嫁は、瀬戸内海を荒らしまわり、残虐な殺し方をしていた海賊の子孫です。罪人だけが住む「悪人島」の出身。


「創価学会」に親の代から入信し、一族はほぼ全員が信者で、嫁本人も信者・・・。私は宗教が大嫌いです。


略奪の為なら人を犠牲にするのが正義の海賊・・・。


殺された人々の怨念というものが、もしあるのなら

先祖の業により、

嫁の実家の倒産、病気、貧困、自己破産、嫁自身が高校から退学処分を受ける、等々の災難に見舞われたのかもしれません。嫁の実家は何年も掃除をしていない様子でした。

創価学会の信者って、救われないですね。指導されず、お布施だけ納めるのですか。


このような、マイナス要因だらけの家庭に育った人間とRは結婚しました。厄病神・貧乏神が好きみたいです。


貧しさは簡単に人を悪に走らせると思います。お金の為ならなんでもするでしょう。周囲は大反対したのに。


若い頃、3k職場で一か月だけバイトしたRは、そこで働いていたパート従業員の嫁に捕まったのです。


弟Rの嫁は実母にそっくり。嫁の母親はRとの結婚前、悪人島から4時間かけてやってきて、父名義の不動産・貸家を見て回ったらしいです。さすが海賊の子孫です。

(しめしめ・・・。親が死んだら長男だから全部流れ込んでくるわ・・・。ボンボンだから、言いなりさ)と思ったことでしょう。


嫁の見た目は暗く、すぐにメソメソ泣き、貧乏たらしい女の子でした。一緒にいると暗い気持ちになったのは、今でも覚えています。恋は盲目・・・。反対してもダメでした・・・。


それまで「おぼっちゃま」だったRは、少しづつ性格が変わっていきました。金銭欲の塊になっていきました。


「結婚するときは親を見よ」と世間で言われていますが、

その通りです。略奪してでも財産をものにする血筋・・・。


男は女次第といいますから・・・。そういうわけで、家運は長男の嫁しだい。完全な敗北。今は絶縁しています。


品性の疑わしい嫁候補は、断固として反対すべきです

ブログを読んでいる貴方、他人事と思っていると、いつか痛い目にあいます。



私は、「遺留分減殺請求」の裁判を起こす気はありません

報復が怖いから・・・。再び庭木に除草剤を連日の如く撒き散らされるのはごめんです。

親の財産をほぼ独り占めしたR。嫁は陰でこれからの計画を練っているだろう。


弟Rは法定相続人である私を消そうとした。

一番得するのは誰?

得する人が、現実の映画のシナリオを書いている!


おそらく「分け前」などで、盗賊仲間内で争いが起こり、略奪者の遺伝子を持っている嫁から操られるままに、今後は気の毒な運命を辿るでしょう。


事件の陰に女あり・・・。


世の中の犯罪・戦争・経済恐慌などは、シナリオを書いている張本人は、本当は人間の視界から見えていないと思います。


化学兵器・生物兵器の「殺人ケムトレイル」を「PM2.5」と 

「マスコミ」に報道させる。

NWO新世界秩序の黒幕が見えないのと同じです。


<続く>


次回は、新世界秩序の手先が、地球人に対して健康被害や間引きをしていくやり方とそっくり同じやり方で、邪魔者を消そうとした弟夫婦の手口を書きます。農薬や除草剤を使った知能犯です。


夜中に我が家にだけ、空から除草剤が降ってきたのです







本編再生 6


父の死後、弟夫婦から3年にも及ぶ「高齢者虐待」を受けた母の晩年を書きます。


後に裁判を起こそうと決めていたので、証拠としてボイスレコーダー、写真を大量に残しています。


実際、平成24年に地裁に、私と夫は連名で原告として弟を相手に訴訟を起こしました。


しかし、弟は弁護士を通じて「すべて捏造」を主張し、原告が敗訴でした。



悪夢の3年間、母は半年だけ私の家で同居していました。

夫も私も、母が弟Rと嫁から、抗鬱剤や向精神薬を投与され廃人にされかかっている惨状を見ていられず、強引に引き取ったのです


弟夫婦は、自己利益誘導の為、母を力ずくで強制的に老人ホームに入居させました。


そして、私との連絡を遮断させました。


母を騙して、向精神薬を職員を通じて飲ませたり、健常者であるのに精神病院に通院させ、副作用の酷い抗鬱剤の薬害で、わざと認知症患者に仕立て上げたのです。


洋画ホラー「恐怖の精神病院」を観たことがありますか

1946年制作:監督 マーク・ロブソン 

<あらすじ>

主人公の若い女性は健常者なのに、精神病院に強制入院させられます。残忍な者の企みに引掛かり、精神異常になる薬を職員から飲ませられそうになります。危機一髪のところで精神病院を脱出し助かるのですが・・・怖い映画でした。


似たようなことが、ある種の老人ホームや精神医療の現場で起こっています。全て自己利益誘導で、患者や入所者の健康よりも、売上のほうが優先されています。


家庭と施設、この檻の中で母は財産狙いの「人でなし」要するに爬虫類人たちから、脳を破壊されました。一か月で脳にスが入りスカスカにされた。


この期間の、母の著しい衰弱ぶりは、訴訟の証拠として写真に何十枚も私は保管しています。


予告篇の「追う側はルール無用だった」は母を取り返そうとした弟から、追われる様を描いたのです。


「こんな事が家の中で起こっていることを、誰かに言いたい」と母は常々私に言っていました。



昭和3年生まれの母は、5人きょうだいの次女で、身体も頭も頑健な人でした。



老後の安泰を目標に、商売で人の2倍も働き、

無一文から財をなし多くの動産、不動産を手に入れました。


しかし残念ながら、順調な老後は、父の不審死と同時に消えてしまい、悪夢の日常がやってきたのでした。


母がリタイアし、70歳から始めた太極拳は週2回通い、編み物、読書、映画、庭仕事と2人暮らしの父と共に、生活を楽しんでいる様子でした。


でも、1つだけ母が苦にしていることがありました


それは、老後の世話を、一人息子である長男Rのに、してもらいたくない ということです。


平たくいうと蛇蝎のように嫌っていました。


母より、嫁を、もっときらっていたのが不審死をした父でした。


嫁という名の侵略者は、NWO(新世界秩序)の手先が地球を侵略して地球人を洗脳支配するのと同じ手口で、まず家族の分断にとりかかったのでした


仲良しで笑いの絶えなかった4人の家族は、侵略者により、少しずつ見えない水面下でバラバラにされて争うように仕向けられていきました。



次回は、の遺伝子、育った環境を書きます



本編再生 5


県警の血液鑑定結果はシロでした。


しかし異常にカリウム値が高かった事は、大病院のH医師が話し合いの時、指摘していました。


そして、父は亡くなる2日前、近くの徒歩3分以内の内科医院で診察を受けていたのでした。


その時も異常なカリウムの値であったらしいです。

何が起こっていたのでしょうか。

 

死因は狭められてきました。



父の公正証書遺言は、葬儀の翌日に弟Rから見せられました。


内容は、全財産を母に渡すというものでした。


そして、母の公正証書遺言も見せられました。

母の死後は、「一部」を除き、全財産をRに渡すというものでした。


その「一部」は、私が相続する分ですが遺留分の4分の1ほどの不動産(貸家)でした。



 父の葬儀後、以前にも増して弟Rから執拗に相続放棄を迫られていましたが、断固として断り続けていました。


父の葬儀に参列した叔母から


「貴方のお父さんは、遺言書を書いたから早く死んだのよ。書かなければ、まだ生きていたのに。


書いたから早く死んだのよ」と言われました。


「え・・・。どんな意味・・・」と、私は意味が判りませんでした。


しばらく考えて、叔母の言っている意味が判りました。


従妹からは「薄情な親に、ろくでもない弟。それって、マコちゃんの世界でしょ」と言われました。


父が亡くなって3年が過ぎた今、「ろくでもない弟がいるんだからしょうがない」と諦めています。


そして、こんな家庭に生まれ育ったことも、運命なので諦めています。


母は私の知らない間に、あの世へいきました。


死んだことも、葬儀の知らせもありませんでした。


もちろん、母の3人の兄弟姉妹さえ葬儀に呼ばれず、隣近所の住民にさえ、弟一家は秘密にしていたのです。


私が、母の死を知ったのは、昨年11月4日、お墓参り行ったとき知りました。なんと3ヶ月も前に死んでいたのです。


8月26日逝去、と塔婆に書かれてありました。ショックで、その場に倒れそうになりました。


回は、母が体験した高齢者虐待について書きます

私と母の身に起こった事は、人に言っても信じてもらえないと思います。




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本編再生 4


「あの時、病理解剖をしていたら、死因は90%判っていたんですそれを今更、治療ミスではないか?と言われても通りませんよ。何故、病理解剖しなかったのですか?」


大病院の事務長は、「病院側に落ち度はない」ということを、出席者の代表として強い口調で言いました


2階の会議室には、当時のH医師、看護師など6名と、遺族側は私と夫だけでした。

結局、冷凍保存されている父の血液を県警科学技術研究所に鑑定依頼するということで、話し合いは終わりました


病院関係者との話し合いを終え、父の死因については増々疑惑がふくらんでいきました。


母と弟は、この話し合いをキャンセルしました。(出席しないなんて考えられません。)


このこと自体が何を物語っているか・・・です。

判りますか?


夫は仕事の現場から40分かけてきて、話し合いに加わりました。


出席しないことに腹が立ったので、そのまま実家に行き、母と弟に抗議しました。


「いいじゃん。病院と話し合って、なにすんの?死んだ父さんが生き返るわけじゃないし」と弟Rから返事が返ってきました。

そして、スマホのゲームを始めたのか画面ばかりみて指先を動かしています。


弟Rは、20代の頃からゲーム漬け。自宅にはゲーム機が山のようにありました。学生時代、成績は優秀で、母は溺愛していた。


(弟Rの3人の息子の内、2人は頭脳明晰、スポーツマンで国立大学工学部に進学、もう1人はスポーツ特待生で社会人)


「おれ、姉さんと違って暇人じゃないんだ。会社経営して従業員を何人も雇ってるしさ。

工事現場を今5カ所かかえてるんだよ。アンタ暇やな」


母も、「すんだことだから・・・。疲れたから出席したくなかった」といいました。母はRの顔色を伺っています。


酷過ぎる・・・・    大声で罵り合いになり、 私が急所を突いた質問をするとRは出ていきました。


今の時点で考えれば、母は完全にRから洗脳されていたのです。その意味では犠牲者であります。


そして、弟R、彼は人間ではない。

爬虫類人である。


(意味の判らない人は、デーヴィッド・アイク氏の著書「爬虫類人」レプティリアン 大いなる秘密(上)

太田龍 監訳 をお読みください)


遺伝か、家庭の環境の犠牲者なのか?


人間を退化させ、家畜化、ロボット化させているシステムが、パワハラ、苛め、虐待を生んでいると思います。

加害者のように見えますが、地球人を、ケムトレイルや人工地震恐怖と混乱に陥れている黒幕たちの、ある意味では犠牲者ともいえる。


そして、このような物語を書いている私も、爬虫類人の遺伝の可能性を色濃く持っているのかもしれません。


しかし、人に厳しく自分に甘いサイコパス

の爬虫類人の遺伝子を持っていない人はいないとアイク氏の著書にありました。

程度の差があるだけでしょう。



母は自己利益誘導を画策するRにより、

精神を支配するため、向精神薬を知らない間に服用させられていたのです。このことは後述します。


この夜、クリスマスイブの夕食を待っていた夫は、帰りの遅い私の代わりに、ローストチキンやピザなどの食事の用意をしていました。


次回に書きます

本編再生 3


「病理解剖をさせない」と母と弟Rは言いました。



警察や医師の懇願にも拘わらず・・・です。



私は、Rの困ったような様子を見て、真相を薄々判り始めていました。4人の遺族は重苦しい空気に包まれていました。



「死んだ後、切り刻まれるのが可哀そうだから」と、母は何度も口にし、弟Rも同調しています。



Rの次男と私は「病理解剖をするべき」と意見を言いました。



83歳まで、元気で農業や庭仕事をしていた父が、なぜ点滴中に死んだのか?もしや、医療ミスかもしれない、それとも病死か他殺か・・・?。



そして、弟Rは遺族の代表としてN刑事へ伝えにいきました。しかし、彼は嘘を言っていたのです。



「わかりました。遺族の総意で病理解剖をしないのであれば、警察はここで幕引きです。残念ですが・・・」とN刑事が言ったので唖然としました。



なぜ、嘘をついてまで、病理解剖を拒否するのか・・・。




答えは、「死因が判明するのが怖いから」でしょう。



こんな時、貴方だったらどうしますか?



私には、「いいえ、絶対に病理解剖してください」という勇気がありませんでした。



そのことを今も後悔していますが、現実には恐ろしくて身動きが出来ませんでした



映画と違って、現実には、このようにして「身内の犯罪」は、身内によって隠されるのです。醜い、醜い人間模様です





午前3じ過ぎ、母を送るため、車で実家に送りました。

夜明けを待つ暗い夜空で、満月が又も私を見つめています。



大病院から車で3分の住宅街に実家はあります。今日から、母は一人暮らしになります。



弟一家は車で3時間もかかる場所に住んでいて、同居をしていません。

それなのに、生前贈与で高級マンションと新築の実家を父から貰っています。



父の名義の不動産は、土地だけでも市内に12カ所ありました。



通夜の夜、弟一家5人は嬉しそうに楽しく笑って談笑していました。


この時から、今日に至るまで、母と弟一家に対しての疑念は私の心から消えることがありませんでした。



真実が曝露されなかったので、加害者家族としての世間の非難を避けられました。


でも、その代償は大きく、「遺産相続ゲーム」の次のターゲットとして私自身の命を危険にさらす結果を招くことになったのです。



葬儀の一週間後、病院の関係者らと「父の死」について話し合いが行われ、ここでも様々な疑惑が噴出しました。



続きは次回に書きます












本編再生 2  


深夜、午前1時35分。休診の土曜日と日曜日にかけて起きた、父の「不審死」でした。



大病院の緊急処置室の前は、遺族、当直のH医師とA看護師、呼び出された所轄の警察官らが、異様な雰囲気を作り上げていましたでした。



周囲に立っている警察官ら(刑事だと思います)の表情から、明らかに私や遺族を疑っているのが判りました。



肌に突き刺さるような鋭い視線で、私を、身内を、見ています。


一瞬で、私には判りました。父は尋常な死に方をしていないのだ・・・ということを・・・。



N刑事は、私を見ると近づいてきて、父の死に関して尋問を始めました。

「最後に会ったのはいつですか?」

「3ヵ月前です。8月末だったと記憶しています。相続の件で喧嘩になったので、以後、音信不通の状況でした」



「食事を提供したり、食べ物や飲み物を上げた事はありますか?」



「今年の1月頃から、よく遊びにきていたので、夫と共に食事をしたり、お茶を飲んだりしていました。でも、弟のRと、弟嫁のkから、親と付き合うなと言われ、不仲にされていました。以前からのことなのですが。

ええ、 兄弟は二人だけです。」



N刑事は、私への質問を終えると、遺体との対面を指示しました。



こうして、ようやく尋問が終わり、緊急処置室で父の遺体と対面

できました。



一目見て、やはり・・・と思いました。

尋常な死に方ではありませんでした。安らかさは、微塵も感じられませんでした。



ベッドの父は、起き上がったまま、両足、両腕を泳がせるような格好で、目を大きく見開いたまま死んでいました。



その目には恐怖と驚愕、混乱が、映されていました。

父は、最期に、いったい何を見たのだろうか・・・?



左の腕には、点滴の針が外れ、血が流れた跡があります。

右の腕には、証拠保全の血液を抜くための注射が刺さっていました。



詳細に顔を見ると、鼻の下に縦に創が数本ありました。



その中の、一番長い創から、血が口の直ぐ上まで、流れた跡がありました。変だな・・・と思いました。



H医師は「お願いです。死因が判らないのです。病理解剖させてください。この通りです」と何度も何度も頭を下げていました。



なんと、父は前日、土曜日の深夜11じ40分頃、突然、長男のRの

車に乗せられて来て、「吐き気が3日間も続くので入院したい」とH医師に頼んだそうです。



電話1本無く、突然スタスタと父が緊急処置室に入って来たので、H医師はベッドが空いていない事を伝え、ブドウ糖の点滴を始めた

そうです。



父のベッドの横には、息子である長男のRが付き添っていたらしいのです。おかしな事に、一緒に乗っていたRの次男は、病院の駐車場の車の中にいたというのです。



合点のいかないことは、それだけではありませんでした。


室内には監視カメラの無く、周囲に人はいない状態です。



そして、H医師とA看護師は、Rに勧められるまま、緊急処置室から出て、各病棟の見回りに行ったというのです。



数十分後、コールが鳴ったので、走って父のベッドへH医師らは急いだらしいです。



すでに心肺停止の状態だったらしく、

容態が、突然急変した父は、点滴中に亡くなったというのです。



私は、医師から聞けば聞くほど、Rと母に対して、疑念がわいてきました

「何故、私に連絡をしなかったのか?」と問いかけましたが、上手くはぐらかされるだけで、ハラワタが煮えくり返る思いでした。


この病院から、わずか車で5分の距離なのに・・・。


N刑事も「病理解剖させてください。遺族の署名がないと、出来ないのです。私からも、お願いします。話し合いをして、結論を出して下さい。」

と何度も私と身内らに頭を下げていました。


私は当然、病理解剖すべきと、母とR, Rの次男に意見を言いました。


ところが、返ってきたのは予想外の意見でした。


次回に続きます。





本編再生 1 プロローグ 法律の不備


薄墨色の東の空に、十六夜の大きな丸いが見えます。

刻一刻と満月へと変わり続け、闇は増々、その濃さを増しています。


平成26年3月16日、日曜日の夕刻。

人々で混雑するJR博多駅から、特急ソニック43号に乗り家路へと向かっています。

私は夫と横並びで座り、贅沢ですがグリーン車の窓側の席に座っています。


夫と私の休日は、月に2回程、天神や博多駅や中洲付近の美味しい店で食事をして、デパ地下グルメを買って、夕食はお酒を飲みながら、家でゆっくりと過ごすのです。


このような休日の過ごし方は、「事件」に遭遇して以来、久しく途切れていました。

利害が対立する身内から、生きる権利を脅かされる事態が3年間も続いたからです。


それでも運良く、相手にとっては「消すべき邪魔者達」の中で、1人だけ死を免れ、長い時間をかけて自身の健康を取り戻しました。


今は、こんな平凡な日々が送れる事を、しみじみ有難いと思います。


私が生き延びられたのは、事件当時、善人だったからではありません。

強かったからでもない。

知恵と勇気があったからでもない。


絶縁し、逃げたからです。

もしも、家族は「心の支え、頼れる大事な存在」という「世間の常識」に洗脳されたままでいたら・・・?。

肉親というだけで「味方」だと錯覚していたら・・・?


とっくに罠にかかって、あの世に送り込まれていたでしょう。



でも失ったものは、同等の大切なものばかりでした・・・。


首謀者の目的は、法定相続人である私が「この世から消えること」。

それも、誰にも不審な点を悟られないようにです。


シナリオとして「死因は原因不明。病死、心不全、ストレスによる精神異常、交通事故死、倒産、夜逃げ、離婚、自殺、その他」

そして、哀れな法定相続人は一巻の終りです。

実際、そうなるように仕組み、あらゆる手段を使って私と夫を追い詰めてきましたから。


名作映画「何がジェーンに起こったか」

「悪魔のような女」 「ガス灯」 「狩人の夜」の場面が脳裏に浮かびます。

「ファニーゲーム」の不条理さや、 観終わった後の絶望感に似た不快な腹立たしい感情さえ、湧き起っていました。


これから先は、わかりませんが、加害行為は小休止の状態です。


走る列車の窓から丸い月を見ると、助けることが出来ず、きっと恐怖と混乱のなかで死んでいったであろう父と母の顔が、思い出されます。今でも、一日に何度も思い出します。


でも、私は精一杯出来ることはしたのです。


何度、警察に相談したことでしょう・・・。

弁護士、人権擁護委員会、高齢者福祉課・・・。

決定的な解決策はありませんでした。

後見人になろうとしましたが、にはまり機会を逃しました。



私が死んだ時は、「これまでの事件の経緯から、どんな死に方をしようが、警察が調査をする」との書類が、所轄の警察署に保存されている、と刑事課の方は最後に、約束してくれました。

当時、不安と混乱の中にいた私は「気休めに言っているのかしら?」と思いましたが、それでも心強く思えたのです。


窓から見える丸い月は、私に何かを訴えるように、じっとこちらを見つめています。

そう・・・。あの夜も満月でした。

父が原因不明の死に方、「不審死」をしていたあの夜も・・・。


この夜から、およそ3年間が、私にとっての恐怖の始まりでした。それは、ゆっくりと忍び寄ってきました。


今から4年程前の冬・・・。


日曜日の深夜、午前1時20分頃、突然に携帯電話の着信音が鳴り響きました。

ぐっすりと眠っていた私は飛び起き、「父死亡」の知らせを聞きました。

直ぐに車のハンドルを握り病院へと向かいました。


今思えば、すでに「始まっていた」のです。相続を有利に運ぶための策略が・・・。そして、仕掛けられた罠の数々・・・。

私がそれを知らなかっただけでした。




「そんな馬鹿な。あんなに元気だったのに・・・」

深夜の市道を、車を走らせ病院へと急ぐ私の目に、大きな丸い月が、煌々として私を見下ろしているのが映りました。。


緊急処置室の前の廊下へ着くと、ソファに腰かけている身内(遺族)が3人いました。


以外にも、警察官が3~4人周囲に立って警備していました。


その中のリーダーらしい人が私の身内に尋問をしている様子です。緊張感が辺りを支配していました。






次回に続く





前回からの続き  2 


運転中の私の心理を読み、夫は携帯電話から注意をしてくれました。

夫も映画が好きで、カーチェイスの場面は邦画、洋画共に何度も観ています。

車で追いかけられた側が、橋桁に激突したり、人をはねたり、対向車との正面衝突、などの最悪の場面を想定しているのでした。

私は、このアドバイスを受け、「あ・・・判っているんだ・・・」と思ったら心強くなり、それからは運転に集中できました。


追う側は、私が加害者として大事故を起こしたら完全犯罪成立です。その上、邪魔者が即死したら安心する事でしょう。読めていました。


バックミラーを見ると、スレスレの車間距離で追っていて、信号は赤でも無視して追ってくるのです。回数でいうと6回から7回は赤信号無視をしていました。

常識で考えると、警察のパトカーが見張っていそうなものですが、パトカーのサイレンは2時間半もの間、鳴りませんでした。

車の後部座席には80歳を過ぎた母が乗っていましたが、

「怖い、怖い・・・。いつまでおいかけてくるのか、しつこい」

と何度も言っていました。

遺産相続が発端となって起こった映画のような現実でした。でも、この恐怖は、序章にすぎなかったのです。

身の危険を察知し、半年前から、母と一緒に地元の警察署刑事課に相談をしていたのですが

「状況証拠だけでは、警察は動けません」と言われ、がっかりして帰る、の繰り返しでした。


私は、事故を起こさないように注意しながら、こんな事態までなったことに戦慄しました。そして、これから先、私の身に何が起こるのか、考えずにはいられませんでした。


逃げ切れたのは、追われる30分前にガソリンスタンドで満タンにしていた事、ついでにトイレを済ませていた事でした。

追う側は、時間の経過と共に疲弊したのか、ついにあきらめ

横道へと車の方向を変えました。バックミラーでそれを確かめ、私は或るコンビニの駐車場に、母の用足しの為、車を滑り込ませました。


極度の緊張が、2時間半・・・。私はしばらくの間、車の中で運転席から降りることもできず茫然自失の状態でした。

車の時計は午後2時40分をさしていました。


今までは、予告編です。次回から本編が始まります。

体験して初めて知った恐怖。

以下は、サスペンス映画そこのけの、本当にあったお話です。最大の恐怖・・・それは、自分の命を狙われることではないでしょうか?


敵が消そうとする相手を、執拗に車で後を追いかけて来る映画の一つに「激突」があります。

人生の不条理を描いたこの映画は、 観た後、胸の動悸がしばらく 治まらなかったです。

その後2回も観るほど、私にとっての名作であり、記憶にのこっています。

その時は、こんなこと自分に人生には起こらないし、無関係だと感じていました。ところが・・・です。


今から時を遡ること○年余り前。その状況は突然やってきたのです。正確には平成○年○月頃でした。

事情があって、遺産で利害が対立した人間から車で追われるはめになりました。

追いかけるスピードがだんだん速くなり、15分過ぎたころから、故意に、私に事故を起こさせようとしている、というのがわかりました。

恐怖で、身がこわばってしまいました。

映画のカーチェイスの場面が頭を走馬灯のようによぎりました。観客のように、冷静になれないです。

動悸がして、生汗が出たのかハンドルを握る手がべっとりしています。


国道、県道、市道、細道を追跡をかわしながら、2時間余り走り続けました。


警察に電話しましたが、「署に来てください」の返事でした。

この件で、警察には何度も相談していたのに・・・。

途中で夫に助けを求める為、携帯から電話しましたが、仕事中で行けないと・・・。

言われた一言「そんなときは冷静な奴が勝つから、あわてるな。気を楽にもって運転を続けろ。冷静な奴が勝つ」


この後の場面は、次回に書きます

この2~3日の間に、「24歳の若者が同じマンションの住人を殺害」「高校3年生が同級生数人から苛めを受け自殺」

「28歳の巡査長が昨年9月に上司数人からパワハラを受け自殺・・・」・・・と、ホラー映画そこのけの、背筋が凍る現実の出来事が日本の社会に幾つも起こっています。


 相手を自殺に至らしめる、現在進行中の精神的暴力の発生は、職場で、学校で、家庭で、無数に起こっているでしょう。これらは、時の経過と共に、その結果が表面に現れてくると思います。

ある人は、登校拒否することによって自分を守る。

ある人は、会社を辞める事によって自分を守る。

逃げられない家庭の中だったら、離婚という形をとって自分を守る・・・。


10年ほど前、書店で、タイトルに惹かれて、手に取った「アウシュヴィッツは終わらない」という本があります。

この著者は、体験したことを、この本にまとめ、出版後、自殺したらしいのですが・・・。


本の中で、私の心に今でも残っている文章は、

「小さな子供は、親から肉体的、精神的暴力を受けても逃げ場がない。ある意味では「アウシュビッツ捕虜収容所」の中にいるより悲惨ではある」


著者は、「この世界は、地球全体が、ある意味では巨大な

アウシュヴィッツ捕虜収容所である」と述べています。


今になって思い出すのは、高校時代(地元の男女共学公立進学校)に一番印象に残っている出来事です。

入学後の、4月の最初の家庭科の授業中の事です。

50代の、モダンな装いの女の先生が、教室に入って挨拶を終えた後、新一年生を前にして 言いました。


「私は、意地が悪いんです。

私は、教師として就職するまで苛められたことは、ありませんでした。

でも、大学を卒業後、教師として或る公立高校に勤め始めた途端に、同じ家庭科の20歳ほど上の女の先生から苛められました。

二人しかいないのに、その学校を去るまで、口をきいてくれませんでした。用があるときは、紙切れに用件を書いて私に

わたすんです・・・。

人は、苛められたら、意地が悪くなるんです。

だから、私は意地が悪いんです」

女子生徒だけの教室は静まり返り、これだけ言うと、先生は授業に入りました。


やはり、人生はホラー映画だと思います。