見て見ぬフリをしてきた。


自分に向けられた

他人からの強い感情。

嫌悪。

愛情。

その情動に突き動かされた

あらゆる感情を。


何故嫌われるのかを知ることで、

己の欠点に向き合うことを恐れたから。


無条件に向けられた愛情に見合う

己の価値を見い出せなかったから。


人の欲望によって引き起こされる

激しい感情で、傷つきたくなかったから。


そうして否定されたそれらの感情は、

憎悪や悲哀を生じる

"無理解のカルマ"と化した。



自分の果たすべき責任を放棄してきた。


過去に傷ついた心を、

これ以上傷つけてなるものかと

後生大事に安楽に憩わせ、

今後一切の苦労や責任は、

その完治した古傷を免罪符として

免れ得ると信じていた。


そうして果たされなかった責任は、

返済期限を過ぎ、罪悪感という複利を伴う

"無責任のカルマ"と化した。



己の正義を振り翳し、

他人の言動を一刀両断に裁いてきた。


自分の考えが正しいと信じ、

それに反するものは全て悪とみなして、

大義名分の名の下に、

英雄気取りの悦に浸った。


そうして排除された悪は、

顧みられなかった善の一面を旗印に、

復讐の機会を窺う

"制裁のカルマ"と化した。



自らが生じたカルマの代償は、

いつか 必ず

自らが償わなければならない。


そのカルマの清算は、

ある日突然に、

予期せぬ時に

予期せぬ形で行われる。


積み重ねてきた負のカルマが

限界値に達したとき、

虚構と欺瞞で築き上げてきた

エゴの顕現たる巨大な塔は、

神の怒りの雷(いかづち)を受けて

見るも無惨に崩れ落ちた。


その神の裁きは、

己のカルマの清算として、

自我の崩壊という、死よりも耐えがたい

狂わんばかりの苦しみを与えた。


そしてその苦しみは、

それに見合った償い方で現れた。


"無理解のカルマ"は

己の感情を蔑ろにされ、

愛する人に受け入れられない

"孤独の苦しみ"をもって。


"無責任のカルマ"は

返済を終えるまで増え続け、

安らぎの時を許さず責め苛む

"罪悪感の苦しみ"をもって。


"制裁のカルマ"は

身に覚えのない不名誉や

弁解の余地なき裁きを受ける

"偏見の苦しみ"をもって。



積み重ねてきたカルマの負債が

大きければ大きいほど、

その清算に多くの年月と労力を要する。


けれども、

神の雷を受け 全てを失った孤独な魂は、

その耐えがたいほどの地上の苦しみから

逃れる術である"死"をもって

贖うことを選ばずに、

粛々と目の前に現れるカルマの清算に

向き合っていった。

まるで 今まで逃げ続けてきたことが

嘘であるかのように。



神の裁きは、

厳しい試練であると同時に、

この世に属する全ての虚妄を手放すことで得る

深い学びと真我の悟りを与え、

自己の本質へと還る狭き道、

神の恩寵でもあった。



そうしていつしか

全てを手放した身軽な魂は、

地上で生じたカルマの穢れを全て清め去り、

世界に一人

唯一無二の

"魂の本質"へと還っていった…。



一人の生涯で背負い得るには

あまりにも過酷な清算を伴う

苦しみの道。


その狭き道を選んだ魂は、

善も悪も 清濁併せ呑み、

物事を多面的に捉え、

苦しみも喜びも、

あらゆる感情を

深く理解し、

慈愛をもって受け入れる

大きな器を宿した魂へと成長していく。


誰よりも強く、

誰よりも気高い

孤高の魂。


その過酷な道を

自ら選んで生まれてきた

勇者の魂。



塔の学びは

険しく、

道程長く、

故に

得難い叡智を齎(もたら)す。